第2節 刺激的な下校


「ここを右だったな」

 助手席に座っている門田がうなずいた。

 門田を乗せた黒い流線型の車が、ゆっくりと小道へと入っていく。

「門田の家庭訪問以来だな」

「はい」

「お母さんは元気にしているか? この間、電話をしたときは忙しそうにしていたが」

「忙しいみたいですが、元気です」

 そうか、という返事で会話が止まる。

 私は自家用車に門田を乗せて、彼女の自宅へと向かっていた。

 部活指導を終えると、真剣な面持ちで、職員室の前で待ち構えている門田の姿があったからだ。

(相談があります)

 そこにいつも一緒の月島はいなかった。

 月島には聞かれたくない大事な話があるのだろう。

(家まで送ろう)

 そう伝えると、門田はかすかに微笑んだ。こんな笑い方もまた見たことないものだった。

「…………」

 苫田高校を出発してから門田の口は重い。

 曲がり角でタイヤのアスファルトに食い込む音が、やけに煩かった。

「着いたぞ」

 門田、という表札のぶら下がっている玄関に車を停める。しゃべらないまま降りようとしない門田。アイドリングのエンジン音に、たかれたハザードランプの点灯音。彼女の返事を待っていると、車窓から見えていた夕焼けが、次第に夕闇ゆうやみへと変化していった。

「あのね、せんせ」

 門田のほうから無音を突き破る。

「相談って、月ちゃんのことなんだけど、噂とか聞いたことある?」

「噂? 月島の?」

 予想外の質問に虚を突かれた。門田の話だとばかり思っていたのだが。

 それに月島について気になるようなことはない。日頃から真面目で成績もいい。2組でトラブルを起こすようなこともない。これほど手のかからない生徒も珍しいと思っていたところだ。

「月ちゃんって、大人っぽいっていうか、きれいというか、そういう感じだよね……?」

「…………あ、ああ、そうかもな」

 門田の言っていることが理解できず、気のない返事をしてしまう。

「それに月ちゃん、すごいおっきいし」

「おっきい?」

 門田は何を言っているんだ。2人の背丈はそんなに変わらないはずだが。

「男なら分かるんでしょ! 月ちゃんは胸おっきいじゃんか! そんなんだから結婚できないんだって!」

 私の発言はピントがずれていたらしい。門田は頬を膨らませる。

「そうか? すまんすまん」

 わずかに緊張した車内がゆったりする。

 月島の姿を思い浮かべようとするが、胸の大きさについての記憶がない。大人っぽいというよりも大人しい、と表現するほうがぴったりな気がする。

「せんせ、誰にも言わないで欲しいんだけど……」

 門田の声が弱々しくすがりついてくる。かばんの柄を強く握り締めていた。さきほどまでの緩やかだった雰囲気が、にわかに緊張する。

「月ちゃんね、学校で援交してるって噂があるの」

「ガッコウデエンコウ?」

 門田の発言を咀嚼そしゃくできず、ただ音声だけをリピートしてしまう。

「……ええと」

 私は冷静に、門田の台詞を理解しようとする。

 ガッコウというのは学校のことで、おそらく間違いがない。

 で、エンコウというのは、鉛鉱といえばモリブデン鉛鉱を連想するが、それでは話がまったく噛み合わないし、円孔、網膜円孔は病気のことだな……。

「……援助交際のことだよ、せんせ」

 頭をひねっていると、呆れた声で門田が補足する。エンコウ、つまり援助交際を縮めた表現だった。ああ、なるほど。門田の言いたかったことがようやく整理されてくる。

「門田は、月島が売春をしていて、その場所が学校だということか? そして、そういう噂があるということでいいのだな?」

 門田は返事をすることなく、軽く頷いた。

「ははは」

 あまりにも突拍子のない話に吹き出してしまう。「いや悪い」と弁明するが、門田の不服そうな顔が私を責めていた。

「門田が真剣だってのは分かっているのだが、あまりにも突拍子がなくて、つい」

「いいですよ、おかしければ笑っても」

「いや、ほんとすまない」

 それでも月島が援助交際をしている様子をイメージできない。悪い冗談だ。

 それに苫田高校は比較的偏差値の高い進学校でもある。県内では中堅どころ。荒れがちな高校とは事情が異なる。

 もちろん事情のある生徒もいる。たとえば門田の家庭は裕福ではない。教科書代等の諸経費について、お母さんと相談したりもしている。話題にあがった月島も母子家庭であり、収入は安定していない。それでも、ここで援助交際など考えられない事件だった。

「話を整理させてくれ。その噂話は大人っぽい月島を揶揄やゆしているということでいいのか。だから迷惑している月島を助けて欲しい、と」

「う、ん、と……」

 やはり歯切れが悪い。奥歯に物が挟まったような、という形容がまさにこれなのだろう。

「実は、月ちゃんもその噂話のことは知ってて、なのに、なんだけど」

「なのに、どうなんだ」

「否定しなかったんよ、その話」

 ようやく本題に入った、と門田の表情が、諦念ていねんにも安堵あんどにも見える色を見せる。

「トイレで2人っきりのときに心配で聞いたんです。どうせ嫉妬しっとしてる女子の嫌がらせだから気にしないでいいって。そしたら月ちゃん、何にも返事しなくて。ただ……」

 門田はゆっくりと両目を閉じる。

「笑ったの。ふふふって」

 そして門田は口を閉じ、そのまま肩をこわばらせた。その態度は、月島の無実を信じているようには見えなかった。それにしても月島と笑う。噛み合わせの悪い単語の並びだ。

「門田、ちょっと聞きたいんだが、その噂というのはどういう内容なんだ?」

「……たしか、お昼休みに屋上を使っていて、予鈴が鳴るまでで2万円からって」

「なるほどな」

 この情報だけで、でたらめな噂話であることが分かる。

 門田の説明通りだとすると、定期的にお昼休みに屋上で「営業」していることになる。昼休みは廊下に生徒があふれかえる。屋上は人目につかないかもしれないが、そこへ移動するには人目を避けられない。援助交際ともなれば顧客もいるだろう。顧客も屋上へ移動しなければならないとすれば、商売が繁盛するに応じてやりにくくなる。

 だから問題は援助交際の有無ではない。噂話を月島が否定しなかったことにあり、それがあり得るかもしれないと門田が感じたことだ。大切なのは門田の疑問を解消すること。

「これはあくまで先生個人の意見だが」

 私は、両手を後頭部に回して息を吐く。

「月島が援助交際をしているとはとても考えられない。話の内容が杜撰ずさんすぎる」

「じゃあ月ちゃんが笑ったのって」

「門田に心配してもらえて嬉しかったんじゃないか。月島は口下手だから、援助交際が嘘だと弁解できなかったとも思える」

「……うん」

 納得できない。門田はそんな顔をする。

「少しの間、先生に任せてくれないか? 噂話が本当なのかどうか確認して犯人を突き止める。もちろん門田のことは伏せたままだ」

「ほ、ほんと?」

 門田の声に明かりが灯る。私は「任せておけ」と返事をする。

「ありがと、せんせ嬉しいわ!」

 門田は助手席から飛び跳ねるように降りると、「お願いします」と言って、家に帰っていった。


 私は彼女を見送りながら、心のどこかでわくわくしていた。

 授業も部活指導もやればやるほどその意味が見えなくなっていくばかり。それに比べて、噂話の調査は分かりやすい。直接、生徒たちの役に立てる。それに学校での援助交際というのも刺激的だった。


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