第1話 弟子入り志願の少女

1. ついてくる者あり

 私立牧野学園——

 ミコト達の通う中高一貫校である。

 ミコトと八雲はここの高等部一年生ではあるが、ミコトは中等部時代から当時の高等部の学生達にも恐れられた『狂犬』の異名を持つ娘。

 不正や悪事を許さず誅罰を下す……こう言えば聞こえは良いかもしれないが、実態は己れの正義に反する者のみならず、反発する者は容赦なく腕力によって捩じ伏せる……謂わば恐怖によって抑え付けているだけの暴君といったところである。

 もちろん、ただ凶暴というだけでなく、学業トップレベル。スポーツも卒なく熟せ、オマケに見た目には可愛らしく、小柄で華奢なあの体のどこにそんな力があるのかと首を傾げたくなるほどに喧嘩はめっぽう強いと来ている。

 かと言って何か委員会や部活動に参加しているという訳でもなく、ただ、その威圧感と様々な武勇伝によって逆らう者はほぼ居なくなってしまったという、ある意味、存在感の無駄遣いみたいな子であった。

 そんな中でも八雲をはじめとしたミコトが親友と認めている四人は、そこまで彼女の事を恐れてはいない。

 幼馴染みの八雲は言うまでもなく、同様に古い付き合いの箱根京華などは情報通な事もあってか、寧ろミコトの弱みを握っている為、この学校の生徒では唯一ミコトを大人しくさせる力を持っている。


「はぁ? 視線を感じる?」


 今朝のミコトの話を聞いても京華は半分呆れたように、この態度だ。


「ミコトぉ……あんた、自分がモテてるって自慢?」

「はぁっ⁉︎ 何でそうなるんだ!」


 もちろんミコトは自分が陰でモテてるという自覚が無いから、この反応。

 京華も八雲と同じように、ミコトの隠れファンが視線とやらの源だと考えている。寧ろ、それ以外に思い当たる節も無い。


「いやいやいや! そりゃきっとアレだ。ミコトに恨みを持つ暗殺集団——ごぶっ!」

「ファンタジックな頭のおまえには聞いてない」


 筋肉バカの鉄平の意見は最後まで聞かず、腹に一発正拳突きを見舞うミコト。これもいつも通りだ。


「思い過ごしじゃないのぉ?」

「ああ……僕もそんな気がするなぁ……」


 京華と八雲は半信半疑。

 ミコトがどう言おうが本人が気づいてないだけで、ファンクラブの連中だと思っている。

 もっとも、それをミコトに言ったところで存外、色恋沙汰だの異性から好かれるだのといった事にはまるで免疫の無い彼女の事だ。ムキになって否定するに決まってる。


「うう……おまえら、あたしが自意識過剰だとでも言いたいのか?」

「いや、そうは言わないけどさ……。僕も今朝一緒に居て、特に何も感じなかったし……」

「八雲は鈍いからだ!」

「ええぇぇ……」


 八雲としては精一杯のフォローをしたつもりなのだが、それでもミコトは断じて認めようとしない。

 まあ、ミコトがそうやすやすと自分の意見を曲げる様なタイプでない事は誰もが承知しているところではあるが……。


「瑞木なら……って、あれ? 瑞木は?」


 いつもだったらミコトのフォローをしてくれる瑞木の姿が無い。

 ちょっと……いや、大分天然なところのある瑞木は頼りないところもあるが、まず人の意見を否定する事は無い。そういった意味ではミコトにとって、これ以上ない強い……いや、最前戦での歩兵一個小隊くらいの強さを持つ味方ではあるのだが、昼休みに入ってからというもの教室から姿を消していた。


「瑞木なら用事があるとか言ってたよ。またお菓子研究部じゃない?」


 京華は「お菓子研究部」などと呼んでいるが、正しくは「料理研究部」だ。しかし、お菓子しか作ってないので、こんなふうに揶揄されている。


「昼休みからお菓子作ってるのか? この緊急事態に……」

「いや、別に昼休み中にお菓子作りはしないでしょ。打ち合わせか何かじゃない? てか、他にもツッコミたいとこあるんだけど、キリが無いからやめとくわ」


 そんな話をしている最中、急にミコトは教室のドア口を振り返り、ギラギラとした目で一点を凝視する。

 まるでゲリラが潜んでいる密林に投げ出された兵士のようだ。


「まただ……」

「はぁ?」


 京華もつられてミコトの視線の先に注目する……が、別にこれといって誰かがこちらを窺っている様子もない。

 一方、八雲はあやかしの線を一応は疑ってみるが、やはり人以外のモノがいる気配も無かった。


「やっぱりな……」


 そんな中で鉄平が訳知り顔でキラリと目を光らせた。


「何がなんだ?」

「これはな……」


 ヤケに勿体つけているが、それでもミコトたち三人は固唾を飲んで鉄平の答えを待つ。しかし……。


「オレが雇った暗殺集団——ほごぉっ‼︎」


 またしてもミコトの正拳突きが鉄平の鳩尾みぞおちに決まった。


「だ〜か〜ら〜! おまえの妄想に付き合ってる暇は無いんだ! まったく……無駄に期待させてからに……」


 デカい図体を折り曲げで鉄平は、うんうん呻いている。


「少しは空気読みなさいよ」

「自業自得だね……鉄平……」


 今度ばかりは京華も八雲もフォローはしてくれなかった。


 その日の放課後、ミコトは八雲と二人で帰る事となった。

 鉄平はいつも通り学校前からバスで帰る為に一緒ではないが、ミコト達と同じルートである京華は何やら担任に呼び出されたとの事で「先に帰ってて」と言い残して二人と別れた。

 瑞木も帰宅ルートは途中までミコト達と一緒なのだが、彼女も今日は料理研究部の方が忙しいのか終始別行動であった。

 今朝もそうだったのだが、どうも八雲と二人きりになるとミコトはどこかぎこちない。

 以前であれば、こんな事は無かったのに、変に意識してる自分がいる。それを必死に表に出さないようにしている事で、却ってミコトは不自然になっていた。


「あ、ああ……えっとぉ……お、おかしな気配がしたら、すぐに知らせるんだぞ」

「おかしな気配って……」


 現時点で一番挙動不審なのはミコトだと内心思ってはいるのだが、それは口には出さないでおいた。


「今朝、昼休みと来たら、下校時も現れる筈……」

「二度あることは三度あるって理由? そんなベタな……あ……」


 何気なく八雲が後ろを振り返った時だった。

 通り沿いに婆さんが営んでいるタバコ屋がある。そのタバコ屋の婆さんは客が来ないと居眠りしている事が多いのだが、今はその婆さんが怪訝な顔をして店舗脇に設置してある自販機の陰を見ている。

 婆さんの見ている場所は位置的に八雲達のいる場所からは死角になるのだが、その自販機の陰からチラチラとブルーグレーの布が見え隠れしていた。


「どうした?」

「あ……いや……あれ……」


 八雲がタバコ屋の自販機を指差す。

 途端にミコトの目つきが変わった。彼女も気づいたらしい。


「あれってウチの制服……かな?」

「あの高さだとスカートだろうな……」


 ミコトはスタスタと自販機に向かって行く。

 そしてミコトの歩幅であと四歩、五歩という距離まで迫ったところで、


「コラァー!」


 怒鳴り声をあげると、自販機の陰から「ひゃっ!」と小動物の鳴くような悲鳴が聞こえてきた。


「出てこい! あたしのこと嗅ぎ回ってるのは分かってるんだぞ!」


 ミコトに一喝されておずおずと姿を見せたのは……ミコトよりも五センチほど小さい……それこそ小動物のような女の子であった。

 見ればミコト達と同じ牧野学園の制服ではあったが、胸に中等部一年生のピンバッジを付けている。

 髪は栗みたいなボブで、潤んだ大きな瞳と小さな鼻はまだあどけなさが残る。

 それにしても……その少女の脅えようったら無い。

 顔面蒼白。カタカタと身震いしているその姿は狼を目の前にした仔ウサギのようで、見てて気の毒になって来る。

 それでもミコトは両手を腰に当て、仁王像のように立ちはだかっている。


「あたしをつけ回すとはな……イイ度胸してる」

「ちょっとちょっと! ミコト……相手はまだ中等部の一年生みたいだし、そんなに威圧しゃあ……」


 普段から誰に対してもこんな態度だから一緒にいる八雲たちは困ってしまう。

 抜き身の刃であるミコトに対して、八雲たちが鞘の役目をしてやらないと、誰も近付こうとしないし、会話すら満足に成立しないのだ。


「ミコトは少し黙ってて」

「なっ……⁉︎ うぬぬ……」


 思わぬところで八雲に制されてしまい、ミコトは押し黙ってしまった。

 本当なら言い返してやりたいところなのだが、何かそうしてはいけない気がしてならない。

 どこか悔しそうに口を真一文字に結んでいるミコトをよそに八雲は少女に優しく語りかける。


「ミコトのこと、つけ回してたのって本当なの?」

「は、はい……。ごめんなさい」


 少女はか細い事で謝り、深々と頭を下げた。

 何だかこちらの方が悪い事をしてる気分になる。


「いや……別に責めてるんじゃないんだ。でも、どうしてそんな事をしてたの?」

「そ、そうだ! 事と次第によっては……!」


 またぞろ脅しにかかろうとするミコトを八雲は「ミ・コ・ト……?」と、今度は不気味な笑顔を見せて止めた。


「あ……う……」


 八雲の笑顔が怖かった。

 まさか八雲に威圧される日が来ようとは……。

 そんな思いで口を噤む。


「あの……実は……」


 まだ脅えているのか、よほど重大な理由があるのか、少女はもごもごと言いづらそうにしている。


「大丈夫だよ。誰も怒ったりしないから」


 内容によってはミコトは怒り出すだろうが、自分がミコトを宥めるという事を暗に示していた。

 その事を察したのだろう。少女は急に声を張り上げ、


「ミコト先輩! わたしを弟子にしてください!」

「……はい?」


 直角に腰を折って頭を下げる少女の言葉に、ミコトも八雲も文字通り目が点になった。


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