(……ある日、ある時)

 だ。


 、これだ。


 私は誰だ?

 、誰だ?


 目の前には小学生向けの計算ドリルが広げられている。

 机の端に置かれた時計は、午後八時を指している。

 どうやら、机に向かって宿題をしている途中のようだ。

 いや、宿題をしている途中なんだ。

 私はそれを知っている。


 辺りを見回せば、そこは

 シールがたくさん貼られたタンス、本よりも小箱や人形が多く並べられている本棚、使い古されたベッドの上には、いつも抱いて眠るお気に入りのぬいぐるみ……。

 そんな、愛着のある、初めて見る物ばかり。


 この矛盾。

 目覚めるたびに私を襲う、この矛盾。

 ああ、反吐へどが出そうだ。


 ――これで何度目?


 それこそ何度も繰り返してきた問いを、繰り返したくなる。

 無意味な問いだと身に染みてわかっているのに、繰り返さずにはいられなくなる。

 そして、ふてぶてしく横たわる現実を改めて味わい、吐きそうになる。


 どうして夢を見させてくれないんだ。

 それなりに幸せだったはずだろう。

 わずかばかりの不満と倦怠けんたいとを含んだ、無知なる幸福が確かにあった。


 私は、幸せな夢を見続けていたい。

 夢を見たまま、殺してほしい。

 こんな息苦しいだけの永遠など、いらないのに。


「……眠ろう」


 私は椅子から立ち上がり、ベッドへと倒れ込んだ。


 ベッドの感触は、前回より、柔らかい。

 前々回よりは、少し硬い。

 その前は、さらにその前は、どうだったか。


 無意味な回想と比較は、私の意志など無視をして、延々と続く。

 忘れたいこと、すでに失われてしまったことが、私の頭の中を、グルグル、グルグル、掻き回す。


「もうイヤだ……」


 布団に包まり、ぬいぐるみを抱き締めて、強く強く目を瞑る。

 まぶたの裏の暗黒へ身を潜ませるように、体を丸める。


 このまま眠って、夢の続きを見よう。

 それが叶わぬ願いだとしても、そうせずにはいられない。

 遠くないうちに、迎えが来る。

 せめて、それまでは、眠っていよう。


 どうせ、現実は私を逃がさない。

 どうせ、は私たちを逃がさない。


 やがて眠りに落ちる直前の一瞬。

 不意に、一人の少年の姿が脳裏をぎった。


 ――誰だっけ?

 ――とても大切な人だった気がする。


 私は少年の名前を思い出そうとした。

 けれど、忘却を伴う睡眠の誘惑には抗いがたく、私はそれを諦めた。


 諦めることには慣れている。

 全てのことを諦めてきた。

 だからきっと、今回も……。


 ああ、全てを忘れさせてくれるこの眠りの、なんと心地良いことか。

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