第18話 エリスタの戦い(9)

 数分ほど走っただろうか。魔王軍の隙間を縫うようにすり抜けてきたが、ようやく魔王軍部隊の後方直前までたどり着いた。俺もエルハちゃんも人を担いで走ってきたからかなり疲弊している。ここらへんで一旦休憩しようかと思っていたのだが、戦場の神はよほど俺のことが嫌いらしいのか休憩どころか最悪の相手と連戦になる運命が待っていた。

 部隊の後方まで戻ってきた俺が見た物は、地に伏せ血を流した数多の魔物。何より俺の視線を釘づけにしたのが片腕を無くし、とめどなく血を滴らせて膝をついていたゼルギスさんの姿だった。シャルがその前に立ちふさがっているが、先ほどとは打って変わって余裕のない表情を浮かべている。

 あいつはまさか……!

 シャルの前に立ち、俺に背を向けている赤髪の若い男。首に巻いた赤く長いマフラーのようなものが風に揺られ、手に持っている剣の刀身は真っ赤に染め上げられ、夕日に照らされて鈍く光を放っていた。


「シャル! ゼルギスさん!」


 俺の呼びかけにハッとしたシャルは目で助けを求めていた。そして俺の呼びかけに男もピクリと反応してゆっくりとこちらに振り返る。


「新手ですか……っ!? まさか後ろに抱えているのは……っ!」


 男の水色の瞳が俺とエルハちゃんの背負っているモノに気が付き、男は静かに体を震わせた。


「その二人をどうするつもりですか……返答次第では殺します……返答しなくても殺します……っ!」


 どっちにしろ殺すんかい。ああいや、一番ツッコミを入れちゃいけないタイミングでツッコミを入れてしまった。

 俺はあの目を知っている……あの目は人が本気で怒った時の目だ。俺もかつて、ゲームは一時間までと母さんに言われたことがあったがあまりにゲームが楽しくて三時間ほどやっていたら母さんにぶん殴られたことがある。その時の目と一緒だ。

 しかも相手は、俺が今まで最強で最恐だと思っていた母さんよりもさらにタチの悪い……あのアレクだ。

 どうする。どう返答しても信じて貰えなさそうだし、そもそもどう転んでもアレクの思考は殺すという結論に至っている時点で詰んでいる。いや、それでも真実を伝えるしかない。


「この二人はとある理由から後々責任を取らされて処刑されそうだったから仕方なく連れてきた。別に危害を加えるつもりはない」


 よくよく考えたらエレナが敵に道を譲ったという事実を隠ぺいするために不意打ちまでしてスタンロッドで気絶させ、連合軍側にそのことがバレないように工作したんだから別に連れて帰ってくる必要はなかったのでは……?

 ……ヴァルジオの時と同じうっかりをしてどうする俺。

 いやもう連れて来てしまった以上考えても仕方ない。ただ問題はアレクが俺の言ったことを信じるかどうかだが。


「そうですか、ならいいです」


 あっさり信じちゃったよ! なんだこの純真無垢な勇者は! 俺が言うのもなんだけど、他人の言うことをすぐ信じちゃう性格はいつか誰かに付け込まれるよ!

 ……なんか軽い空気になってるが、そんな浮ついた気持ちでいられる状況ではなかった。ゼルギスさんの左腕がないのは、間違いなくアレクに斬られたからだろう。そしてかつては命のあった数多の亡骸を地に伏せさせたのも間違いなく今俺の前にいるアレクだ。赤髪、青い目、そして手に携えた血塗られた細剣フォーダル。返り血を浴びた顔はまだあどけなさが残り、パッチリとした瞳に長いまつ毛が印象に残る。

 だが、どこにも隙がなかった。一歩踏み出しただけで体を斬られてしまうような錯覚にも似た感覚を俺は感じていた。


「見たところ貴方はヒューマンのようですが、その髪に纏わりついた邪悪なオーラ。そしてその顔に刻まれた黒い線……魔王軍に身を堕としましたね。そして後ろにいる彼女はエルフ族……イルさんを背負っているというのは皮肉なことですね」

「おい、俺のことは構わないが彼女を悪く言うのは許さねえぞ」


 アレクは俺の威圧の意味も込めた言葉と聞くと何故かクスッと笑った。


「いやこれは失礼しました。魔王軍にも正しい感情を持っている人がいるんですね」

「俺だって色々あったんだ。で、その結果がこれだけど、たとえ身を堕としたとしても心は冒険者の時のままのつもりだ。だから危険に陥ったエレナとイルを連れてきた」

「それに関しては感謝しましょう。ですが――」


 アレクは自身の扱う細剣フォーダルに付いた血を振り払うと、冷たい殺気を放った。


「ボクは勇者です。たとえどんな理由があろうとも魔王軍は駆逐しなければなりません」


 突然アレクを中心に風が舞い上がり、フォーダルが光り始めた。あの剣はアレクが敵と認識した者の癖や弱点を見抜ける。つまりアレクは俺を敵と認識し、癖や弱点をサーチしているということだ。

 アレクの味方をする者はここにはいない。対して俺たちはゼルギスさんを合わせて四人いる。手負いのゼルギスさんに無理をさせるわけにはいかないが、正直今の状態で俺とエルハちゃん、そしてシャルの三人で力を合わせても勝てる見込みがない。アレクに近づけばフォーダルから繰り出される疾風の如き連続突きで、体は蜂の巣のように穴が開くだろう。

 アレクは幼少の頃よりフェンシングに似た競技でトップを取り続けた。相手の間合いに一度でも入れば相手は為す術もなく討ち取られていたという。故にフォーダルの細い刀身はアレクと相性は抜群なのだ。その卓越した剣術は勇者となった今でも如何なく発揮されており、それに加え相手の癖や弱点をしっかりと見抜けるオプション付きなのだから正確に相手の息の根を止める術を持っている。


「エルハちゃん、非常に申し訳ないんだけどエレナも抱えて俺から離れてくれないかな」

「でもさすがのタクトさんでもあの人が相手じゃ……」


 俺は心配そうに見つめるエルハちゃんに精一杯の笑顔を作って笑って見せた。


「今までの戦いでもなんだかんだ助かってるし、俺の悪運もまだまだ捨てたもんじゃないよ。だからほら……ね?」


 エルハちゃんは完全に納得していない表情だったが俺の気持ちを汲み取ってくれたのかすぐにイルを抱え、エレナを引きずるように背負いいかにも重そうな態勢で小走りして行った。


「エレナさんとイルさんを安全な場所に移してくれてありがとうございます。これでボクも本気でいけますよ」


 次の瞬間、アレクの周りを纏っていた風が弾けるように霧散した。おそらく敵……つまり俺のスキャンが終わり癖や弱点を解析し終わったのだろう。アレクの表情は先ほどから変わっていないが、おそらくあいつの頭の中には俺の情報が浮かびあがっているはずだ。

 いつ仕掛けてくるか分からないし、アレクから目を離さずに構えているとアレクの後方で何かが動いた。


「あんた、さっきから後ろががら空きなのよ!」


 シャルだ。シャルが背を向けているアレクに向かって傘の先端を突き出し先制攻撃を仕掛けたのだ。しかし今までの攻撃とは違い、傘の先端に赤い光が集まってだんだんと大きくなっていき、やがてその光は薔薇のような形を象った。そしてシャルはアレクに向かってその華の花弁をガトリングガンの要領で魔弾として射出した。凄まじい音と共に魔弾と化した花弁が周りを薔薇色に染める。

 【血染ちぞめの鎮魂華ちんこんか】。シャルが保有するスキルの一つである。シャルの通常の攻撃は傘の先端から一発ずつ魔力を弾に変えて撃ち出しそれを連射させているのだが、このスキルは相手に避ける時間を与えることなく一気に撃ちこむスキルだ。

 さすがのアレクでもあのガトリングガンのように撃ちこまれる魔弾を全て避けることはできないだろう。そう思ってしまった俺はあからさまなフラグを立てていたことに数コンマ遅れて気が付いた。

 フラグとして完成されたそれはもちろん折れるはずもなく、そしてそれが意味するのはアレクが目に見えない速さで飛んでくる魔弾を自慢の剣術を用いて、魔弾に向かってフォーダルを寸分違わず突き出し、魔弾と同じく目に見えない速さで突き落としていたことだった。

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