第1節 Talking over

「どうぞお座りください」

 接客用の皮張りソファを勧められる。

「私がいない間に、一体何が起きたんですか?」

 私はソファに座りながら、すぐさま本題に入る。

「今朝から会う人間全員に逃げられてばかりです。まるで身に覚えがないのに。苫田高校はどうしてしまったんですか」

「国立先生に心当たりはないのですか?」

「ええ、まったく」

 多崎校長は「そうですか」と言いながら席についた。

 両手を組みながらソファに背中を預け、深いため息をつく。ぎゅぅ、という皮張りのソファがよじれる音がした。

「私が聞き及んでいることをお話します」

 多崎校長は言葉を選んでいる。一目でそうだと分かる態度だった。

「2年2組の月島霧子から訴えがありました。担任の国立一弥の自宅にて胸を触られた、それは性的関係を求められたからだと」

 胃酸が込みあげてくる。一瞬で頭が沸騰した。

 馬鹿な。

 月島のほうから自宅に転がり込んできて、性的関係を迫ってきたんじゃないか。

 強引に触らせてきたのは月島だ。嘘八百を並べ立てるにもほどがある。

 あまりにも多くのことで頭を占領され、そのどれもが言葉にならない。ただひたすら悔しくて両手に力が入るばかりだった。

「個人的な印象ですが、月島霧子が本当のことを言っているようには思えませんでした」

 多崎校長は、私の握りこぶしを一瞥する。そして「先生を信じている人間もいます、私を含めて」と、なだめるような発言をした。

「ただ、月島霧子を信じる人間もいました。勉強もできる、部活も続けている、大人しく真面目な生徒。女性かつ未成年という社会的立場も後押ししたかもしれません」

「そう、ですか……」

「保護者や教育委員会の一部にも、この話が伝わってしまっています。その火消し作業に学校全体が追われ、すっかり疲弊してしまっているのが現状です」

 かく言う多崎校長も、目の下にくまを作っていた。

「ようやく落ち着いてきたのが最近でした。そこへ国立先生が復帰された。先生を疑っていてもいなくても、複雑な気持ちになってしまうのが人情でしょう」

「…………」

 またも月島に出し抜かれた。それ以上の感想を抱けない。

 ――もう退屈できませんから――

 あの台詞。

 まさに有言実行だったとは。

 あんな話をされては、学校で仕事をしている場合ではない。月島の援助交際の話が、どれほど無害なものであったのかを再認識していた。握っている手はすでに癒着ゆちゃくしてしまったかのようだ。

「単刀直入に申しあげます」

 多崎校長はソファから上体を起こす。

「現状のままだと仕事は無理です。校長として決断をお願いしたいと思います」

 校長としてのお願い、という言葉は依頼ではない。校長権限を持った発言だ。拒否することはできない。「選択肢はいくつかあります」と続ける。

「その1つは月島霧子と争うことです。正面から無実を訴えて、汚名を晴らす。ただ、現状での勝算は低いと思います。正直に言えば、学校経営に携わる身としては、争いは避けて欲しい」

 脂汗が脇から落ちてきた。

 この30年ほどの人生で、一度でもこんな状況が起きたことがあっただろうか。

「2つ目は休職です。しばらく休めば復職も可能になるかもしれません。もちろん、月島霧子の訴えが正しいことを暗に認めることにつながってしまいますが」

 これは国立一弥を主人公にした小説なのではないか。

 主人公を襲うトラブルの連続。女子高生との不祥事。まるで誰かが妄想したかのような現実味のない事件。そう考えてしまうほどに私はすっかり参っていた。

「他にも、ここから転職したり、弁護士に相談したり、いろいろな手段が考えられます。私としては国立先生ご自身に、納得のいく決断をして欲しいと願っています」

「……は、はい」

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