第36話 女難に困難
店の奥に進むと、そこにはパドラの試作途中である作りかけの物がたくさん置かれていて、まるで小さなラボのようになっていた。その部屋の一角にスタンロッドを充電する装置はあった。筒状になった透明なガラスの中には、鉄球ほどの大きさをした黒い球体が浮かんでいて周りに電気を放っている。これは【サンダーボール】という魔物で、体に電気を溜めすぎると容量オーバーになり、爆発してしまう非常に危険な生き物である。サンダーボールもそのことは理解しているようで、こうして体内に蓄積された電気を外に逃がすことによって容量オーバーになるのを防いでいる。ただ、せっかくの電気をそのまま逃がして消滅させてしまうのはもったいないということで、こうして俺たちが電気の再利用をしているというわけである。サンダーボールも助かって俺たちも助かる。まさに一石二鳥という奴だ。
パドラは早速、サンダーボールが収納されている装置の下に設置された穴にスタンロッドを突っ込んだ。
「さあさあ、パドラのぶっとい棒をギンギンにしてください」
……言い方もうちょいどうにかならんもんかね。
後ろでその様子を見ているのだが、なんだかマッドサイエンティストが秘密裏に研究を行っているようにも見えて思わず苦笑する。本人はとても楽しそうだし、いつもこの時は後ろから眺めて邪魔しないようにしている。元が箱型の魔物だとは到底思えないほど、喜怒哀楽の感情を自在にコントロールできるようになった彼女は今を心の底から楽しんでいるのだ。俺自身、そんな彼女を見るのが楽しくなってきている。
数分後、パドラは穴からスタンロッドを引き抜き、自分の前で立てて下から上へと視線を動かす。
「ふむふむ、充電は完了したようですね。この気持ち、盃に満ちる水の様か……夢に零れる涙の様か……いったいどちらなのでしょうか」
前者は心が満たされたという意味だろうが、後者はまたしばらくの間スタンロッドとお別れしなければならないという悲しみを暗示しているのだろうか。だったら俺の答えは一つだ。
「どっちもだよ」
「どちらも……ですか?」
「そっ。感情を手に入れてから今まで凄い楽しく過ごしてきただろ? でも俺からしたらお前はまだ感情というものを完全には理解していない。俺も上手くは言えないが、人の感情の下では選択肢は何も一つに絞らなければいけないということはないんだ。たとえばお前が今感じている感情は前者が喜び、後者が悲しみだ。お前はどちらかを選び、どちらかを捨てようとしているが、それは間違いだ。えーっと……なんて言ったらいいんだろうな……まあ要するに『どちらか』ではなくて『どちらも』という選択肢があることを忘れないでほしいってこと」
自分でも上手く説明できないのが悔しいが、パドラは少しでも理解してくれただろうか。
「ふむふむ、感情というのは奥深いものなのですね」
おや、どちらか一つを選択していない答えだったのに噛みついてこないと言うことは、ちゃんと伝わったという解釈で良いのだろうか。
パドラは名残惜しそうな表情で手に持っていたスタンロッドを俺に手渡す。
「ではでは、お代は一万ホロになりますよ。お金で支払うか……体で――」
「お金で」
パドラの言葉を遮るように俺は言い放った。支払いの話になると、パドラは決まってその二択を用意するためもう慣れてしまった。パドラは俺に遮られたのが不満だったのか、両手を猫のように威嚇する構えをしてすぐさま飛びかかってきた。俺がちゃんと選択したとはいえ、二択を出す前に遮られたことがよほど悔しかったのだろう。ヒラリと身を躱したくらいでは襲うのを諦めてくれない。
「はいはい、タクト様がそういうおつもりでしたらやはり体で支払ってもらいます。――サンドバックとしてですけどね!」
そう言って飛びかかってくるたびに前を全開にしたパーカーがフワッと浮いて、中に着ている際どいビキニと柔肌が思い切り目に入ってくる。
くそっ……これもまた誰かからの試練か何かなのか!? これ以上女性関係をこじらせるのはコリゴリなんだよ!
俺は一瞬の隙を突いて、持って来ていた白い布をパドラの頭に被せて視界を奪った。
「むっ!? むーむー!」
その間にじたばたするパドラの体を必死に抑えて自由を奪う。自由を奪ってしまえばこちらに優勢が訪れる。
「どうだ! まいったか!」
完全に体を押さえつけて馬乗りになった俺はパドラを見下ろしながらニヤリと口角をあげる。どこからどう見ても娘を攫う寸前の悪人にしか見えないが、決してそんなことをしているわけではない。これは何かあれば執拗に噛みついてくるパドラへ対しての一種のお仕置きだ。パドラは布の中でふごふご言いながら息を荒げている。
「……まいったかー?」
なんだろう、なんだか馬乗りになっているパドラの全身が小刻みに震えている気がする。息もなんだか異様に荒いし、少しやりすぎただろうか。俺は素早くパドラの背中から体をあげ、横に退いた。そして息を荒げたパドラの頭に被さっている布をゆっくりと取っていった。すると――。
「はあ……はあ……タクト様、凄い、ですよ……く、苦しいはず、なのに……なんだか、ポカポカするこの感じ……こ、これは……雲まで、飛び跳ねる兎か……喉を、鳴らす猫か……ど、どちらでしょうか……」
顔が紅潮しているように見えるが、とりあえずパドラの言っていることを意訳してみよう。まずは雲まで飛び跳ねる兎だが、もしかして嬉しさのあまり飛び跳ねるという意味だろうか。雲までと言っているのだから最上級の嬉しさを感じているということか。そして喉を鳴らす猫だが、これは非常に分かりやすい。これも嬉しいとか気持ちいいという意味だ。ここで二つの意味を比べてみると――。
「どっちも一緒じゃーん!」
つまり、パドラは視界を奪われた上、自分の体に馬乗りされたことが嬉しくて気持ちよくなってしまったと。でも今までに感じたことがない感情だったから戸惑っていると。――そういうことか。
「……」
あれ? もしかして俺、パドラに目覚めさせてはいけない感情を目覚めさせてしまったのでは?
「はあはあ、タクト様……今の、もう一度お願いできますか……?」
若干、目がトロンとしていて口からヨダレが滴っているようにも見えるんだが……うん、もう手遅れだこれ。やめろ、そんな切なげな表情で俺を見るんじゃない。やめろ、見るんじゃなーい!
先ほどしてくれたことをもう一度待つかのように彼女は地面にうつ伏せたまま大人しくしている。もちろん、息を荒げて体をくねらせながら。
――俺自身も気付かずに、いつの間にか発現していたパッシブスキルがあるのかもしれない……【女難】というパッシブスキルが。
ここでもう一度言っておこう。
――女性がいない場所で過ごしたい。
より強く思えば思うほど、儚くなるこの思いが成就する日は一生来ないだろう。むしろ逆に女性がいる場所でしか過ごせないという事態も、もしかしたらあり得るかもしれない。なんたって俺の周りには徐々に女性が増えていっているのだから。目の前で息を荒げ、新しい世界を見ている最中の彼女も例外ではなく。
しかし、こうなってしまった原因は俺にもあるわけで、パドラの要求をしぶしぶ了承することでその場は収めることが出来た。しかし、新しい扉を開いた彼女はそれだけで終わるはずもなく、ついには魔道具屋を飛び出して俺の部屋にまで押しかけてくるようになったのは、また別の話……にはしたくないなマジで。
こうして俺はまた一つ、問題を抱えてしまったのだった――。
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