第2話 理不尽の蜜月

 頭からだくだく血を流して、視界が上のほうから赤くなっていった。この世の終わり。地獄。阿鼻叫喚。そう思っていたのは古子だけで、他のアパートの住民たちはいや、もちろん焦りはしたが、野次馬根性を見せるぐらいには余裕があったらしい。(救急車と消防を呼べるほうの野次馬だったのは幸いである)爆弾は大した威力ではなかった。

 園芸用品や家庭で手に入るようなもので作られた簡単なつくり…らしいのだ。ちゃんと作動はしても、殺傷能力はそんなにあるわけじゃない。

 古子はそれが少し怖かった。なぜって、素人でも作れるようなものを作るのは素人だと相場が決まっていて、そんなものをつくる素人は危ない人で、いまいち動機が分からない。どうせ殺されるなら国家の陰謀にでもかかって、高性能爆弾で吹き飛ばされたい…というのは冗談だが、しかし、冗談で考えるなら、古子は確かにそっちのほうがまだマシだった。

 しかし…そう、分からないのだ。

 古子は都内の病院に入院した。髪をじゃきじゃき切られて大げさな包帯を巻かれ、足は石膏で固めて吊るされた。全治3カ月とのことだった。「下手すりゃ死んでた」というのは古子のところに調書をとりにきたジュード・ロウみたいな声の警察官の弁で、古子はそりゃそうだろうと若干いらだった。

「誰か、こんなことをする人に心当たりは?」

 ここで思考が遡る。

「いると思います?」

「それを訊いているんだ」

 だから分かんないんだってば。

 古子はちょっとばかし頭を働かせた…考えると血の巡りがよくなって、傷的には悪かったりするんだろうか…ということを少し思う。次に、ジョン・ウェイン・ゲイシーのことを思い出した。だいぶ前に男児をレイプして殺しまくった男は町の有力者で人望が厚かったのだ…その次は家庭人だったペーター・キュルテン、どっかの紳士にしか見えなかったらしいアルバート・フィッシュ、名前を残したかったから政治家を撃った馬鹿もいる…最後に思い出したのは歪んだ顔で、見るからに怪しい男、360人殺しのルーカスである。

「あーん…怪しい…三内丸山…ですかねぇ」

「三内丸山?」

「あえ、いや、忘れてください、はい。ちょっち変な奴ってだけで…すいません、ちょっと頭がどうかしてるみたいで」

「そうみたいだ」

 警官は眉をひそめた。古子は包帯の巻かれた手で申し訳半分、照れ半分で頭を掻いた。

 そして古子に関しては結局「心当たりはない」ということになる。そりゃそうだが、そうであることがやはり少し怖い。

 古子は三内丸山が犯人であればいいのにと軽く思った。三内丸山は同じ学科にいる、子汚い恰好をした、ニーチェにかぶれた“自称”超人だ。つまり永劫回帰というのを信じていて、自分がいつか死ぬってことを素直に受けとめている。「死への心理の五段階」をすっ飛ばして生きているのだ…もちろん自称だが。

「死ぬって受け止めてるやつが爆弾で事件起こすかね…いや、自称だけどさ」

 古子は三内丸山と話したことはなかったが、やりそうにないなと思い、少し申し訳ない気分になった。三内丸山、すまん、とつぶやいて、事件についてはもう「どっかの馬鹿が無差別に爆弾を仕掛けやがった」ということにしようとした。あとは死に損なった自分に誰かが爆弾を送り付けてこないように祈るばかりであった。

 しかしそうもいかない。残念ながら未来から見れば過去に起こったことのすべては蓋然性に満ちているもので、今回のこれにしたってそうだ。爆弾を仕掛ける奴には、あるいは本人なりの理由があり、完全な無差別で古子が狙われたなんてことはない。例え花占いよろしく選ばれたとしても、古子が選ばれたことに変わりはないのだから。

 なぜ古子だったのか、それは重要なことだったのだ。

 

                 ▼




「作家じゃないほうの中里介山のせいよ」

 という、MMRみたいなことを言い出したやつがいる。


 病室にソイツが現れたとき、古子はむしょーに足を掻き毟りたくて仕方なく、先ほど点滴の交換の時、針刺しに失敗した妙齢の看護婦に「なるほど不器用で男を満足させられなかったんですね」と言った直後であった。後悔とこれからの憂鬱を抱えながら、まずい病院食で気分がミッドナイトブルーに落ちたころ、病室の扉がたたかれる。

 そういやいたな、こんなやつ、というのが、古子の感想である。

 長袖の白シャツに、白いジーンズ、アタッシュケース。バックストリートボーイズみたいな恰好の長髪の女。

 勘弁しろよ、て感じ。三内丸山の次に思い出すとしたらこの女だったろう。そう、彼女こそ、超現本党のミス・アンアイデンティファイドこと、グスク・ニエである。

 はい、紹介終わり。こいつに関しても古子はあまりイメージはなかった。しかし、哲学かぶれとオカルティストであったら爆弾を扱いそうなのは後者だと思う。前者が爆発させるなら檸檬がせいぜいだろう。

 古子は冗談半分に、しかし多少グスク・ニエに注意を払うことにした。

「…大菩薩峠に目のついた逆三角でも見たの」

 古子はうんざり顔でそう返した。

 ノンノン、とグスクは指を振った。古子は大変苛つきを覚えた。

 こいつ本名城二枝のくせに…。

「言ったでしょ、中里介山は作家じゃないわ。嘉仁宗っていう宗派の呪術師よ」

「呪術師が爆弾を?ハイテクだな」

 古子の呆れ声。しかし効果はいまひとつのようで、グスクは眉をピクリとも動かさず、張り付いた笑顔のまま目を真剣なまなざしで話を続ける。

 どころかアタッシュケースから四つ折りのホワイトボードらしきものを取り出して病室の壁にぺたりと貼り付けてしまう。ポケットからペンを取り出し、何やら記号のようなものを書き始めた。

 あ、違う。これはアパートの周辺の地図だ。

「いいかしら…あなたのアパートが、ここ…」と丸を書く。「大錆寺、知ってるかしら」

「一応ね。心霊スポットでしょ、随分前に火災があって以来そのまま…納骨された無縁仏の霊が出るとかなんとか…」

「そうそれ」ザッツライト、とグスクは言った。斜め上に丸を書く。

「大錆寺はあなたのアパートのちょうど北東に位置しているわ…まずね、これはあんまり重要じゃないんだけど、風水的にはあなたのアパートは割と最悪だわ。恩恵ゼロ。まあ信心深くなきゃほんと関係ないから置いておくとして、北東よ。風水的に最悪でも、霊脈は通っているわ。というより、四次元的な管ね」

「はあ?」

「大錆寺から、斜め下、向こうから見て北西のほうに線を引くの。霊脈にはいくつかあるんだけど、北西の霊脈は煉獄行きになる霊が多い」

「それが」どうしたの、と言う前にグスクが。

「煉獄っていうのは、言葉自体はカトリックから来てるんだけど、ほんとは別物よ?訳すときに混同されちゃって…まあいいわ、煉獄っていうのは、地獄で罪を贖ってから輪廻転生の輪にのせるのか、そのまま直行か、どっちかを決める場所のこと…そこにいく霊が通るラインが、貴女のアパートの、もっというと貴女の部屋の前をぶち抜いてるの」

「………よくわかんないけど」古子は言った。「なんで爆破したの」

「失敗したけどね」

 いい質問、とばかりにグスクがウインクするので、さらに古子は苛ついた。

「霊脈を壊すことによって煉獄に向かう霊を解き放とうとした…たぶんね。それからどうしようとしたかはちょっとわかんないけど、いい目的ではないわね。教えに背いてるもの」

「ちょっといい?」

「なに?」

「それ、説明しに来たの」

 古子はホワイトボードを指さした。

「違うわよ」グスクは不満そうに言った。「これはただの前提の説明。本題はこれから」

「本題」

「そう。本題はね…まあわかると思うけど、霊脈の爆破は普通の爆薬じゃ無理だわ。普通の爆薬っていうのは…そうね、ニトログリセリンとか黒色火薬のこと」

 グスクは地図の横、空いたスペースにまた絵を描き始めた。二本線を描いて霊脈とし、そこに爆弾を乗っける。

「霊脈っていうのは半物理現象なの。形而上と物理の間ね。これに影響を与えられるのは、大きく三つ。電子爆弾と、原子爆弾と、気化爆弾。今回使われたのは気化爆弾ね。まあナパームだからちょっと違うけど…同じようなもんよ、霊脈的には」

 これが本題なのか、と古子は思ったが、黙っていることにした。面倒だった。

「この三つの共通点はね、どれも使うやつがいないってことね。昔はバカスカ実験だのなんだのとやってたけど、あのフィラデルフィア以来…ごめん、ちょっと脱線。うん、霊脈に影響を及ぼすからってどれも使いづらいようにしているわ。ナパームもそうなんだけど…今回のはちょっと違う」

「………」

「ナパームの威力が弱かったからね、あれを仕掛けたのが呪術で威力を強化して穴をあけやすくしたのよ…本当だったらそれこそナガサキ・ヒロシマぐらいやらないと霊脈に穴なんてあけられないから」

「端的に言うと?」

「貴女呪われてるわ。あと一カ月ぐらいで死ぬわよ」

 長かった。非常に長かった。

「…あのね、グスクさん」古子は溜息を吐きつつ言う。「私、お父さんとお母さんからね、古物商と宗教だけは信じるなって言われてるんだ」

 言った。古子はグスク・ニエがどう反応するか、予想することができなかったが、それでもグスク・ニエが物悲しそうな顔をして、今度もう一度来るから、と言ったとき、意外だと思った。最初に言うべきだったと後悔して、なんでこんな気分にならないといけないのだと怒りを覚え、最後は爆弾魔を半殺しの目にあわせようと誓った。

 もちろん冗談だが。



 グスク・ニエの電波的な話はさておいて、二件目の事件が起こる。それはこの間よりも若干性能の上がった爆弾。仕掛けられたのは古子のアパートから10㎞ほど離れたところの一軒家。

 小野崎一家のうち、父親の小野崎洋介(四十九)と母親の小野崎志保(四十三)が死亡。二人の娘のうち、上のほう、小野崎加恋(十九)が頭を打ち、意識不明。残る次女の小野崎美玲(十四)が軽度のやけどで入院した。

 テレビでは連日、警察の会見が流され、社会学者が論じ、一部の政治家は二〇一三年のオリンピック爆破事件を引き合いに出して移民の取り締まりをしようと言った。

 病院の入り口には報道関係者が詰め寄り、ちょっとカーテンを開こうものならカメラに狙い撃ちされる。足が動かなくてよかった、と古子は思った。運ばれてくる料理よりはまだマシな食堂に、報道関係者のせいでいけないとなれば、自分はまた迂闊なことを言いそうだから。ただでさえ億劫なのだ…。

 小野崎姉妹は同じ病院にいて、小野崎美玲がときたま古子の病室の前を通る。ときたまのときたま、警察の目をかいくぐったどこぞの馬鹿が小野崎美玲に突撃する。

「あの野郎、ぶっ殺してやる」という記事がすっぱ抜かれたのは、そんな時。口が悪いらしい小野崎美玲による犯人へのメッセージである。延々つづられた呪詛と、怨嗟の総括。この端的かつ明快な一言を見た犯人が何を思うのか、興味深いものだ。

 もう一つ、ほんの少しだけ、意地悪く思ってしまったのは、もちろんグスク・ニエ。残念ながら大錆寺から北西にないところで爆破事件が起こってしまった。あれが今どんな顔をしているのか、というのも興味深い。

 逆に興味深くないこと。

 一つは、ジュード・ロウの吹き替えみたいな声の警察官は、もう一度古子のもとを訪れて、前と同じことを訊いてきた。小野崎姉妹について命に別状がないことを教えられ、小野崎美玲が自分と話をしたがっていることも聞いた。

 古子は小野崎美玲と話したいことなどなく、むしろ話したくない旨を、伝えたりはしなかった。向こうはモンテ・クリスト伯のような憎悪をためた少女だ…そんなものと会話すればどうなるのか想像に難くない。

 適当に、適当に。来れば逃げられないんでしょうねと言った。不謹慎な冗談だし、本心が隠しきれていなかったが、警官は何も言わなかった。

 もう一つは、古子の父親から電話があったことだ。

 古子の実家は青森にある。爆破事件があって、警察から連絡はいっていたし、傷もたいしたことないから来なくてもいいとは言ったが、向こうから電話があるとは。

 父親の声は古子が上京してからとそう変わっているからわからなかった。ザビエル禿をニット帽で隠し、スキージャケットのような質の服を羽織っている。そのまま果樹園のほうにいって仕事ができそうな、父親の普段着を思い出す。

「体は?」と父親が問う。

「まあ、痛いっちゃ痛いけど、死にはしないみたい」

 一か月後は知らないけど、と頭の中で付け足す。

 そうか、と父親は返した。どうにも疲れた声をしていて、母親と喧嘩したのだろうなと古子は思った。

「母さんも心配してたよ」

「そう」

 嘘だな、と古子は理解した。

 母親は古子の上京に一番反対していた。高校を卒業したらさっさと結婚させるつもりだったのだ。古子がバイト代を貯めて東京の大学を受験したことを知ると、古子を激しく責め立て、受かるわけないと罵った。結果、受かってしまったときのことは忘れられない。母親には包丁を片手に見送られた…いや、見送られなかった。

 父親には母さんを責めるなと言われた。古子は母親の心情を把握していた。母親が青森県外から嫁いできたことをしっていたし、生前の祖父母が母親にいい感情を持っていないことも知っていた。だから古子は母親を責めるつもりなどなかったのだが、父親はそう言った。今もまた、言外に責めるなという。それが古子をイラつかせる。

「今の時期、けっこう忙しいんじゃないの。私は大丈夫だから、心配しなくていーから」

 後日、父親はかごいっぱいの果物を送ってきた。

 小野崎美玲の襲撃を受けたのは、この直後である。

 来客の多い部屋だこと。

 ああいやだいやだ。なんでこんなクソつまんないこと続けなくちゃいけない。

 病室の扉に小野崎美玲の影が映ったとき、古子はすでに憔悴している。

 小柄な少女が意思のこもった眼で病室に入ってきたとき、古子は胃が痛くなっている。

「わたしは小野崎美玲と言います。貴女の後にやられました」

「………」

 古子は黙って小野崎美玲に視線をやった。病衣ながら威圧感のある子。話し口は丁寧だが、脅されているみたいな気分になる。

「このたび、というか明日、退院する運びになりました」

 小野崎美玲はそう宣言した。

「わたしはこの事件を調べることにしました。警察に任せるには、わたしは深いところにいすぎるから…気になることは徹底的にやる主義なんです」

「………そう」

「貴女は気にならないんですか?誰が、何のためにこんなことしたのか」

「ユナボマーに憧れた馬鹿って思ってるよ」

 小野崎美玲は眉をひそめた。

「ユナ…誰です?」

 また馬鹿なことを言ってしまった。古子はひどく陰鬱になってしまう。自然と指が頭へと向かい、頭皮を掻き毟っている。

「ごめん。私今ちょっとアレなんだよ」

「アレ」

 アレ。あれとはなにか。

「別にいいですけど」小野崎美玲は怜悧だった。「気にならないなら、気にならなくても流木さんの知ってること、教えてもらえませんか」

 小野崎美玲はベッド脇の丸椅子に腰を下ろした。

「まず…」と小野崎美玲は言葉を紡ぐ。

 時刻。場所。外見。あとは何も知らない。

 どう考えても参考になるとは思えない。参考になるなら警察がもっと詳しく訊きに来ているだろう。ああ、そうだ、何も知らないというのは、爆弾魔がただの愉快犯である証拠のようなものかもしれない。

 小野崎美玲は何を思っているだろうか…と思ってから、どうせダメ元で訊きにきてるのか、ということに気が付いた。

 古子の話したことを頭に入れて、小野崎美玲はありがとうございますと言った。

 理不尽さを感じた。どこに理不尽があったか、古子にはすぐわからなかったが、古子は確かに理不尽を感じた。感じたはずだ。さっきまでの陰鬱さとは別種の苛つきを古子は抱いていた。

「なんでだ…?」と言葉を零す。

 しまった、と思った。

 立ち上がりかけていた小野崎美玲は酷い目で古子を見やると、丸椅子に座りなおした。丸椅子が跳ね、抑えつけられ、大きな音を立てた。

「なんでって、尊厳のためですよ」

 小野崎美玲は力強く宣言した。そしてそれは正しかった。

「どこかの野郎か女か、なにを思ってか爆弾を仕掛けて、私の家族を奪いやがったんです。復讐しなきゃ嘘です」

「………」

「だから、何も言いません。腕の骨一本と警察じゃ割に合わないなって、わかってます」

「そんなの聞きたくない」

「はい」と小野崎美玲はすまし顔。

 それにイラついてしまったのだろう、古子はくむと唇を噛む。

「はいじゃないよ。ここにきて私が何を知ってるわけじゃないってわかってたはずだろ。警察がなんて質問したか思い出せよ」

 古子は耳の後ろを引っ掻いた。小野崎美玲は今度は不満げな顔ですいません、と謝った。

 古子は深く息を吸った。気まずさに負ける。空気を変える言葉を探して、「あのさ、私に訊くよりもいい人、いるよ」と言った。

 あの電波話もこの子からすればいい情報源になるかもしれない。

 グスク・ニエからしてもこう熱心な子のほうがやりがいがあるだろう。


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