第2節 狂言綺語

「先生は、ソシャゲって分かりますか?」

 私からの返事がないからか、月島は話を続ける。

「アイテム集め・レベル上げ・キャラ揃え。これをひたすら繰り返すんです、ぐるぐると同じイベントを周回して、時間をかけてクリアするために。でも、アップデートされてクリアは先延ばし。また努力してもまたアップデート。要するに飼い殺しなんです」

 ゲーム会社が潰れなければの話ですけれど、と補足する。

「……何が、言いたい」

「学校も一緒だって思いませんか。1年生が2年生になって、そして3年生として卒業する。山のように意味のない仕事ばっかり。キリギリスという目のかたきがいない、働きアリみたいに」

 月島はアームレストに両手を乗せて、私に迫ってきた。

 目の前には黒曜石の瞳。上から覗き込まれている。

「朝から晩まで同じことばかり。なんでこんなことを続けないといけないのかって思いま――」

「思わないな」

 私はにべもなく答える。

「前にも言ったが、この仕事には満足している。教師の使命に誇りを持っているからだ」

 すると月島の口は、へえ、と声を出さずに驚いた。

「本当ですか? お仕事中は、とても退屈そうですよ?」

「……退屈? 私が? 何を言っている、馬鹿馬鹿しい」

「じゃあ、どうしてずっと欠伸あくびしているんですか?」

 月島は何を言っているんだ。

 この私が仕事中に欠伸などするはずが。

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(そろそろ中間試験の問題を完成させないとな)

 大きく伸びをしたら、欠伸が出てきた。

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 私は、職員室にある自分のデスクに腰をおろすと、ボストンバッグを脇へ置き、休止状態のPCを再起動させた。作りかけの中間試験問題が画面に蘇る。キーボードを叩き始めると、不意に欠伸がこぼれてきた。

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(今日の数学はここまで)

 私は、予鈴がなると同時に、手にしていたチョークを黒板に戻した。

 すぐさま日直に終わりの号令をかけさせる。教室に開放感が広がっていった。三々五々。生徒らは仲間グループを作って、わずかな休憩時間を謳歌し始める。一定のスピードで上下左右に動く黒板消しを見ていると、欠伸が口をついて出てきた。

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(いや、気にする――)

 な、という言葉と一緒に、大きな欠伸が出てきた。(寝不足っすか?)と佐々岡が表情を曇らせながら聞いてくる。

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(ちょっと遅れたかな)

 ふわぁ、と欠伸が漏れる。腕時計の時刻は18時30分を指していた。私は砂利の浮島を飛び跳ねながら急ぎ、苫田高校の指定会場である「菊の間」を目指す。

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 脳内に欠伸ばかりしている様子が浮かんでくる。学校にいるときもそうでないときも。

「ち、違う」

「何が違うんですか?」

「……疲れていただけだ。仕事に打ち込んでいたから、それで疲れが溜まっているんだ」

「じゃあ、先生は疲れていただけなんですね。だから欠伸ばっかりしていた」

「そ、そうだ。間違いない」

「だったら、これ使ってみます? よく眠れるらしいですよ」

 すると月島はポケットから何かを取り出した。

 銀色の定期券くらいの大きさのそれには突起物があり、押せばそこから錠剤が出る――これ、は、見たことがある、たしか、私が使っている……。

「デパス」

 月島が思考よりも早く、その単語を言った。「とっても効き目の強い睡眠薬なんですってね。だから処方箋がないと買えない」と饒舌じょうぜつに語る。

「ええと、大森心療内科でしたっけ? けっこう近くにあるんですね、こういうお医者さんって」

「……どうして、そのことを――あ、あの雨の日、か」

 月島は微笑んだ。にやぁ、歪に唇を曲げる。

 着替えるために校長室に行ったとき、ボストンバッグを置きっぱなしにしていたから。

「先生、教えてください。誇りや使命を感じて、満足を与えてくれる仕事って、睡眠薬を飲みながらじゃないとできないんですか?」

 私の反応を楽しむように、三日月のようなかたちの両目で観察してくる。

「本当は逆じゃないんですか? 意味も面白みも感じなくて満足できないのに続けないといけないから、眠れなくなる」

 騙されるな。

 月島は挑発しているだけだ。

 私のことなど何も分かっていない。当てずっぽうにしゃべって反応を見ているに過ぎない。

「我慢しているんですよね? 意味がないのに忙しいだけの毎日」

 違う。そんなはずがない。

 教師は、よりよい子どもたちを送り出すための仕事。意味がなければならないんだ。

「でもごまかせないから、一日が終わるとこう思うんです。ああ、今からでもいい、楽しくて刺激的なことは起きないだろうかって。さもないと一日の我慢が救われないじゃないか。面白いイベントが起きるまで寝てやるものか。それで不眠になってしまう」

 退屈なわけがない。

 子どもたちの成長に毎日向き合える、夢のような仕事。

 睡眠薬は心の失調なんだ。仕事とは関係ないところで、リズムが崩れているだけに過ぎないんだ。

 先生方が一生懸命仕事をされているのに、退屈などと贅沢なことなど言っていられない。身を粉にして働いていなければならないんだ。

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 今日の授業も、まるで作業のようだった。

 教科書に沿って、学習内容を提示して、公式や解法を覚えさせて、その理由や来歴を分かりやすく解説して、まとめて終わり。……この工場労働のような授業をするために、私は教師になったのか。

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 そつなく部活指導をこなしつつも、私はこの作業にも疲れていた。……まるで営利のためのバレー部のように感じられる。稼ぐためのスポーツが学校で行われていいのか。

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 またも脳裏に、苫田高校での仕事風景が浮かぶ。その意味を自問自答し続ける光景。

 どういうことだ……。

 私は、もしかして本当に、この仕事のことを……。

「自分に嘘をつかなくてもいいのに」

 すると月島は声色を一転させ、柔らかいものにした。

「退屈を認めて、刺激的なことをすればいいんです。それだけで解消できますから」

「……それで援助交際になるのか」

「はい」

 月島はさらに顔を近づけ、そっとつぶやく。視界のほとんどを黒曜石の輝きが支配した。

「刺激的ですよ? 現役教師と女子高生との肉体関係って。きっと大騒ぎになります。いつも善人面のみんなも、このときばかりは汚い本音を隠さない」

「……悪い生徒だな」

「はい」

 じわりじわりと接近してくる黒曜石。

「だが、月島の思う通りにはならない」

 私はそれを片手で遮ると、ゆっくり月島を押しのけた。

 そのままリクライニングを起こして、ウィンドウの外に意識を飛ばす。

「私は教師だ。教え子を抱くなんてできない。わざわざ生きがいをどぶに捨てるような馬鹿なことはしない」

「先生の嘘は、いつも面白いですね。聞いてて飽きません」

 月島は助手席のドアを開ける。

「その嘘、また聞かせてください。楽しみはとっておきたいんです」

 そして助手席から飛び降りると、学校の正門へと走っていった。

 私の足元には膝の上に乗っていたボストンバッグが、力なく転がっていた。

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