第32話 二人で鍛錬

「……ふぁぁぁ……っ」


 朝九時。天気は雲一つない快晴でとても過ごしやすい温度に、起きたばかりの脳が再び眠気に誘われる。目をこすりながらやって来たのはいつも鍛錬に励んでいる中庭。以前までは昼から行っていたのだが、それを聞いたとある人物から「甘いです!」と叱咤され、こうして朝から鍛錬することになった。あろうことかその人物も付き添い兼練習相手として一緒に鍛錬することになったというのだから俺に逃げ場などない。さすがというかなんというかその人物はすでに噴水の前に座っていて俺を待っていた。


「や、やあ、早いんだな」

「貴方が遅いんですよ」


 少し長めの赤毛を風に揺らし、黒いジャージに身を包んだ女性。今となってはパッと見れば女性だと分かるが、以前はずっと男性だと勘違いしていた人物。――そう、アレクシアだ。

 前に戦っていた時はそれこそ男っぽいショートヘアに見えていたのだが、あれは女性だとばれないように首に巻いていた長いマフラーのようなもので後ろ髪を隠していたせいでそう見えたのだ。しかし、本当にショートヘアにしてしまえばマフラーを巻く必要もないのだが、やはりアレクシア自身、心のどこかでは女の子でありたいという願望があったのだろう。髪は女性の命とも言うからな。


「何ぼさっとしてるんですか? 早く始めましょう」

「お、おう……そうだな」


 なんだか最近アレクシアの態度が冷たい気がする。もしかしてこの前の風呂事件のせいか? 不可抗力とはいえ、タオル一枚姿を見てしまったのがやはりまずかったのだろうか。でも俺だって息子を見られたんだからおあいこではなかろうか。むしろ俺の方が何も隠れていない分被害は甚大だと思う。

 このまま冷たい態度を取られ続けるのも悲しいし、一応聞いてみるか。


「なあアレクシア。その……なんだ。この前の風呂場でノスフェラトゥッ!」


 非常に勢いのある右張り手が俺の頬めがけて飛んできた。手のひらと頬が紡ぎだす心地よい音に乗せて俺の体は吹き飛びながらやがて衝撃を受けた。

 中庭の地面が芝生で助かった。石がむき出しの場所だったら肩とか腕を脱臼していたかもしれない。……だがこれではっきりした。やはりあの風呂場での出来事が冷たい態度を取っている原因だ。しかし俺はちゃんと日本の伝統文化【DO☆GE☆ZA】を駆使して謝罪したはずだ。それこそ額の皮が擦り剥けるほど地面にぴったりとくっつけて。

 俺は考えを張り巡らせながら、ズキズキと痛む頬を押さえ、上半身だけを起こしてアレクシアを見た。物凄く顔が真っ赤になっている。

 ああ、そういうことか……ダスティア様が強引に女の子として扱うせいで、アレクシア自身も徐々に男らしくではなく、女の子らしくしようと意識し始めちゃったんだな。で、その最中に男性に裸を見られちゃってどうしていいか分からず冷たい態度を取っていると。でもアレクシア自身もこのままじゃいけないと分かっていたからこうして俺の鍛錬に付き合うとか言い出したんだな。なるほど、すべてを理解した。


「あのさ、ちょっと殴らずに聞いてくれるかな」


 真っ赤になったアレクシアと少しだけ目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。だが俺は構わずに言葉を続ける。


「お前はお前なんだからさ、男らしくあろうが女らしくあろうが関係ないと思う。でも前にも言ったが、男らしくありたいと思うのは、お前が父親の言葉に縛られているからだ。正直なところ、俺としては普通の女性としていてくれる方が良い。うまく言えんが、なんだか最近のお前を見てるとそう思う」


 以前はひたすら勇者としての使命に縛られていて、どこかに暗い影が差しこんでいたが、こちら側に来てからはダスティア様からのお節介に戸惑いながらも心の底から楽しんでいるような、そんな気がした。あくまで俺の目で見た感想だからそれが本当に正しいかは分からないが、今までアレクシアの肩にのしかかっていた荷が降りたのは確かだ。だからこそ彼女はどうしていいのか分からず迷っている。自分の気持ちの変化に。


「ボクは……本当に女の子として生きていいのでしょうか……」


 その声は小さくか弱いものだったが、その言葉を放った真意にすぐに気付いた。アレクシアはきっと俺に女の子として生きろと言ってほしいのだ。言って欲しいからこそ自分の口から女の子という言葉を出した。俺は少し勘違いしていたのかもしれない。アレクシアは確かに悩んでいた。だがそれは男として、女としてではなく、自分が女性として生きていく覚悟があるのかどうかという悩み。そして今、彼女は答えを出そうとしていた。誰かが背中を押してくれるのを待つように――。


「お前は女の子として生きていくべきだ」


 その一言を言うとアレクシアは再び俺と目を合わせた。やはりこの言葉を待っていたらしく、一瞬にして笑顔になった。


「貴方ならそう言うと思ってました」


 彼女は笑いながら少し涙を浮かべていた。俺は頬をさすりながら立ち上がるとしまっていたタオルを取り出し、彼女に差し出した。これでアレクシアにつっかえていた悩みは無事に取れただろう。こちら側に誘ったのは俺なんだし、パーティメンバーのケアはしっかりとしないとな。


「さて、鍛錬を始めようか」

「そうですね。ボク……私のせいで時間を食ってしまいました」

「おいおい、女の子として生きろとは言ったがそこまで直す必要はないぞ。なんか気持ち悪うごぉっ!?」


 木刀の突きが見事に俺の腹部にめり込む。アレクシアの冷たい視線が、腹部を押さえて丸くなった俺を見下すように突き刺す。


「そうですね、ボクはボクですもんね。失礼しました……き・も・ち・わ・る・く・て!」

「お、おう……元気そうで……何、より、だ……」


 パーティリーダーは俺だが、序列に並べると絶対俺が一番下だな……。


「コホン……さて、タクトさん。鍛錬を始める前に貴方の癖や弱点を教えます」


 癖や弱点か。そういえば前に戦った時にフォーダルにスキャンされたんだったな。あの時は三人がかりだったからなんとかなったが、タイマンだったら絶対勝てなかったな。


「まずはタクトさんの癖ですが、相手が攻撃してきたとき、左に避ける癖がありますね。これはおそらく相手に右利きが多く、振りかぶった時に右上から左下に斬り下ろす人が多いからでしょう。突きの場合も同様、右手で突き出すと剣先は左斜め前を向くことになる。だから貴方は左に避けることが多い。違いますか?」

「いやー、さすがだな。その通りだ」


 アレクシアの言う通り、俺が攻撃を避ける時はたいてい左側に飛び退くことが多い。

 ううむ、細剣フォーダルの特殊能力はやはり噂通りだったか……と、いうことはつまり、俺の持っているヴァルジオの弱点も見透かされているということか。


「なあなあ、俺の持ってる剣の弱点も知ってる感じ?」

「あの見えない斬撃を放つ剣ですか? ええ、一応知ってますよ」


 そうか、ヴァルジオの弱点も知られているのか。ホント、アレクシアを仲間に引き入れてよかった。言いふらされでもしたら俺の唯一の強みがなくなるところだった。

 ヴァルジオの弱点――それは斬撃を放ったあと、もう一度放つまでにクールタイムがあるということだ。

 知ってのとおり、ヴァルジオのあの斬撃は俺が脳内で対象を設定をし、伝達することで発揮するものだ。つまり、あの斬撃を放つまでに行う手順は【対象設定→範囲設定→伝達→瘴気を纏う】となるため、おおよそ十秒はかかると言ってもよいだろう。初撃は不意を突いて繰り出すため問題ないのだが、二撃目を放つとなれば問題が生じてくる。たいていの者はあの見えない斬撃を見ると怖気づいてしまうのだが、中にはそれでも勇敢に立ち向かってくる者もいるだろう。近づかれてしまえば、ヴァルジオもただの剣と大差ない。だからそのクールタイムの間に一気に攻められてしまえば俺もお手上げというわけだ。

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