第3節 Chattering Teeth



 ばたん、と車のドアを閉めたところで我に返った。

 視界にあるのは、いつもの2階建て木造アパート。意識のないまま帰宅していたらしい。とにかく今日は疲れた。息もしたくない。部屋に戻ろう。身体がのろのろと部屋に向かい始める。

「こんにちは、国立先生」

 すると、あの声が、あの笑顔が、意識に入ってきた。

 苫田高校の制服を身にまとい、リズミカルに玄関の扉で背中を弾ませている彼女がいた。両手からぶら下がる買い物袋も踊っている。

「今日は早いですね。学校はいいんですか?」

 月島霧子。

 私を学校から追い出した張本人。

「数学の授業はどうでしたか? 男子バレー部での指導は充実しましたか? 学校のみんなとは仲良くできましたか? 体調は万全ですか?」

 こいつはどんな神経をしているんだ。なぜいつもどおりの顔ができる。

 私は、怒りを覚えながらも、得体の知れない恐怖感に襲われていた。

「あ、そうそう」

 にやぁ、と満面の笑みを浮かべる。

「花本先生と感動の再開をしましたか? 人目を忍んでのお話はさぞ楽し――」

「黙れっ!」

 考えるよりも速く、月島の襟を締めあげていた。

 それでも彼女はまゆひとつ動かさない。あの笑顔のままに、私を見つめている。

欠伸あくび、やっと止まりましたね」

「どういうつもりだ!? こんなことをして楽しいのかっ!?」

「もう退屈しなくていいですよ。恋愛なんてただの暇つぶしですから」

「お前も無事じゃすまないのが分からないのか!?」

 わしづかみにしている手に力が入る。

 次第に月島の表情が曇ってきた。彼女が息苦しそうに表情をゆがめると、買い物袋が床に落ちる音がした。

 ようやく月島の首を絞めていることに気づいた私は、月島を解放する。

「もう先生を退屈させません。約束は守ります」

 月島はのどをかばいながら、がらがら声でしゃべる。

「あんなつまらない学校なら、辞めたほうが身のためです」

 月島はゆっくりと買い物袋に手を伸ばし、「大丈夫かな?」と中身を覗き込んでいる。

「今日はお疲れ様でした。美味しいご飯を作ってあげますから」

 私の心から怒りの感情はすっかり消えていた。代わりに支配するのは怯え。

 この何を考えているのか分からない存在に、凍えるような思いがした。

 おかしい、おかしい、おかしい。どんな思考回路をしていたら平然としていられる……?

「心配しないでください。今日は襲いません。腕力じゃ勝てなくなりましたし」

「……なぜ平気なんだ……月島も渦中にいるんだぞ……もう平和な毎日は戻ってこないんだぞ……」

「あ、だとすると私が襲われたら抵抗できませんね。先生、女子高生とするチャンスですよ?」

「……教えてくれ、月島……なぜだ、なぜここまでして、いつも通りなんだ……」

「顔色が悪いですよ? 襲う元気も残っていないんですか?」

 仕方がないですね、と月島は手を伸ばす。

 だらりと握っていたキーホルダーを私から取りあげ、一人で勝手にドアを開けてしまった。

「お邪魔します」

 月島は小躍りしながら、室内へと入っていった。

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