第2節 夢想中
「ここはどこなんだ」
そう、言葉にする。だが私の声は、周囲に染み入るようにかき消えた。周囲に人の気配はおろか、音声が反響する物体すらない。
ない。
何もない。
色も、かたちも、上下も、左右も。
見ることも触れることもできない真綿に包まれているような、そんな感覚が、でっかいペンチで締めあげるほどの苦痛をもたらしている。
――またこの夢だ。
私は重苦しい苦痛にありながら、自分の置かれている状況を冷静に捉えていた。いつもの悪夢だ。このあと、私は大声で叫ぶことになっている。お約束の展開ではないか。
「月島霧子には気をつけてください」
だが、不意に聞こえてきた男の声が、私の予想を覆した。
どういうことだ。ここで私は目覚めるのではなかったのか。
それにこの奇妙な男は誰なんだ。なぜ私に助言する。
眼前には見慣れた風景が広がっている。下駄箱、職員室の扉、コンクリートの床。全部、苫田高校の校舎の一隅。
あとやけに眩しい。満足に目を開くことができず、男の顔がはっきりと見えない。
さらに奇妙だったのは、周囲に誰もいないことだ。不気味なほどの無音に包まれている。
「どうして月島を警戒するんですか?」
その男は無言で
「せめて理由を教えてください。
先生。私の口はたしかにそう呼んだ。この男のことを「千早先生」と。
――そうだ、思い出した。
この人は
花本先生が来るまえに国語を担当されていて、いつも柔和で物静かで、困ったときはさり気なく助けてくれる、そんな存在。いつの間にか学校を辞められていて、ひどく寂しく感じたことを覚えている。依願退職されたのだと、あとで多崎校長から教えてもらったのだが。
「とにかく月島の話を聞かないように。卒業までの辛抱です」
「さっきから話が分かりませんよ……」
「いいですか、私はちゃんと警告しましたからね」
千早先生はいきなり背中を向けて、逃げ出すようにその場から離れていった。
何が何やら分からない。どうして千早先生がいるのか。月島に耳を貸すなとはどういうことか。
「国立先生、どうしたんですか?」
その声と一緒に、肩に手が置かれる。
びっくりして振り向くと、きょとんとした月島の顔があった。
「私の顔、おかしいですか?」
「いや、ここに男の人――違う。千早先生だ。千早先生のことで何か知らないか? さっきまでここにいたんだが様子がおかしくて」
「チハヤ? そんな先生いませんよ」
「思い出せ。千早黒樹先生だ。ここで国語を教えていたじゃないか」
「先生こそしっかりしてください。国語を教えているのは花本先生ですよ? 私がここに入学したときからずっと」
そんな
どうして月島は憶えていないんだ。1年生のときの担任は千早先生だったはずなのに。
「安心してください。私は国立先生のことを忘れたりしませんから。たとえ学校を辞めても、先生じゃなくなっても」
「月、島?」
月島は、私の腕に指先を
緩やかで弱々しい動き――だと思われたのは一瞬だった。すぐさま爪を立てて、ぎりぎりと力が込められる。
「私、楽しみはとっておきたいんです」
月島が笑った
「私が誰だか分かるな」
「お前は、月島、じゃない……」
「私は国立一弥。お前そのものだ。千早黒樹の次はお前だ」
にやぁ。
国立一弥は笑顔を浮かべた。
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