第5話 脚下照顧

「以上です。先生方のほうでありますか?」

 多崎校長が職員室を見回す。

 協議事項と報告事項を終えて、早朝の職員会議が終わることを示すお約束の台詞だ。

「すみません、急なことですが、ご相談があります」

 私は、お約束を破って挙手をした。多崎校長から「どうぞ」と返事がくる。

「先日の日曜日、岡山駅のコンビニエンスストアで、2年2組の柴田麻生と武田邦明を目撃しました。時刻は23時頃です」

 えっ、という嫌な予感が職員室内に走る。

「当人らの説明によれば、日曜日の練習試合で快勝したため、気分よく遊びに出かけたそうです。その流れのまま夜を迎え、駅周辺で飲酒するつもりだったそうです。たまたま私が現場に居合わせたため、未然に防ぐことができました。それから生活指導を行い、タクシーで2人を自宅まで送り届けました」

 私が説明を終えると、職員室の時間が止まった。事実の咀嚼そしゃくに時間をかけているようだった。

「柴田麻生と武田邦明はアルコールを飲んでいない、ということで間違いありませんか?」

 最初に沈黙を破ったのは多崎校長だった。

「間違いありません。酔っ払っているようには見えませんでした」

「本人たちの様子はどうだったんでしょうか?」

「いたって真面目でした。悪いことしたという自覚もありますし、反省もしています」

「ご両親への説明は?」

「自宅まで送ったあとに事実を伝えました。どちらのお母さんも驚かれていましたが、2人が飲んでいないことと、年頃の男子にはありがちな傾向であることを説明させてもらいました。納得はしておられない様子でしたが、理解しているみたいです」

 多崎校長は、机のうえで指を組むと、その上に顎を乗せた。

「あくまでも私の考えですが」

 そう職員室の流れを引っ張る。

「停学処分までは不要でしょう。柴田麻生と武田邦明が飲酒しておらず、反省もしているからです。ご両親へはこちらの指導体制について説明して理解を求めましょう。処分して話を大きくするのは得策ではありません。インターハイ直前という点も考慮しなければなりません」

 多崎校長は部屋全体を視線でなぞる。

 反対意見があれば言って欲しいという合図だ。

「もちろん国立先生の対応のみというのは認められないでしょう。普段から飲んでいる可能性は否定できません。柴田麻生と武田邦明には、国立先生との面談のうえ、反省文を提出させるのがよいと考えています。もちろん、他の先生方からも、風紀の引き締めのため、HRなどの時間を利用した生活指導をお願いします」

 あの一瞬で考えたことを、よどみなく説明する。

「先生方のほうから、ご意見ありますか?」

 多崎校長の問いかけにも沈黙を貫く。さきほどの説明で、すべてが尽きていたことを示していた。

「……あのあとですか……?」

「……はい、実は……」

 私と花本先生は、顔を寄せ合い、小声で会話をする。

「では、提案通りのご対応をよろしくお願いします」

 鶴の一声で職員会議はお開きとなった。

 会議が普段より長引いたため、先生方はせきを切ったように職員室を出ていく。

「国立先生、またあとで」

 花本先生もそよ風のように立ち去った。

 私も職員室を離れようとすると、校長から「国立先生」と呼び止められた。

「手間をかけるが、2人の報告書を今日中にお願する。面談もできれば一両日中に」

「はい、承知しています」

 多崎校長は、ふぅ、と安堵あんどのため息をついた。

「ついでに、こっちの面倒も見てやってくれ」

 そして視線を隣のデスクに移す。つられて視線の先を見てみると、黒い背表紙のノートが置かれてあった。『2年1組』というと書かれた表紙ラベル。花本先生のクラスの出席簿だ。慌てて忘れてしまったのだろう。

「分かりまし――」

 た、と言う前に、鼻からつるつると鼻水がこぼれ落ちてくる。とっさに手で受け止めていた。

「風邪か?」

「分かりません。昨日から寒気がしていて」

「ならさっきの発言は撤回だ。今日はさっさと帰れ」

「ですが――」

「インフルエンザにかかって学校閉鎖にされては堪らん。柴田と武田の面談は、俺がやっておく」

 そう言いながら多崎校長は出席簿を差し出した。私は小さく頷いてそれを受けとると、1組の教室を目指した。

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