第14話 エリスタの戦い(5)
突然、弾幕のように飛び交っていた敵の魔弾が急に止んだ。
敵に何か起こったのだろうか。しかし、それならばこちらにとって好都合だ。
エレナは丘を駆け下りて連合軍と合流しようと走っていた。
イルに伝えなければ……!
先ほど自分の目で確かに見た物。それは魔王軍側にエルフ族がいるという疑いなき事実。あの時、動揺を隠しきれなかったエレナは標的に対して弓を引くことができなかった。いや、正確に言うのであれば弓を引けなかった理由は動揺だけではなく、標的に合流したあの者の笑顔を見てしまったから。
エレナがどんなに遠くにいる標的でも射抜けるのには理由があった。それは彼女が生まれながらに持つ人並み外れた視力のおかげである。昔から視力は良かったが、体が成長するにつれて視力もそれ以上に良くなっていき、今では一キロ先にいる人の表情を読み取れるレベルにまで至っていた。
エレナの息が少しあがってきたところで連合軍の後方にたどり着くことができた。その中に黄色の魔帽子を被った身長の低いエルフを見つけるとエレナは急いで走り寄った。
「イル!」
「ふぇっ? あっ、エレナさん! ご無事で何よりです」
「イルも先ほどの防衛、見事だった」
「えへへ、辛かったですけど攻撃がピタリと止んだのでなんとか助かりました」
エレナはイルの頭を魔帽子の上からポンポンと叩くと、子供に向けるような優しい笑顔を浮かべた。イルの口元が緩み顔がほころぶ。
イルが辛いと口にすることは滅多にないが、今回は本当に疲れているようだな。敵にもイルと同等……いや、それ以上の魔力の持ち主がいるということか。しかし唐突に魔弾の撃ちこみを止めたのは相手の魔力が切れたのかそれともまた別の理由があったからなのか……いや、今はそれを考えるためにここに来たのではない。
「イル、ちょっと来てくれ」
「ふぇっ? どうしたのです?」
支援部隊が前線で体を張って戦っている者にとめどなく支援スキルをかけている最中だが、ここでは誰かに話を聞かれてしまう可能性がある。いつまたあの魔弾が飛んでくるか分からない状態で、一時的とはいえイルを支援部隊から離脱させるのはあまりにもリスクの高い行為だが、エレナはそれほどのリスクを冒してでもイルに重要なことを伝えなければならなかった。時間もないし簡潔に伝えた方がいい。エレナはイルの袖を掴み、人混みから抜け出すと出来るだけ早口で言葉を紡いだ。
「イル、お前には辛いことかもしれないが……魔王軍側にエルフ族がいる」
「ふぇっ!? そ、それは本当なのですか!?」
「ああ、間違いない……この目ですべてを視た。オーラの色も、その顔の形も」
そう、間違いなくあのオーラの色はエルフ族と断定させるのを容易にしていた。エレナは今までにも色々な色のオーラを発している者を視てきたが、彼女はその種族を誰一人間違えることなく言い当ててきた。そのことは長い付き合いになるイルも十分理解していたし、その言葉に疑う余地などなかった。
その代わりにイルの頭の中には何故魔王軍側にいるのか、という当たり前の疑問が浮かび上がってきた。
「……洗脳されて強制的に前線に駆り出されているのでしょうか?」
もしそうであるならば今すぐ助けに行かなくては。
はやる気持ちがイルの衝動となって駆け巡る。だがそんなイルとは対照的に、エレナは落ち着いた表情で首を横に振った。
「いや、あの者はおそらく自らの意思で魔王軍側にいる。そしてそれは彼女と同じく何らかの理由で魔王軍に身を置くヒューマンが関係しているのだろう」
「ヒューマン……ですか?」
「ああ、そうだ。先ほどそのヒューマンの額めがけて矢を放ったら見事に避けられてしまってな」
イルは驚いた表情をするが、エレナは自分の不甲斐なさに若干のため息を交えながら苦笑いをする。
「そのあとに彼女は現れた。おそらくヒューマンの安否が気になったのだろう。オーラが濁ったピンクに変わっていたからな」
オーラがピンク色というのは不安の現れであるが、濁ったピンクは気が気でないほどの不安の感情に呑みこまれている現れであった。
「だがヒューマンが生存しているのを知るとオーラが一気に黄色に変わった」
「黄色ということは……喜びですね」
そう、喜び。誰もが当たり前に持っている感情を洗脳された状態で、あのヒューマンに向かって安堵の笑顔を浮かべることが果たして出来るだろうか。いや、間違いなく出来ないだろう。
エレナはあの笑顔を見たおかげで確信を持つことができた。彼女は洗脳などされていないし、だからこそ弓を引くことができなかった。そして、あのヒューマンも同じように洗脳などされておらず自分の意思であそこに立っている。故に迷いが生じた。いったい何故自らの意思で魔王軍に加担しているのか理由を知りたくなってしまった。
「イル、私は彼らと真正面からぶつかりあう」
「ふぇっ!? それはさすがに危険なのです!」
エレナ自身も危険なのは十分に承知している。そうしてでも彼らの本心や目的が知りたかった。それにエレナにはある確信があった。
「イル、途中で皆の鎧が剥ぎ取られただろう」
「は、はい。イルの周りにいる方は防御スキルでなんとか守りましたけど前線の皆さんは綺麗に剥ぎ取られたのです」
あの一撃から攻守が逆転したのは間違いない。だがよく考えてみれば何故鎧だけを剥ぎ取り、命まではとらなかったのだろうか。戦争とは残酷なものでどちらかが勝つまで勝負は終わらないし、例え終わったとしてもそこには命の灯が燃え尽きた屍が積み上がるだけだ。だがこの戦争はどうだ。多少の犠牲は出ているものの鎧を剥ぎ取ることで戦意を喪失させ、無駄な死を迎える者を最小限に押さえている。
クーラの街には剣を一振りするだけで視界に映るすべての命を刈り取る悪魔がいる。
そんな噂話をエレナは前に聞いたことがあった。最初は勇者の一人かと思ったが、勇者が悪魔と揶揄されることは普通に考えてまずありえない。堕落した勇者もいるとはいえ、勇者の悪口を表だって言う者などいない。
その時はそんな者もいるのかと軽く聞き流してしまったが先ほどの攻撃を見てエレナはその話を思い出し、そして確信に至った。あのヒューマンこそが悪魔と言われていた冒険者なのだと。
だが悪魔と言われていたあの者が行った行為は悪魔とはほど遠く、すべての命を刈り取るための一振りではなくむしろ命を尊さを知っているが故の善の一振りだった。
エレナは考えれば考えるほど、相手が本当に悪なのかという疑問とそれ以上の興味を心に湧かせた。
「彼らはもしかしたら単にエリスタを襲いに来ただけではないのかもしれない」
確証はないが、かといってあの者の噂が虚構の産物であるならば必ずしも否定できる可能性はゼロではなかった。その真相を確かめるためにはやはりあのヒューマンとエルフ族の娘と真正面からぶつかるしかない。
「分かりました。エレナさんがそうおっしゃるのであればイルもついていくのです」
「すまない、助かる」
イルもエレナの表情から心中を察したのか、持っていた杖を強く握り直し表情を引き締めた。かくしてエレナとイルは支援部隊の中を切り抜け、前線へと向かうのであった。
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