7 問われる意志

 ビルの中は耳が痛いほどの静けさに満たされていた。

 平日の昼間とは言え、客の姿が全く見当たらないのは異常だ。店内BGMすら息を潜め、店員の気配もない。無人無音のビル内で、壁に貼られたアニメや漫画のポスターが、やけに不気味に感じられた。


 エスカレータを駆け下り、悠人に追いついたのは、ビルの四階だった。


悠人ゆうとさん!」


 呼びかけながら考える。


 俺は何をやってるんだ? 状況を完全に理解できているわけでもないのに、敵って言葉に実感だって持てていないのに、悠人さんに反感さえ抱いていたはずなのに。

 どうして、悠人さんを助けようとなんかしているんだろう。


朔哉さくや君!?」


 三階へ降りていこうとしていた悠人が、驚いて振り向く。


「一体どうして、待っていろと言ったのに……まさか、石を砕いて!?」

「砕いてっ……ませんっ」


 朔哉は走って乱れた息を整えてから言う。


「わかんないです、俺にもわかんないんですよ。ただ悠人さんが、殺すとか殺されるとか、そういう世界にいるなんて、おかしいって思って……だから」


 自分でも本当かどうか分からない理由を言う。

 その理由に、朔哉の中の何人かは賛同していて、別の何人かは反対していた。


「何か、ないですか。俺に出来ること。悠人さんのために、出来ること」


 朔哉の言葉に、悠人の顔が一瞬だけ綻ぶ。

 だが、次の一瞬には、厳しい表情へと変わった。


「戻りなさい。君のほうこそ、こんな世界にいるべきじゃない。君は人間だ。〈はしら〉や僕らのような存在の生きる世界は、君がいるべき場所じゃない」

「悠人さんだって人間ですよ!」


 朔哉は思わず叫んでいた。


「お願いですから、そんな風に自分を人間じゃないみたいに言わないでください! お願いです……」


 悠人の顔に動揺の色が浮かぶ。


「だけど、僕は〈にえ〉なんだ……」

「それでも人間ですよ! だって、世羽が言ってたじゃないですか、〈柱〉にも人間と同じ心があるって。その〈柱〉に力を分け与えられた人間が〈贄〉でしょう? だったら人間ですよ! 人間以外の何かになんて、なるわけないんだ!」


 それは理屈ではなかった。朔哉は自分の願いを叫んでいた。

 悠人さんに、これ以上遠くに行って欲しくない!


「違うんだ……朔哉君、僕は、僕の手は、もう……」


 悠人は弱々しく首を振りながら言う。

 だが、その零れ落ちるような言葉を遮り、


「失笑を禁じえん類の戯言だ。なあ、時雨悠人よ」


 聞き覚えのない男の声がした。

 悠人は弾かれたように声のしたほうを見た。同時に、朔哉を庇うように背後へ回す。ビニール傘を握る指は、力を入れすぎて真っ白になっていた。


 このビルには、一つの階につき、四つの店舗が収まっている。今いる四階には、エスカレータの側から見て、手前右にモデルガンの店、左にレンタルショーケース、奥の右側は古書店で、左側にはコスプレ衣装を売る店があった。

 四つの店舗は、十字に延びる通路で区切られている。

 その通路が交差する、フロアの中央に、


「我らの生きる世に道徳はなく、倫理もない。なんとなれば、それらを常として在る人が営む世と隔絶されるは、当然の帰結であろう」


 黒いコートをまとう、背の高い金髪の男が、佇んでいた。

 身長が二メートル近くはありそうな強靱な体躯。それに見合った厳めしい容貌。彫りが深く、眼光は鋭い。高い鼻や、短く刈り込んだ金髪から、朔哉は外国の軍人みたいだと単純に連想した。


 その顔を、朔哉は知っている。昨日、美優を乗せて走り去った自動車を運転していた男だ。後部座席のドアを開き、美優を迎えた男だ。


「な、なんだよ……なんなんだ……!」


 朔哉は驚愕していた。あまりに奇絶な展開に、恐怖すら覚えた。

 美優に関係する男が敵として現れたから、ではない。

 がなんであるか、気づいたからだった。


「あ……紫陽花あじさい!?」


 朔哉の幼馴染み、織畑おりはた紫陽花。

 制服姿で、弛緩したように手足をダランと垂らしている。


 混乱の極地に、朔哉は立たされた。


 ――なんで、どうして紫陽花が、関係ないのに、〈柱〉なんかと関係ないのに、どうして動かない、人形みたいだ、どうして、まさか、まさかまさかまさか――


「大丈夫、彼女は生きている」


 悠人が、男のほうを睨んだまま、朔哉の手を握り、言う。

 それだけで、混乱が少し、収まった。


「当然だ。死体を持ち歩く趣味はない」


 言って、男は紫陽花を床に下ろした。

 紫陽花の顔は蒼白で、眠っているように瞼を閉じている。


「あの野郎……! 紫陽花に何を……!」


 混乱の去った朔哉の心に、代わって怒りの炎が燻り始めた。


「我が名はエリゴス。主柱しゅちゅう鉄血無情てっけつむじょう”より賜りし名を“牙鉄がてつ”」


 重々しい声で名乗った男の両腕が、くすんだ色の光に包まれる。

 空気に染み込むような不可思議な輝きは、男の太い両腕をすっかり多い隠す。

 やがて、光が消えると、その両腕は巨大な物体に覆われていた。


「そして、これぞ我が……〈破纏哮はてんこう〉だ」


 巨体のエリゴス自身の背をも超えそうな、鈍い輝きを放つ鉄色の大砲が、エリゴスの両腕に装着……いや、両腕と融合していた。

 二本の大砲は何枚もの鉄板を貼り合わせたような外見で、ところどころ黒い管が露出している。その管の先は、両肩の上部に出現した、宙に浮く球体と繋がっていた。


 異形。あまりに無骨な、異形。


「なんだ、あれ……?」

「〈依代よりしろ〉だ」


 悠人がエリゴスから目を離さずに言った。


「僕ら〈贄〉や〈柱〉は超法則的な能力を発揮するとき、必ず固有の〈依代〉を出現させる。その〈依代〉を介することで初めて、僕らは宇宙の法則を超える」


 大砲が見た目どおりに鉄で出来ているのならば、その重量は想像を絶するだろう。それにもかかわらず、エリゴスは涼しい表情で立っている。


 朔哉は戦慄とともに悟った。

 ――確かにここは、別の世界だ。


「エリゴス。貴方は、その少女が誰か、知っているのか?」


 冷たくナイフのように尖った声で悠人が問う。朔夜を庇う彼の両手を、いつの間にか純白の手袋が包んでいた。公園で朔夜を助けたときに着けていたのと同じ手袋。おそらく、これが悠人の〈依代〉なのだろう。


「知っていなければ、持っては来ない」

「なっ、お前……!」


 まるで紫陽花を物のように言うエリゴスに、朔夜は思わず反駁しそうになったが、意を察した悠人に左手で制された。


「では、貴方の目的はなんだ。年端もゆかない無関係の少女を戦いに巻き込むなど、いくさの正道を征こうとする貴方の所行とは思えない」


 悠人はエリゴスのことをよく知っているようだ。顔見知り、などという穏やかな関係ではあるまい。エリゴスが公園で朔夜に銃を向けた女の仲間だとしたら、過去に悠人と戦ったことがあったとしても不思議ではない。


「よりにもよって貴様が、我が忠義の戦を語るか」

「そのように言う貴方だからこそ、わからないと言っているんだ」


 エリゴスは、右の大砲を振り上げ、朔哉たちに先端を向けた。


「篠突朔哉を、殺すためだ」


 驚きに、朔哉の肩がびくりと跳ねた。

 悠人も驚いたのは同じだろうが、眉一つ動かさなかった。


「もっとも、その前に時雨悠人という障害を排さねばならぬようだが」

「……少女は、朔哉君が逃げ出さないための、人質か」


 エリゴスは答えない。


「そうか。では、もういい」


 瞬間。息苦しさを、朔哉は感じた。悠人の全身から、ゲームセンターで世羽が放っていたのと同種の圧力が、放たれている。

 それは殺意だった。


「僕の大切な友人を巻き込んだこと、後悔してもらう」

「我が同胞を独善によって殺し続けた貴様が、それを言うか!」


 エリゴスが激昂して叫び、両腕の大砲を悠人に向ける。

 その直後。

 朔哉の目には、悠人が掻き消えたように見えた。

 それほどのスピードで、悠人は駆けた。

 背を低くし、右側から回り込むようにしてエリゴスに肉薄する。

 そして、地を這うような低さから、


「はぁッ!」


 裂帛れっぱくの気合いとともに、を振り上げる。


「流石に速い! だがなぁ!」


 それを、エリゴスは右の大砲で受け止める。


 悠人が振ったのは、ただのビニール傘だ。なんの変哲もない、そこらのコンビニで五百円くらいで買えそうなビニール傘だ。とても武器として扱るような物ではない。エリゴスの大砲と比べれば、鉄パイプに爪楊枝で挑むようなものだろう。


 だが、そのビニール傘と大砲がぶつかった瞬間、まるで重い金属同士が凄まじい速度で衝突したような音が響いた。


「ふっ!」


 悠人は素早く体を捻り、エリゴスの左脇に回り込んで、ビニール傘の刺突を放つ。

 対し、エリゴスは左の大砲を振り下ろすことで、刺突ごと悠人の体を叩き潰そうとする。見てからでは間に合わない、完全に悠人の攻撃を予測した上での行動だ。


 だが、動きを読んでいたのは悠人も同じ。刺突を出し切る前に、小刻みなステップで身を躱し、エリゴスの背後に回ろうとする。

 無論、エリゴスは大砲を振り回して悠人の行動を許さない。


 幾多の死線を潜ってきた戦士同士の、音速の読み合い。お互いに、次の手を読まれていることさえ予測して、致死の一撃を滑り込ませる隙を探す。


 傍から見ている朔哉には、二人の動きを目で追うことすら難しかったが、一つ確かだと思えることがあった。


 悠人の持っているビニール傘は、やはりただのビニール傘じゃない。エリゴスは明らかにビニール傘を警戒している。

 奴の巨躯は傘で打ち据えられた程度では揺るぎもしないはずだ。それなのに、エリゴスの戦い方は、まるでかのような動きに思える。


 幾度かの交錯ののち、エリゴスは後方へ跳んで悠人から距離を取った。


「フンッ、四年ぶりに合わせるいささかも鈍りなしか。どころか尚も鋭さを弥増いやますとはな。なれば加減のようもなし!」


 雄々しく叫び、エリゴスは右の大砲を振るい、近くにあったレンタルショーケースを粉々に吹き飛ばした。ガラス片と、破壊された商品の欠片が舞い散る。


 すると、エリゴスの右肩の上に浮いていた球体が光り始め、舞っていた無数の破片を次々と吸い寄せて、吸収していく。

 やがて、球体に繋がれていた黒い管も光り始める。光は管を通って右の大砲に注がれていく。何かが、球体から大砲へと、送り込まれる。


 その大砲を、悠人へと向けて構え、


右砲うほう! 硬牙こうが!!」


 叫び。そして轟音。

 腹を破るような凄まじい音がして、大砲から何かが射出された。


 それは、咄嗟に横に跳んだ悠人を掠め、進路上にあるあらゆる物体を粉微塵に砕きながら飛翔し、激突した壁に無数の亀裂を走らせて止まった。


 壁にめり込んだ物体は、黒い鉄球。


 サッカーボールほどの鉄塊が、弾丸のような速度で撃ち出されたのだ。


「見事! なれば、次の一撃もかわしてみせよ!」


 攻撃を回避されたというのに、どこか楽しげにエリゴスは言う。


 すると今度は、左肩の上に浮いていた球体が輝き始め、先程右肩の球体がしたのと同じように、当たりに散らばった様々な品物の破片を貪欲に飲み込み始める。

 左肩の球体からは、左腕の大砲へと、管を通して何かが送り込まれ、


左砲さほう! 光牙こうが!!」


 悠人に向けられた先端から、眩いばかりの光の筋が放射された。


 薄い赤色をした不気味な光の筋は、一瞬にして、柱を貫き、壁を貫き、プラスチックを焦がしたような独特の臭いを残して消えた。


 光の筋が貫通した柱や壁は、チーズみたいに円形に刳り貫かれており、寸でのところで身は躱したものの、光に掠ってしまった悠人の服には、焦げ目が残されていた。


 左の大砲から放たれたのは、レーザー。

 射線上にある物体を無情に焼き消す、不気味な赤光。


「やはり! この程度では威嚇にもならんか。だが、二撃で敵わぬならば、十ではどうか? 百ではどうか? この場には、幸い


 笑みを浮かべて言うエリゴスに、ただ睨み返す悠人は、


「……しッ!」


 短く息を吸い、弾かれたようにして、エリゴスに向け疾駆する。


「そうよな! 間合いを詰めるより他、あるまい!」


 肉薄してくる悠人を、エリゴスは大砲を振って迎え撃つ。


 再びの交錯。ビニール傘は右の大砲で受けられて、反撃の左の大砲を、ステップで後方へ躱しながら、悠人はポケットからを取り出した。


 場違いな白いハンカチは放られ、ヒラヒラと舞い、エリゴスの胸に触れる。


 その瞬間、


「ぐっ! おおッ!?」


 エリゴスの巨躯が、強烈なバネに跳ね返されたかのように、吹き飛んだ。


 ただの白いハンカチは何食わぬ顔をして床へ舞い降り、飛ばされたエリゴスは大砲を床に突き立て、慣性を殺し、体勢を立て直す。


 だが、悠人はそれを許さない。


「白に染まれ!」


 叫んで床に手をつく。白い手袋に包まれた手をつく。ただそれだけの動作に、何かをした、と朔夜が察した直後。


 朔哉の立つ位置から見て奥半分のフロアの床が、一瞬にして、粉々に砕け散った。


「ぬぅっ! 貴様、これほどの……!?」


 全ての物が、落ちる。砕けた床の上にあった全ての物が。

 本の棚が、コスプレ衣装を纏ったマネキンが、そしてエリゴスもが。


 轟音、破砕音、破裂音、エリゴスの叫び声、あらゆる音を引きずって、四階のフロアの半分が、三階へと落下した。


 その破壊を招いた張本人である悠人は、一瞬だけ朔哉に視線を送り、エリゴスを追撃すべく、三階へと飛び降りた。


 数拍遅れて、朔哉は走った。悠人の視線の示す意味に気づいたから。


「紫陽花!」


 フロアの中央に残されていた少女に走り寄り、その体を抱き起こす。

 体温を感じた。口元に耳を寄せると、確かに呼吸をしている。

 意識がないだけで、ちゃんと生きている。


「よかった……」


 ほっと息を吐く。そしてすぐ、悠人のことを思い出す。

 紫陽花が寝転がされていた位置は、崩落したフロアの淵のすぐ近くだった。

 丁寧に紫陽花を寝かせ、淵から階下の様子を伺う。


 戦いは、まだ続いていた。

 崩落に巻き込まれたエリゴスは、しかし無傷で、二本の大砲を振り回して悠人を押し返し、右の大砲から鉄塊を、左の大砲からレーザーを撃ち出し攻撃する。


 一方、悠人は、距離を取られれば砲撃を躱してから接近し、二本の大砲をかいくぐっての一撃を狙う。


「圧倒的に不利、だな」

「せ、世羽せう!?」


 いつの間にか、世羽が隣に立っていた。


「おーおー、走り回っとるな。体力が無尽蔵というわけでもあるまいに」


 世羽の言う通り、悠人はエリゴスの隙を伺うように瓦礫の山を疾駆している。

 だが、エリゴスの防御は固く、攻めあぐねているのが朔夜にもわかった。


「このままではジリ貧だな。まあ、それも当然。悠人にとっては相性が悪すぎるんだ。あの金髪男の〈権能けんのう〉は」

「けんのう?」


 朔夜は世羽の横顔を見ながら、オウム返しに問うた。


「私たちの持つ特殊能力――のことさ。〈柱〉も、〈贄〉も、等しく固有の〈権能〉を持つ。まあ、単純化した記号に過ぎない概念だが……悠人の持つ異能は〈染色の権能〉と呼ばれるものだ」


 階下でエリゴスの大砲が瓦礫を吹き飛ばし、巻き起こった粉塵に朔夜は思わず顔を両手で庇った。対して、世羽は身動ぎひとつせず、楽しげな表情で悠人たちの戦いを見下ろしている。


「人が作り出した物、ビニール傘でもハンカチでもいいが、それらには必ず人が与えた役割がある。その役割をと捉え、それを染め変えることで全く異なる役割・性質を人工物に与える。それが悠人の〈権能〉だ。例え変哲のないビニール傘でも、

「それって……」


 朔夜は昨日、公園で見た光景を思い出した。半狂乱の女が放った銃弾を、ただのビニール傘が防ぐ光景……あれは、悠人の〈権能〉が作り出した光景だった。ビニール傘を刀の色で染めて女の腕を斬り飛ばし、盾の色を与えて朔哉を守った。


「悠人さんが、いつもビニール傘を持ち歩いているのは……」

「常在戦場。いつでも戦えるようにするため。いつでも殺せるようにするためだ。見てみろ」


 世羽に指し示され、朔夜は階下の戦場を見つめる。


 エリゴスの大砲から放たれたレーザーを躱した悠人が、上着の内ポケットから取り出したを投擲した。


「ちぃっ!」


 エリゴスは舌を打ちつつ、大砲を棒高跳びの棒のように使って身を翻す。

 標的を失ったは、そのまま高速で飛翔し、コンクリートの壁に深々と突き刺さった。そして、ようやく、朔夜はそのの正体を知った。


「ボールペン……?」


 三本セット百円くらいで売られていそうな安っぽいボールペンが、目にも止まらぬ速さで飛び、コンクリートに穴を穿うがったのだ。


「今のは、さしずめ矢か銃弾の役割いろに染めたボールペンだろうな。ああやって身近な人工物で戦うのが悠人の戦法だ。他に、色を白に染め潰して役割を消すこともできる。床が落ちたのはそういう仕組みだ」


 人々の足元を支えるという役割を消されてしまっては、バラバラに崩れ落ちて瓦礫の山と化すだけ。


「何をどのような色で染めるのかわからんからな、敵にしてみれば厄介極まる〈権能〉だよ。人工物で溢れるこの東京で、これ以上に多様性を持つ力は他にない。もっとも、この状況では役に立たんがな」

「ど、どうして……?」

「金髪男が砲撃するときの様子を、よく見てみろ」


 言われるままに、朔夜は観察する。

 そして、先程から見ていた戦いの様子と合わせて、すぐに気づいた。

 エリゴスは、大砲を撃つ際、直前に球体で周囲の物体を吸収している。


「あれはな、物体の質量を吸収しているんだ」


 朔哉は変な相槌を打たずに黙って聞いた。


「球体が吸収した質量を大砲へと送り、同等の質量を持つ鉄の弾丸か、等価のエネルギーへと変換したレーザーとして、撃ち出しているのさ。言わば〈変換の権能〉だな。しかし、どのような物体でも吸収できる、というわけではないだろう」


 確かに、どんな物体でも吸収できるなら、最初から大砲を撃ってきたはずだ。極端な話、このビルそのものだって、吸収できてしまう。


「朔哉。貴様は始めから観戦していたのだろう? 気づいたことはないのか?」

「気づいたこと……あ、いや、まさか」


 最初に大砲で攻撃する直前、エリゴスは近くにあったレンタルショーケースを破壊していた。あのとき、ショーケースを破壊して、何が起きた?

 ガラスの破片が飛び散った。中にあったプラモデルがバラバラになった。

 そうした物体の欠片が球体に吸収されるのを、朔夜は確かに見ていて、それを思い出し、答えに至った。


「もしかして、壊れた物の欠片しか、吸収できない?」

「そのとおり。あの金髪男は、破壊された物体しか吸収できんのだろう」


 階下の戦いをよく観察すると、球体に吸い込まれるのが瓦礫ばかりだとわかる。


「どんな〈権能〉にも力を発動させる条件や、弱点というのはあるものだ。しかし、金髪男の〈変換の権能〉の弱点は、悠人の〈染色の権能〉と対峙する場合に限り、弱点にはなり得ない」


 世羽は饒舌に説明を続ける。彼女が浮かべている微笑みは、階下の戦いを眺めるのが楽しいのか、それとも説明をするのを楽しんでいるのか、朔夜にはわからない。


「悠人は人工物しか染色できん。人によって作られ、人によって役割という色を与えられた物しかな。元から役割を与えられていない自然物や、破壊されて役割を失った人工物は染色できんのさ。だが――」


 エリゴスは、その壊れた物を吸収する。吸収して、己が力とする。


「この戦い、金髪男はただ物を壊しまくるだけでいい。そうすれば吸収できる質量が増え、いくらでも大砲が撃てる。逆に悠人は、物を壊されてしまうと、それだけ自分の武器に出来る人工物が減ることになる。金髪男が有利になればなるほど、悠人は不利になっていく……というわけだ」


 そして、現在の戦況は、悠人にとって最悪と言えた。

 なにしろ、戦場には、壊れた四階の床が瓦礫となって山を成しているのだ。

 四階にあった人工物は落下して壊れ、三階にあった人工物は瓦礫の下敷きになってしまっている。そのせいで、悠人の武器は手元のビニール傘くらい残っていない。


 だが、この状況を作ったのは悠人自身だ。

 何故、そんなことをしたのか、朔哉は知っている。


「俺と紫陽花がいるからだ……!」


 エリゴスを容易に二人を攻撃できない場所へと縫い付け、二人が逃げられる時間を得るために、悠人は敢えて自分に不利な状況を作った。


 朔哉は紫陽花のほうへ振り返った。

 横たわる紫陽花の瞼は閉じられ、意識が回復しそうな様子はない。


 今の状況で朔哉にできることは一つだけだ。紫陽花を連れて、逃げること。背負ってでも担いででもいい。とにかく、二人でこの場所から離れれば、悠人は自由に戦えるようになる。勝機も生まれる。


「その娘を負ぶって逃げようと考えているのなら、やめておけ」


 紫陽花を抱きかかえようとしゃがみ込んだ朔哉に、世羽が言う。


「金髪男には仲間がいるのだろう? 外に気配があるぞ」


 朔哉は驚き、立ち上がって世羽のほうに振り向く。彼女はやはり、階下の戦場だけを見つめていた。


「気配を隠そうともしていない。それに気づいているからこそ、悠人は躍起になって金髪男を仕留めようとしているんだろう。どこまでも甘い奴だ」

「本当なのか、世羽……?」


 震えた声の問いかけに、世羽は答えない。


 外にいる仲間というのは、朔哉に銃口を向けた女か、それとも別の誰かか。どちらにしても、世羽の言っていることが本当なら、ビルの外に逃げることはできない。


 だからと言って、上階のアヴェスタに逃げ込んだとしても、先程の静流しずるの様子から考えて、巫女の〈贄〉たちが助けてくれる確証はない。そもそも、紫陽花を抱えた状態で、どこまで逃げられるのか。


「どうすりゃいいんだ……?」


 逃げ道が見つからない。

 この状況を変える手段が思い当たらない。


 世羽の隣に立って階下を見下ろすと、悠人はさらに追い詰められていた。顔には疲労の色が濃く出ていて、砲撃を避けきれなくなっているのか、体のアチコチに傷を負っていた。


 それでも悠人は、エリゴスの砲撃が朔哉たちのいるほうに飛ばないよう考えて、自分の位置を取っている。自分の命が危ないのに、まだ、朔哉たちのことを想って戦っている。


 朔哉は、痛む胸を両手でぎゅっと押さえた。


「このままじゃ、悠人さんが……!」


「石を砕けばいいのですよ、篠突しのつき朔哉さん」


 知らぬ間に、隣に静流がいた。

 朔哉の顔を覗き込むようにして、笑っていた。


「彼を助けたいのなら、巫女様より賜った〈金光きんこう奇石きせき〉を砕きなさい。そうすれば、貴方の願いが叶いますよ」


 そう言って、笑う。

 息を呑むほどに、美しい笑顔だった。


「巫女様の御力は偉大です。石を砕けば、貴方は他の〈贄〉など及びもつかない力を得られるのです。その力を持ってすれば、あのような卑小極まる輩など、ものの数秒で捻り潰すことが出来ましょう」


 静流は優しい所作で、朔哉のポケットに収められていた〈金光の奇石〉を取り出し、彼の手に載せた。


 朔哉は石を見る。石にも見られているように感じた。


「これを、砕けば……」


 力が手に入る。悠人を助けられる。


 朔哉は戦う悠人の姿を見る。次に、世羽の目を見た。

 世羽の黒い瞳は、やはり、自分で決めろ、と言っていた。ただ、見届けてはやると。貴様がどんな道を選ぶのか見届けてやる、と言っていた。


 もう一度、石を見る。映り込む少年の顔は、暗くて見えない。


「……俺は、美優みゆを取り戻したくて、ここまで来た」


 思っていることを、言葉にする。自分に言い聞かせるように。


「それは、美優が大切な存在だから。失いたくないから」


 美優にもう会えないと考えるだけで、胸が苦しくなる。

 突き刺されるみたいに、胸が痛むんだ。

 それが、美優を大切だと思える証。


 だったら、今まさに感じている痛みは、なんだ?


 自分が不利な状況に陥ることにも構わず、傷だらけになって、それでも自分以外の何かのために戦う人の姿に、感じている痛みは、なんだ?


「そうだ。今だって、胸が痛い。それは、悠人さんも俺にとって大切な人だからじゃないか……!」


 彼のようになりたいと思った。

 彼のような大人になりたいと、憧れていた。

 そう感じているのは、朔哉だけではない。

 美優も、悠人のことが好きだった。大切に想っていた。


 もし、美優を取り戻せたとき、そこに悠人がいなかったら?

 美優は笑ってくれるだろうか。お兄ちゃんさえいればいいと。


 そうだったらいいと思う。

 でも、そうはならないと知っている。


「俺は……悠人さんを助ける」


 石を持った手を握る。強く、強く。


「そのための力を、俺にくれ!」


 願いに応えるように、拳の中で石の砕ける感触がした。

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