6話 幕間上映
「…気付かれたかな」
小野崎加恋は自嘲気味につぶやいた。
夜風に病衣がはためいた。
小野崎加恋が立っているのは病院から少し離れたビルの屋上だった。彼女の協力者たちが結界を壊し次第、外に設置したポートへ移動したのだ。
彼女の隣には双眼鏡を目に当てがった僧衣の男。並んで黒い刀を提げたコンバットスーツの男と巫女服の女が隣り合って座っている。目下には、忙しなく動き回る部下たち。
「うまくいったようですな」双眼鏡から目を離し、僧衣の男が云った。
禿頭の、四十がらみの男。その手には、服装に似合わない大型のライフルが握られている。男の名は善光。エルロイ・カンタルロイ幹部級の一人である。
「善光、そっちの様子は?」
「問題ありません。設置も、Kエネルギーもため込みました。この場所一帯の霊脈を10年は不能にするぐらいの威力はあります」
「そうか」小野崎加恋は頷いた。「それだけあれば十分だろう」
「ええ」善光は云った。
「それにしてもあの女、ここまでする相手なのか?見た限りでは、あのまま押し切れそうなもんだが…これじゃ死体も残らん」
コンバットスーツの男のほうが話に割って入った。
「悲恋、なんだその言い方は」
「いや、いいんだ。そういいたくなるのもわかる…わかりやすくいうとな、あいつは教育者なんだよ」
「どういう意味だ?」
「そのまんまだ。竜胆は誰よりも強い。俺たちがなにをしようが殺せないぐらいには。俺たちができることはあいつにもできるし、逆にあいつに出来ないことは、誰にもできない。そんなもんだ。だから俺たちがあいつに挑むときは、いつも教えられながらだ」
それは脅しのようであったし、ただ真実を語るようでもあった。
「そういえば、あんたもそんな風に言われてたな。恒久の霊能術師…だったか?」
「悲恋!」善光が声を荒げる。コンバットスーツの男…悲恋大した気にした風でもなく肩をすくめた。
「悲恋」御子服の女が悲恋の袖を引いた。「下で警察とトラブルがあったって…死体をどうすればいいかって」
「今下りるから待機しろと言っておけ…ほら、哀歌、お前も行くんだろ」
悲恋は善光に一言断って屋上の階段を降りて行った。
その姿が見えなくなったあたりで善光が云う。
「さっきの話の通りなら、これも無意味なのでは?」
「いいや、無意味なことなどないよ。こういうやりかたで命を狙われるのは初めての筈だ。お前もそいつで外から見ただろ、あいつは俺を切れなかった。あいつも流石に知らないことは出来ないのさ」
「はあ…それも、そんなもの、というやつですか」
「ああ」
▽
すべての患者を合わせると、296。つまり目の前の大型の個体をいれれば297の叨を相手にすることになる。
竜胆は手元で西洋剣を回しながら、上階の叨たちが襲ってくるタイミングを図り、唸り声をあげる大型の叨の足元で気を失う古子を窺った。結界が壊れた以上、もう目覚めてもおかしくはないはずだが、その気配はない。この状況で目覚められても面倒ごとが一つ増えるだけだが。
階段を降りる音がする。大群だ。竜胆は西洋剣を回しながら思案する。
このまま剣を使ったものか?それとも別の何かを使っていいものか。
答えの出る問いではなかった。本心、竜胆はどちらでもよいと考えていたからだ。
結局、竜胆は気分に従った。西洋剣を振り回し、小野崎加恋が残していったライフルを一丁手に取った。
竜胆は早速それを大型の叨に向けた。引き金を引く。がち、と音がして、しかし、弾が出ない。
竜胆は首を傾げた。
「ああ、弾が入っていないのですか」
階段から現れた叨の数体が竜胆に躍りかかった。虎と線虫、イカとクジラ、獅子と人、様々な掛け合わせの叨を竜胆は切り倒しつつ、大型の動きを図る。他の階段からも叨が殺到し始めた。各々が牙や爪、針を突き立てんと竜胆を狙う。蠍の尾が竜胆の肩を貫こうとする、竜胆は難なく針を切り捨てる。その後ろから引き裂きにかかる爪は弾のないライフルで受け止め、左右から現れた牛に似た叨を竜胆は跳躍で避けた。
死骸の山が積みあがる。エントランスは年末に似た喧騒を見せ、床や壁はかつてないほどずたずたになっている。
「閉じ込めて、襲わせるだけ…というなら、もう少し凝った襲い方をしてほしいものです」
竜胆は独り言ちた。
血の海に西洋剣を突き立て、呪いをかけた。
大型の叨が動く。竜胆が古子を目で捉えながら剣をより深くまで突く。と同時に、叨の流した血液が大きく、フグのように針を延ばす。ほとんどの叨は対応できなかった。血の槍に貫かれ、血を流し、それがまた針と化す。どうにか針を避け、天井や、血の池の外に出た叨たちも第二群には反応しきることができず、額や胸、重要器官を傷つけられ、その命を落とす。
明らかに他の叨と違う動きを見せたのは、やはりというか、大型の叨だ。血の槍をものともせず竜胆に突進し、体当たりを食らわせる。竜胆の振るった西洋剣が叨の目を二度えぐり、事実上の盲目となるが、それでも構わない。しかしその巨体による攻撃を、竜胆はあっさり受け流した。体角を地面すれすれにまで下げ、股下を抜ける。
抜けざまに腹を切り裂かれた叨は、その真価を発揮することなく散った。
竜胆は走る。その先、古子が転がっている。
気を失ったままの古子を食おうとした死にかけの叨が、西洋剣の腹でたたきつぶされた。
竜胆は古子をわきに抱え、密集する叨の死体の上を飛んだ。階段で順番待ち状態だった叨たちが死体をかき分け、エントランスに侵入する。狙い迫る針、爪を切り崩し、何もいない天井に西洋剣を突き刺した。
竜胆が力を込めて西洋剣を深く差し込むと、天井が上に崩落し、上階にいた叨を刺殺しながら二階の天井に着地、するや否や再び西洋剣を刺し、刺さったままの叨の肉を圧迫、圧縮、破砕しながら三階へ――この階にはもう叨はいなかった。それでも止まらず、竜胆と古子は屋上まで病院に大穴を開けながら屋上まで落下する。空中を3mまでいって、情報に張られた結界に触れる前に剣を下に振り、屋上の床へ降り立った。
「さて…なにがしたいのですか?あなた方は」
結界の外は黒く塗りつぶされている。これはさきほど壊されたものと変わらない。しかし構築のされ方や素材については竜胆が見たことのないものだった。
「どうだ?」
「屋上にいる。こっちを見ている…わけではないと思うが、こっちを向いている」
「叨は?」
「知らん、一匹もいない。まあ全滅したわけではないはずだが…」
「屋上か、爆弾の範囲から少し外れる、なんてことはないよな」
「ない。あれは今までのとは違う。結界の内側にKエネルギーを散布した後、爆発する、粉の見えない粉塵爆発のようなものだからな。どこにいてもダメージは同じさ」
「よし、それじゃあ準備はいいな」
「ああ」
「爆破だ」
竜胆は散布されたKエネルギーには気が付かなかった。
しかし、発火したKエネルギーが別のKエネルギーへ熱を伝え、連鎖的に爆発していくことには気づいていた。
▽
爆音はしない。すべては結界の中で行われ、終わる。
善光は上機嫌だった。竜胆は小野崎加恋以上の大物だった。それを殺せたとなれば喜んだっておかしくはない。
「結界の中を覗くんだ。一応、確認してからでも遅くはない」
善光が指示を出す。横に戻ってきていた悲恋が小ぶりのモニターを取り出し、双眼鏡と接続した。
結界の中は何もなかった。元から何もなかったように…ではない。地面にはどれほど深くあろうかという穴が開いている。
「すごいな、これは」善光が感心したように云った。「あれだけの規模の爆破はやったことがなかったが、まるで地盤沈下じゃないか。これなら確実に殺せているだろう」
ねえ、と小野崎加恋の顔色を窺う。
「………」
小野崎加恋は難しい顔で俯いていた。
「どうしたんです?」
不安になった善光が悲恋のほうを向くと、悲恋と、隣の哀歌もまた違和感を持ったような顔をしている。階段の下から悲恋の部下が顔を出した。
「車の準備しとけ」
「私は先に行っている」
哀歌はとてとてと走り去った。
「いったいどうしたっていうんです?髙崎竜胆は死んだはずでは?」
「善光さん、粉塵爆発で地面は抉れないんだ」悲恋は善光の肩を叩き、機材を持って走った。
善光は小野崎加恋を仰ぎ見た。小野崎加恋は善光の視線には気づかなかった。ただ崩れゆく結界を見ながら、こう呟いた。
「…流石だ」
▽
古子が目を覚ますと、そこは深淵だった。深淵、気を失う前に哲学っぽいことを考えていたからだろう、古子は三内丸山を思い出した。ニーチェかぶれの三内丸山。
神は死んだ、という言葉が宗教をお金で買うようになってしまったことに関係があると聞いたことはあるけれど、どちらにせよ永劫回帰は神にも悪魔にも肯定的ではない。ぐるぐると一生を廻るなら、天国も地獄もないからだ。
古子は今、事実としてニーチェが間違えた可能性を知っていた。
それで十分なのではないかと思った。
「やあ、お目覚めですか。なかなか長く眠っていましたね」
「髙崎さん…」
古子は起き上がり、周囲を見渡す。暗闇に慣れ始めた目に映ったのは病院の残骸と思しきコンクリートの塊と、服装の変わった竜胆だった。
「これですか?」竜胆が存外に明るく云った。「いろいろありましてね」
「いや、ええと…あ、看護婦さんは?」
「死にました」
「病院、これは…」
「沈みました」
「沈み、それは」古子は目を白黒させた。
「知りたいですか?」
竜胆はにこりと笑った。
「知りたいというなら、教えて差し上げましょう。というよりは、連れていく、のほうが正しいのでしょうか。彼と話せばいろいろなことが氷解しますよ」どうです?と竜胆が言う。
私は…と言いかけて古子はやめた。
「知りたく、ないです」
「それは…」竜胆は不思議そうに、しかし愉快そうに首をひねった。「どうして?」
「理解できないことを理解する労力を、知りたいかどうかわからないことに使いたくないんです」
古子のそれは、怠け者の論理だ。ダメ人間の論理だ。きっとこれを聞けば多くの人が古子を間違っているというだろうし、古子自身も、自分の考えがある種厭世的であることはわかっていた。
しかしながら、竜胆は古子が何を言いたいか理解した。古子は竜胆にわかってもらおうとは思っていなかったが、竜胆がこちらの意思を一切汲まないタイプではないと見ていたため、補足はしなかった。
古子の話だ。
流木古子は、青森県岩木市に生まれた。果樹園の娘だ。規模は中堅上位、一年なら不作でもどうにかなる程度には、盤石である。
古子の幼年期は、問題なく過ぎた。青年期もまた、さしたる問題はない。大した反抗期もなく高校生になり、古子は自分の生活に飽きた。
趣味はなかった。好きな俳優もなかったし、番組もなかった。菓子を摘まんでテレビを見ていればいいと思っていたが、そうではなかった。古子の生活はただ息の長い趣味であった。いずれ来る退屈を悪あがきのように息を吐いて生きることが、古子は嫌になった。
古子は東京の大学を受けることに決めた。両親としては、一人娘にはそれなりに生きて、いい人を見つけてほしいところだ。古子は自分の薄情を知った。
母親は、遠くから嫁いだ。そこに母親の意思はなかったが、見合い婚なんてそんなものだろう。そこはいい。問題は古子の母親は中堅農家の妻とするには少々性格が苛烈であり、家長は…つまり古子の父親は、そうした母親の苛烈さを御するにはいささかおおらかが過ぎた。
古子は家が嫌いではなかったし、母親に関してもそれは同じだった。だから実際家を出るとなって大いに悩んだし、最後まで、いや、最後がああだったからこそ深く悩まざるを得なかった。
それでも東京のコンクリートジャングルを見たときは気分が晴れた。これからのことを思うと胸が弾み、自分が何でもできるような気さえした。あの全能感は何だったのだろうか、古子は今ただ何もせず自堕落に生き、何もない自分に罪悪感を覚えている。
だが母親に後ろめたく思うのはやめにした。
わからないことをずっと悩むのはやめにした。
これこそが未知に対する受容の感覚だ。
古子は理不尽が何だったのか悟った。
“わからないことがあるなら、まずそれが重要かどうか考えろ、少し考えて、時間のほうが価値があるのだと気付いたなら、諦めて流れに身を任せろ”
やはり無責任だろうか、しかし古子はそれで構わないと思った。
強い意志があった。笑ってしまうぐらいくだらないものだけれど、古子は今回の全てに関して、存ぜぬで通すことにした。
竜胆は古子を見下ろしていた。眼を見て、自分が何を言っても意味がないと考えた。
「なるほどそれは…賢い選択です。ええ」
古子はほっと息をついた。
「さて」竜胆が言った。「そうと決めたなら、掴まってください。前の通りまで送ります」
竜胆は古子に手を差し出した。古子は遠慮がちな目で、淀みなくその手を取った。
竜胆がジャンプする。不思議なほど枷のないロースピードのジャンプだった。
こうして古子は生還する。
彼女は何も答えないし、答える気もない。
正しく庶民に戻ろうとしている。
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