第8話 人を殺す覚悟
ダスティア様の部屋を出た俺は頭痛に悩まされながらも足早にシャルの部屋へと歩を進めた。
もしかしたらあいつもまだパーティに加入したことを知らないかもしれないし、早急に意見を聞く必要がある。
「シャル! 入るぞ!」
とにかく急いでいた俺はシャルの返事を聞く間も惜しかったため半ば強引に扉を開けた。
「……へっ?」
「あっ……」
扉を開けた瞬間、エロティックな黒いパンツとブラジャーが俺の視界を釘づけにさせた。ダスティア様には及ばないが、滑らかに膨らんだ双丘にキュッと引きしまったウエスト。それでいてヒップは一目見て柔らかさを想像させる――
って俺は変態かー! ラッキースケベなんてスキル持ってないしいらーん!
「あんたねえ……いつまで見てんのよ……!」
あ、いかん。男の性がこんなところで発揮されてしまうとは。見たらダメだと思えば思うほど、その視線は余計対象に釘付けになってしまうことは重々承知しているのだが、すでに男の性が発揮されてしまった時点でもはや手遅れである。このあとの展開は察しの良い俺には分かっている。むしろどうあがいてもその展開になるというのならいっそのこと開き直って下着に穴が開くくらいガン見してやろうか。
……と、この場にいるのが俺だけだったらそうしていただろう。だが今回は後ろにエルハちゃんがいる。ただでさえいい子なのに、俺の理性の崩壊に歯止めをかけてくれる役割もしてくれるなんて本当に頭があがらない。
――ここは潔く殴られよう。
俺は自分の頭と天井がぶつかる音を聞き届けたあと、理性の崩壊の代わりに記憶の崩壊を遂げた。
――数分後。
視界に映る物すべてが斜め四十五度くらい傾いた状態で俺は正座していた。頭から首まで鈍い痛みが波打つように襲ってきているが、まあこれは自業自得だから誰かのせいになんてしてはいけない。発想の転換をするならば魔王の娘のあられもない姿を拝めた、くらいのポジティブな気持ちになってしまった方がいっそ清々しい。
俺は徐々に痺れつつある足の痛みを感じ始め、思考を元に戻す。
「なあ、パーティ結成のことなんだが」
「ああ、そのこと? それだったらあたしが自分でサインしたわよ」
即答だった。もしかしたらあのパーティ結成書にシャルの名前を書いたのはダスティア様自身で娘の意見も聞かずに勝手にパーティに加入させたんじゃないか。そしてそのことをシャルに言えばダスティア様に抗議の一つでもしてくれるんじゃないかと俺は心の底から期待していた。だが現実は非常に非情だった。
……俺がくだらないダジャレを挿む時は心が折れかけている証拠だからそっとしておいてほしい。
もうヤダ帰りたい。
もちろん俺の帰る場所はこの城になったのだから自分に対して放った嫌味である。
「何? もしかしてあたしの心配してんの? ふんっ、あたしも舐められたものね! こう見えてあたしはお母様並みに強いんだから!」
さっき別の場所で聞いたなそのセリフ。
両手を腰に当てて威張り始めたシャルに俺はそれ以上言葉をかけることが出来なかった。俺の首が傾いているようにこのパーティの行く末も未知の方向へ傾き始めたような……そんな気がした。
――それから三日が過ぎた。
「ふう、今日も鍛錬しなきゃな!」
エルハちゃんが用意してくれた朝食を食べ終えた俺は動きやすい服装に着替えて木刀を片手に中庭にやってきた。緑で覆われた地面にそこそこ大きな白塗りの石で造られた噴水が小さな虹を作り出す。ここだけ見ると魔王城の内部にいるとは到底思えない。ここだけ見れば。
「あ、タクトさんじゃないっすかーちーっす!」
「タクトさんダスね」
「ソレガシ、タクト、マルカジリ」
「おいやめろ」
思わず間髪入れずにツッコミをいれてしまった。いつの間にか俺の傍にいたのは、全身骨のみで構築されていて頭、肩、腕、胸、下半身、そして足に軽装具を装備したボーンと呼ばれる骸骨たちだった。このボーンという種族には当然ながら性別がなく、ボーンファイター、ボーンアーチャー、ボーンライダーなどさまざま職種に分かれている。ちなみに三人共ボーンファイターで、若者みたいなちょっとウザい喋り方をしているのがキュド。「ダス」と変な語尾をつけているのがビルヒ。片言で喋っているのがエルギである。
あの日首の傾きが一向に治らなかった俺はどうにかならないものかと、無い知恵を絞った結果アロマテラピーという結論に行きついた。あとから気付いたが、アロマテラピーとは心の治療であって体の傷が癒えるわけではない。でもその時の俺は正直アロマテラピーがなんなのかよく理解していなかったし、とにかく緑に囲まれればいいだろうという安易な考えで外に出たところ、偶然この場所を見つけたのだ。しばらく噴水の囲いになっている白い石に座っていると、ちょうど城の見回りをしていた三人に出会ったのが事の始まりだった。話してみると、それぞれに独特の個性があって飽きることがない。時間も忘れて話が盛り上がってきたところでキュドが気になる話を持ち出した。どうやら俺のことについてこの城内でさまざまな噂が飛び交っているらしい。『人間たちにそれはもう耐え難い恐怖を植え付けて人心を支配する悪の塊のような冒険者』だとか『剣の一振りですべての命を見境なく根絶やしにする悪魔に悪魔を重ねたような冒険者』だとか……まさに言いたい放題である。
……でもまああながち間違いではないな。
他愛ない話も織り交ぜつつ、その日から今日までの三日間、毎日のように俺と三人は顔を合わせていた。と、キュドが俺の持っている木刀に気が付く。
「今日も剣術の鍛錬っすか? 精が出るっすねえ」
そう、俺がここに来た理由は他でもない、剣術の鍛錬をするためだった。冒険者時代はクエストを受けて魔物を討伐していれば勝手に熟練レベルも上がっていたのだが、魔王軍に従事してからは魔物を討伐するどころかまだ魔王城の外にすら出ていない。パーティの件もあるし、剣術をさらに磨かなければならないと焦りが募る中、俺は俺なりに頑張ろうとしている。
「まあなー。体がなまってちゃいざという時にあのじゃじゃ馬娘を助けることができないしな」
「ははっ、タクトさんも言うっすねー!」
「ダスね」
「ソレガシ、タクト、オウエン、スル」
カカカと笑う三人。見回り途中の三人をこれ以上引き留めておくのは申し訳ないし、俺は笑いながら追い出すように手で払った。
首がまだ若干痛むが、素振り程度ならそんなに負担がかかることはないだろう。俺は木刀を握りしめた。この鍛錬が何を意味するのか、俺は嫌というほど理解している。これからは魔物を斬るだけじゃない……場合によっては人も斬らねばならない――。
冒険者時代に受けていたクエスト討伐対象になっているほとんどの魔物には知力がなく、その攻撃方法は至極単純であったため、まともな戦法でなくとも容易に倒すことは出来た。
だが人と対峙した時の対処法はどうする? ヴァルジオで一閃するだけで相手は倒れてくれるのか? 否、何かしらのスキルを発動して回避行動を取るだろう。近距離戦になったらどうする? それこそ今までに磨いてきた力量のぶつけあいとなるだろう。
そう、俺はそのために剣術を磨いているのだ……人を斬るために。
――俺は人を斬るのは初めてではない。
ギルドという組織すべてが義の下に活動しているわけではない。悪徳商人やその地の領主と繋がって金品をせしめる闇ギルドだって存在する。俺がまだヴァルジオと出会う前、つまりギルドから離脱していない時に闇ギルドの討伐を極秘で依頼されたことがあった。早速ギルド総出で闇ギルドに乗り込むとギャンブルをしたり、酒を飲んでいる途中だった闇ギルド所属の人間と対峙した。大勢の敵味方が武器を交錯させあい、肉を断つ音や骨を折る音などがとめどなく耳に届いてきた。その中で俺の前には俺と歳があまり変わらないであろう好青年が立ちふさがっていた。相手は俺を殺す覚悟ができている。
「おらぁぁぁぁぁっ!」
青年は踏込みと同時に持っていた剣を突き出してきた。震える足を必死に動かし、間一髪のところで持っていた剣を体の前に立て、相手の刀身を受け流しつつ体を仰け反らせ相手の攻撃を避ける。相手の攻撃を受け流すために立てた剣の刀身に自身の恐怖した顔が映りこむ。
死にたくない……死にたくない死ニたくナいシニタクナイッ!
避けた体を支えるように素早く地面に手をつけ、相手が突き出している剣を下から蹴り上げた。思わぬ攻撃に相手は虚を突かれ態勢を崩す。俺は攻撃の手を緩めることなくしゃがんだ状態のまま相手に足払いを仕掛けた。体の軸を失った相手の体は呆気なく足を取られ盛大に尻もちをついた。
何も考えるな、殺せ!
俺は囁く声に身を任せるしかなかった。
「うわああああああああああああっ!」
――ザシュッ。
人の柔らかい肉に鋭い剣が突き刺さった音がした。青年は脱力しつつも自分の体に刺さった俺の剣を握りながら血を吐き、ゆっくりと目の輝きを失っていった。
――人を殺した。
その事実だけが俺の中を満たしていった。そのあとのことは何も覚えていない。気付いた時には終わっていて、戦場と化した闇ギルドは血だらけの死体で埋め尽くされ、俺は誰のかすら分からない血で全身を染めていた。
俺はその日から一週間、吐き気と眩暈に苛まれ、食事を取ることすらできなかった。心配してお見舞いに来てくれたギルドの仲間が「いずれは誰もが通る道」だと言っていたが、その時の俺にはあまりにも険しすぎる道だった。
そういえばその時もエルハちゃんの必死の介護があったから今の俺がいるんだよな。なんだ……俺は最初から今の今までずっとエルハちゃんに助けられて生きてきたのか。そんな大事なことに今気づくなんて俺はどうしようもないバカだな……。
俺は日が沈むまで素振りを続けた。初めて人を殺した時の出来事を思い出しながら。
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