第1節 愉快な部活


「すぐにボールを諦めるんじゃな!」

「はい!」

 苫田井高等学校の体育館。

 白球が激しく床にぶつかる音と、それを上回る大声が、室内に響き渡る。男子バレー部員たちは、スパイクボールをレシーブするトレーニングの最中。台に乗り、手渡されたボールを、ネット越しに打ちつける。一列に並んだ部員たちは、その白弾を順番ずつレシーブする。

「とにかくボールに触れろ! そうすればボールは必ず浮かぶ! ボールが浮かべばチームの誰かにつなげられる! そう信じてボールに突進するんだ!」

 げきを飛ばしながら、ひたすらスパイクを放ち続ける。かごのボールがなくなると、「ここまで」とレシーブ練習を切りあげた。

「ボールを拾いながら5分休憩だ」

 元気よく返事をしながら、部員たちはボールを集め始める。

「佐々岡、ちょっと来い」

 部員の1人が、ボールを両脇に抱えたまま近寄ってきた。

 彼は男子バレー部の部長を務めている佐々岡信二。短く刈りあげられた黒髪に、文学少年を連想させるアンニュイな表情を持つ。喜んでいるとも悲しんでいるとも怒っているとも笑っているとも判断のつかない顔は、部員かつ親友でもある柴田麻生や武田邦明と一緒にいるときも変わらない。

「うちは、ここ一番でサーブを失敗することが多い。部長として佐々岡はどう考える? インターハイに向けてサーブ練習を増やすのはどうだろうか?」

 乱れた呼吸を整えながら、佐々岡は小さく頷いた。ボールを床に置き、後ろ手に組み、天井を見上げたかと思うと、すぐに視線を戻す。

「自分は逆の意見です」

「逆?」

「はい。先生の練習を厳しいと感じている部員がいます。サーブ練習を増やすと、ついていけなくなる部員が出ます。サーブ練習は減らして、練習試合を増やしたいと考えます」

「どうしてだ?」

 佐々岡は、またも天井を見上げて考えてから、私の顔を見つめる。

「サーブの失敗は、練習慣れしていないのが原因です。実力をつけ始めたばかりだから、慣れない場所や相手だと緊張しています」

「なるほど」

 私は、ゆっくりと首を縦に振った。

 佐々岡は目立つタイプの人間ではない。パフォーマンスの高いプレイをするというよりも、チームワークを第一に考え、適切なアドバイスや連係プレイをする。チームをよく見ている佐々岡の意見は無視できない。

「なら他校との練習試合をメニューに入れよう」

 そつなく部活指導をこなしつつも、私はこの作業にも疲れていた。

 バレーが嫌いなわけではない。真面目な部員たちを応援したいとも思っている。レベルが上がっていく部員たちを見るのだって楽しい。

 しかもインターハイに出場して結果を残すことは至上命題だ。それによって学校の知名度を上げ、入学希望者を増やすことができる。野球やサッカーといった花形競技でぱっとしない苫田高校の頼みの綱。

 私立学校の経営哲学としては正しいと思う。だが、まるで営利のためのバレー部のように感じられる。稼ぐためのスポーツが学校で行われていいのか。私の疑念が深まるにつれて、皮肉にも部は活発になっていった。

「明日にでも交渉してみる。ありがとう佐々岡、参考になった。休憩に戻っていいぞ」

 私はもやもやした頭を放り出すために、佐々岡にそう告げる。

「はい」

 佐々岡は一礼して、足元に置いてたボールを拾う。が、その場を動くことなく、天井を見上げている。

「どうした? 天井が気になるのか?」

「……先生は、その、独身っすよね?」

 冗談のつもりで言った台詞に、本筋から逸れた質問で返された。

「女子高生ってどうなんっすか。先生くらいの年だと、厳しいんっすかね……」

 佐々岡の顔からは、真面目なのか不真面目なのか判断ができない。ただ、佐々岡は緊張していないところでは「っす」という口調になる癖がある。

「たとえば門田杏と結婚したいかどうか、という意味か?」

「いえっ、はいっす」

 佐々岡の視線はますます天井に釘づけとなった。

 門田のことが気になっている、のだろうな。私と門田はよく立ち話をしている。その様子を目撃して気を揉んでいたというところか。

「生徒を異性として見たことはないぞ。門田だって月島だってそれは変わらない」

「月島もっすか?」

「ああ」

 すると佐々岡の表情筋がくしゃりと動いた。多分、私の台詞に安心したのだろう。

「変なこと聞いてすんませんでした」

 彼は、深々と頭を下げた。

「いや、気にする――」

 な、という言葉と一緒に、大きな欠伸が出てきた。「寝不足っすか?」と佐々岡が表情を曇らせながら聞いてくる。

「仕事が最近多くてな」

「自分、先生の仕事は分からないっすけど、ちゃんと休んでください」

「そうだな」

 では失礼します、と佐々岡はボールを片づけているメンバーに合流していった。


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