第一章

第2話 とりあえず動きます

 気づいたら私は浜辺に打ち上げられていた。


 なんだか視界が妙に広い気がするし、薄ぼんやりとしていてはっきりとは見えないが、波の音がするし、水の中にいないということはやはり浜辺に漂流したのだろう。


 くらくらする。うまく体を動かせない。


 というか感覚がおかしい。手足がわからない。動かそうと思ってもまるで存在しないかのような。もしかしてマヒしていて感覚が伝わっていないのかも。


 そこまで考えてようやく思考がはっきりしてきた。妙に開けた視界もはっきりとしてきてよく見える。


 美景は?美景はどうなったの?


 すぐに周囲を見渡すが、そこに美景の姿が見当たらない。


 (美景!?)


 声を出して呼びかけようとしたがなぜか口がわからない。声も出ない。


 いったいどうなっているのかわからずパニックになりかけたとき、突然声が聞こえた。


 (のーちゃん。うるさい~)


 (美景?!)


 声が聞こえた。というか声が頭で響いたような気がする。どこから聞こえたのかもわからないがひとまず美景がすぐ近くにいることがわかり、少し落ち着いた。


 (美景!どこにいるの?!)


 (どこって・・のーちゃんこそどこにいるの?)


 美景も私を見つけられていない。ひとまず自分の居場所を伝えるためにあたりを見回して目印になるものを探す。


 (えっと、どこかの浜辺の上で、浜辺の陸側には赤い大きな木が立ってる。)


 (あれ?私も見えるよ。葉っぱも枝も全部真っ赤な木でしょ?)


 (じゃ、じゃあその木の左右にでっかい岩があって)


 (うん、あるね。ちょっと黄色っぽい大きな岩)


 おかしい。周りには、全身真っ赤で大きな木があって、その左右に黄色がかった大岩がある地形はそこしかないので、それが見える範囲の浜辺なら美景を見つけられるはず。なのに一向に姿が見えない。


 (じゃ、じゃあ一度目印のところに行ってみるから見つけたら声かけてね。)


 (うん分かった。)


 そして私は体を動かそうと思ってふいに足元を見たとき、水色の半透明なブヨブヨを見かけた。というか足元にはそれしかなかった。


 それしか見えないことに一瞬違和感を覚え、しかし何がそう思わせる要因なのかと思いを巡らせてハタと気づいた。


 水色のブヨブヨが何かはともかく、足元を見たのに足を見つけることができなかったのだ。


 え?足がない?ていうか手は?体は?


 あれ?どういうこと?私の体はどうなっちゃってるの?


 (きゃーーー!)


 混乱しているといきなり美景の悲鳴が響いた。


 (ど、どうしたの!?)


 咄嗟に聞き返してみたがすぐに返事が聞こえない。何かに襲われた?それとも何か別のトラブル?


 (美景?!)


 (・・・のーちゃん。)


 (どうしたの?大丈夫?)


 (・・・私・・・スライムになっちゃったみたい。)


 それを聞いて私の思考はフリーズした。


 スライム?何を言っているの?そしてなんで意味が分からないのにもやもやが晴れたかのような気分になっているの?


 美景の言葉を聞いて、本当はわかっていた。というか本当は足元を見たときにはすでに心の奥底で理解していたのだと思う。けれどこんな非常識な考えが現実にあり得るわけがない。成立するはずのない答えだけに、私はそれを考えることもできなかった。


 スライム。それはゲームやアニメでも数多く取り上げられるモンスターの定番中の定番。時に強く、時に最弱なそのモンスターは、ブヨブヨなスライム状の体を持つ粘液だけの魔物。私が過去にやっていたゲームでは体色は主に青色や水色だったはず。


 足がない、手がない、体がない。おまけに顔という部分も存在せず、ただただアメーバのように粘液を動かしながら移動し、食物を取り込み消化して栄養を確保する。


 (スライムか。)


 そう。スライムだ。私はいま、スライムになっているのだ。


 そして美景もスライムだという。


 以上を踏まえてかつ頭に声が響いているということは。


 (美景。どうやら私たちは一心同体ならぬ、二心同体になったみたいね。)


 (・・・へ?)


 美景の変な声が漏れた。おそらく顔が見れたならとてつもなく間の抜けた表情になっていたことだろう。今となってはそれを確認することはできないが。


 (私もスライムになっているみたいなの。)


 (のーちゃんも?)


 (そう。そしてスライムはおそらく声も出すことができない。さっき美景を呼ぼうとしたのに声が出なかったし、今でも声を出して話しているわけじゃない。)


 (じゃあどうやって会話して・・・あ。)


 美景もやっと冷静になって理解できたらしい。


 (そう。私たちの心は一つのスライムの体に集約されている。だから思念だけでやり取りすることができるのよ。)


 こんな非科学的な説明をまじめにする時がやってくるなんて夢にも思わなかった。こんなこと普通なら「中二病おつ」と言って笑っていただろうけど、今は状況証拠から判断するにまず間違いなくスライムになっている。おまけに意識も一つの体に二つ入っている


 (えっと・・・これは夢だよね?)


 (だといいんだけど。)


 夢ならどんなにいいことか。けれどこれだけ意識がはっきりしていて夢だったなんてあり得るのだろうか?いや、スライムになっちゃったっていうほうがあり得ないか。


 私の常識が現在進行形で崩れていく。あれ?そもそも常識ってなんだっけ?


 (とにかく動いてみよう。もしここがすっごくファンタジーな世界だったとしたら今の動けない状況はすごく危ないし、夢だったとしても死んで覚めたくないし。)


 (そ、そうだね。でもどうやったら動くんだろ。)


 (それは任せて!たぶんこうやって・・・やった!)


 私は歩くという意識を捨てて、体中の粘膜を前方に回転させるように意識を切り替える。すると視線はそのままで体が前方に回転し、少しずつ前に進みだした。要は戦車のキャタピラーと同じ原理だ。ただなぜ視線がそのままになっているのかは大いに謎だ。もしかして表面だけを動かしているからだろうか?


 (すごーい!どうやったって私じゃ動かせなかったのに!さすがのーちゃん!)


 (えーっと・・ありがとう?)


 思わず疑問形になってしまった。なぜスライムの体を動かせたのかといえば、今までためにためたヲタク知識のたまものだ。そして美景の「さすがのーちゃん」・・・まあ褒められてはいるんだし気にしないほうがいいかな?


 (なんで疑問形なの?)


 (いや、何でもないよ。それより体動かしてるけどあんまり疲れないもんだね。)


 (そうだね。私は何もしてないけど、一応私の体でもあるんだから私も疲れるはずだしね。)


 あともう少しで目印にしていた赤い大樹の真下につく。もといたところから大体5メートルほどだろうか。


 人にしてみれば疲れるようなこともなければほんの一瞬で着く距離だろうけど、私たちは今や亀の足並みに遅い。本当は亀は陸上でも案外早く走れたりするのだが、それは置いといて。


 スタートしてから今まで約30秒。1メートルにつきおよそ8秒ほどかかっているのだが、これで今の私たちの動きののろさがわかってもらえたと思う。


 前へ、前へ。


 そしてやっと目的地の赤い大樹の真下についた。


 結構全力で動いたはずだけどそれほど疲れてないな。まだ効率よく動かせていないからだろうか?それともただ単に燃費がいいだけなのだろうか?


 (全く疲れなかったな。)


 (そもそもスライムって疲れるの?)


 あぁ。それは考えていなかった。確かにスライムが疲れているっていう状態が今の私たちには理解できていない。


 人にとって体が疲れた状態というのは息が切れて苦しいとか、体を酷使して筋肉が悲鳴を上げているだとか、何かしら体にバッドステータスが蓄積した結果が「疲れた」という状態といえる。


 ならスライムはどうなのだろうか。


声を出していないしそもそも呼吸をしているかどうかも怪しい。呼吸を実感していないから確かめるには水の中に沈んでみるしかないけど・・・今は絶対したくないかな。


筋肉はないと思うから粘液を集合、動作させている何かが筋肉の役目を果たしていると思うんだけど、それについてはいま実際に動いてみて何の支障もないので今のところは全く大丈夫。


 ということは結局今のところスライムが疲れるかどうかはわからないし、実感として私たちがどうとらえるかも不明ということになるかな。


 (まあ、とりあえずはしばらく動いてみて様子見って感じなのかな)


 (じゃあのーちゃんが体を動かして見て、私がその状態を第三者の視点から考察してみることにしようかな。私だけ何もしてないのは気が引けるし。)


 (じゃあ周りの警戒と一緒にそれもやってくれる?)


 (あいあいさ~)


 美景のぼけぼけな返事を聞き終わると、私はしばらく体をいろいろと動かして見ることにする。


 まあ美景は私よりも断然頭がいいし、何より私が体を動かしているのを客観的に見てくれるのはありがたい。一人でやるよりずいぶんと効率がいいと思うし。


 周囲の警戒もセットで行ってもくれるから、私は集中していろいろ試すことができる。


 なにせ感覚からして人と全く違うからどうすればどうなるのかがほとんど分かっていない。それをちょっとずつ試していく作業は割と集中しないとできそうにない。


 さっきも移動しているときは割と神経を使いながら粘液を動かしていた。


 イメージが大事なのだ。このイメージと体を動かす何かとの連動がうまくいかない限り、体は言うことを聞いてくれないし、全く動いてくれないことだってある。


 人が翼をイメージして羽ばたくように動かそうとしても、そもそも羽がないから動きようがない。


 逆に手はあるけど動かすイメージがうまくできないと手は正常に動かないしイメージがあっても脳に障害があればうまく動かすことができない。それと同じように考えてくれればいいとおもう。


 少なくとも今の私はそんな考えのもと、体を動かしている。


 う~ん。


 とりあえずキャタピラー移動法は概ね良好。


 だけど移動速度に難ありかな~。


 理由は多分体の表面部分を全部まとめて回転させているからどうしても回転させる効率が悪くなるからだと思う。


 だったら小さい動きをより高速で行う・・・そう、例えば自動車の車輪みたいに体の下の一部分だけをうまく回転させて。


 そして私は徐々に体を軽自動車のような形に変形させていき、車輪も作ってみる。


 お?これはなんだかうまくいきそうな予感。


 私は車輪の形状をした部分をキャタピラーの時と同じ感覚で回転させてみる。するとあまりにも高速に回転してしまい、目の前にあった黄色い大岩に思いきりぶつかった。


 (きゃ!)


 (ご、ごめん!)


 (なんで大岩に向かって走り出すのよ!海岸のほうに体を向けたらいいでしょ!)


 (私の不注意でした。)


 いつも柔らかな口調の美景もさすがにキレたらしい。


 大岩にぶつかったときに痛みは感じなかったけど、それでも急に大岩に走り出して激突するのは恐怖に値するだろう。まして美景は体を動かしていないので、急に動いたと思ったら一瞬で大岩に激突したのだ。


 私だったらもっと怒鳴り散らしている。


 (今度からは何かするときあらかじめ伝えてね。口を動かさなくていいんだからめんどくさがらずに。)


 (了解しました!)


 (わかればよろしい!)


 少し変なテンションになってしまったけど確かに思念を飛ばすだけで会話できるのだから意思の疎通は人だった時より格段にスムーズで正確だ。


 なにせ相手の感情やイメージもそのまま伝わるし、そもそも言葉という概念でやり取りをしている感じではなく、もっと大きな情報をやり取りしている感じなのだ。


 だから面倒くさくならずに積極的に情報伝達は行っていくべきだろう。

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