第6節 卒倒する放課後



「次は祭政さいせい会病院前、祭政会病院前。こちらでお降りのかたは、押しボタンにてお知らせください」

 車内アナウンスに応えるものはおらず、私の乗るバスは、次の目的地である岡山駅をひた目指す。夕方からの慰労会の会場がある、駅周辺の繁華街に行くため。

 期末試験も終わっていないこの時期に慰労会を開くのには理由がある。学期末は採点作業などに追われ、先生方が忙しいため、中間試験の直前にするのが苫田高校の流儀だった。

 学校を出るとき、多崎校長から珍しいことに「英気を養ってこい」と優しく声をかけられた。それほど私の表情は曇っていたのだろうか。

 とにかく屋上での一件は、訳の分からないことだらけだ。

 佐々岡と月島は間違いなく屋上で出会っている。一体、2人で何をしていたのか。どうして屋上だったのか。そのことの確認をしなければならないのに。屋上から戻ると、もう佐々岡の姿はなかった。柴田と武田に聞けば、体調不良で早退したのだという。

 月島にも頭が痛い。物静かで大人しい性格だと思っていたのだが。

 ただ、間違いないのはやはり援助交際など発生してない、ということだ。屋上に散らばっていたげた塗装片。私と月島が移動するだけで、ばりばりと足元で砕けていた。つまり、それまで誰もそこを踏みならしていなかったことを意味する。定期的な「売買」をしていない状況証拠だ。

「次は岡山駅、岡山駅。こちらでお降りのかたは、押しボタンにてお知らせください」

 考えごとの切れ目で、バスが目的地に到着した。


多幸衛たきべえ』――間接照明に照らし出される、木目調の看板。

 岡山駅で下車し、柳川通りという飲み屋街まで進み、その看板のある店舗に入る。

 看板の他には、季節外れの門松が飾られていた。そこから店内に続く道には、敷き詰められた砂利が続いており、その所々に、浮島のような足の踏み場が設けられている。

 ここは苫田高校御用達。地元瀬戸内でとれる海産物を出しており、ワタリガニの味噌焼きや、タコの炭火あぶり焼きが美味しい。代金も相応であり、近隣の大学生などは足を運ばないし、高校・大学のアルバイトもいない。それが御用達の理由だ。

 教員は業務上知った生徒の個人情報について、一生涯、口外してはならないと法令で定められている。だが教師と言えども人間。一日中学校で働いているため、話題は生徒のことにならざるを得ない。だから個人情報が漏れない酒宴の場が重宝される。

「ちょっと遅れたかな」

 ふわぁ、と欠伸が漏れる。腕時計の時刻は18時30分を指していた。私は砂利の浮島を飛び跳ねながら急ぎ、苫田高校の指定会場である「菊の間」を目指す。

「失礼します」

 こっそりとふすまを開けると、先生方がすでにできあがっていて、小さな群島を形成していた。

 左側。花本先生を中心とした、教育について熱く語る島。

 中央奥。香川先生が指揮する、愚痴を共有する島。

 右側。老齢に差しかかるベテラン先生たちが、お酒と料理を嗜む島。

「お、我が苫田高校の主役が来ましたぞ」

 香川先生は音もなく立ちあがると、手で合図をして、私を中央の島へと呼び寄せた。

「さっきまで国立先生の話をしていたんですよ」

「あ、私ですか?」

 言葉を返しながら、香川先生に近づいて行く。

「ほんとのこと行っちゃいますとねぇ。国立先生は人気者だし授業だって上手なんですけどねぇ、そー言うことじゃ幸せになれないって、ことをですねぇ」

 香川先生の言葉に、うんうんと何度もうなずく島国のみなさま。

「女子、女子高生っ! 彼女たちをそのままにしていいのかぁ!?」

「そうですね。2組の連中には、そろそろ進路のことを考えて欲しいのですが」

 私は先生の隣に座り、空になったジョッキを回収中の店員さんに、ビールを注文する。

「なるほど。進学しなくてもいい、と。俺の嫁になれ、と。さすがにできる男は違いますねぇ!」

「……嫁、ですか?」

「そう! 嫁! 女子高生の嫁!」

 私の肩に腕を回し、にやついた顔を近づけてくる香川先生。「うちの校長のことは知っているでしょぉ?」と酒臭い吐息を吐き出した。

 ――お待たせしました――

 店員さんが運んできたビールを手にして、香川先生と小さく乾杯する。

「私はですね? 嫁を選び放題なのに、校長のようにどうして、ですねぇ?」

「分かります、分かります。ええ、先生のおっしゃる通りです」

「先生も人間! 生物としての摂理には逆らえない。食欲・性欲・睡眠欲! 国立先生みたいに女子から近寄ってこられたら、これ、何も起きないほうが変でしょぉ!! 分かりますかぁ!? 分からないって言うんですかぁ!?」

「分かりますから、先生の言いたいことは分かりますから」

 一瞬、月島の顔が脳裏をよぎった。

「先生なんてただの肩書っ! 分子レベルで見たら同じっ! 配列と機能が違うだけっ!」

「分子レベルだけで見たら、人間どころかあらゆるものが区別できなくなるのでは……」

「だから私はぁ、先生のっほとうぉ、ここ心かっ、ら、このままじゃ未来がねっ」

 話がみ合っていない。すでに香川先生は陥落寸前のようだ。


「興味深いお話ですね」

 ちょうど右肩の辺り。凍てつく大地からの声が届けられた。


「私も混ぜてください。話し相手がいなくなってしまって」

 見ればすぐ側に花本先生の姿がある。おかしいな、たしか彼女は教育談義をしていたはず……。右の島を見ると、真っ青な顔をした先生方が死体のように転がっていた。

「大変だ! 救急車を呼――」

「あれくらいで人間は死にませんよ」

 花本先生は冷たく断言する。

 そして香川先生と挟み撃ちにするように、私の隣に座ってきた。目が笑っていない。香川先生は酔いつぶれており、香川島の住人も散り散りとなっていた。つまり、頼るべき相手は誰もいない。

「国立先生は女子高生がお好きなんですか?」

 ひざの上で手をもみながら話しかけてくる。

「それは……、不可抗力と言いますか、ほぼ香川先生のせいと言いますか、女子高生が好きという意味では決してなくてですね。先生におかれましてはご理解とご協力を賜りたいところで……」

「たしかに、私も年をとってしまいました――」

「いえいえっ! 花本先生は大変お若くてですね、しかも立派に仕事をなさっていて、とてもおきれいですっ!」

「あら、ありがとうございます」

 花本先生は微笑んだ。「お世辞でも嬉しいですよ」と但し書きを忘れない。

「何だか楽しいですね。乾杯しましょう」

 すると彼女は、どこからともなくからのビールジョッキを1杯持ち出してきた。そして今度は、米麹こめこうじの香りが立ちのぼる2本の徳利を手にし、ジョッキの上でひっくり返と、日本酒がなみなみと注がれたジョッキが完成した。

「これはハラキリという日本酒ベースのカクテルで、とても美味しいんです」

「日本酒ベースどころか日本酒しか入れてませんでしたよね!? あとハラキリってやっぱり腹切りの意味ですか!?」

「言葉の綾ですよ、綾」

「これ飲んで自決しろって言ってますか? それとも介錯していただけるという意味で、実はクビキリだったりしますか?」

「やっぱり私のようなおばさんのお酒は飲めないのですね。やはり女子高生――」

「いただきます」

 私はジョッキをつかんで、その中身を胃へと放り込んだ。

 だが不思議と変化が起きない。臓腑ぞうふに重みを感じるだけで、意外にも意識はすっきりしている――と思うのは馬鹿ばかだった。すぐさま吐き気が込みあげてきて、視界がぐにゃりと歪む。

「さすがは国立先生です。素晴らしい飲みっぷりでした」

 えるばかりの私に、みなぎっていく花本先生。「もう1杯」とハラスメントを重ねてくる。酷い。

「花本先生、お、お水を……」

「すみませーん、焼酎しょうちゅう2合、水割りでお願いします」

 ふすまを開けて、廊下を慌ただしく走っている店員さんに追加注文を行う。朦朧もうろうとした意識のなか「焼酎はお水なんです」と豪快な嘘が聞こえる。

「香川先生もおっしゃってましたよね。お水もお酒も、分子レベルで見たら同じなんですよ」

「アルコールはたしかに分解したらお水になるな!?」

 先生の嘘八百うそはっぴゃくを水に流している場合ではない。命の洗濯だ。

 すると、焼酎お待ち、と店員さんが「お水」を持ってきた。

「よかったですね国立先生、お水ですよ」

 命をして空にしたビールジョッキにそれを注ぐと、私の手に握らせる。

 抵抗する間もなく、冷たい液体が口から流し込まれた。そして私の意識はアルコールのように蒸発していった。

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