第6話 恋は盲目
「いいかいあんた! ウチの大事な戦力を持ってくんだから、ちゃんと責任をとるんだよ! 何があっても絶対にエルハを泣かすんじゃないよ! もし泣かしたりしたらタダじゃおかないからね!」
……どうしてこうなった。
何故か俺は日の出前の朝早くから茶色の寝間着を着た女将さんに見送りをされていた。
あのあと俺はフードを取り、エルハちゃんに黒い瘴気が染みついた髪や黒い線の入った顔をしっかりと見せ、これからは魔王軍として活動していくことになったと、悪堕ちした具体的な理由以外は事実をすべて話した。そしてすべてを話したうえで一緒に来るのは無理だと言った。だがエルハちゃんはそれでもついていくの一点張りだった。お互いに主張を譲る気はなく、延々と終わらない押し問答を何時間も続けていたら女将さんが起きてきてしまったのである。俺は急いでフードを被り直し、女将さんに今日ここを旅立ちたいと打ち明けた。さすがの女将さんも突然のことにビックリしていたが、特に理由は聞いてこなかった。ただ俺の横に座っているエルハちゃんをチラリと見て一つのため息をついた。
あまりにも気まずい雰囲気だったため、うつ向き気味の態勢でやり過ごそうと思っていたら、丸まった背中を思い切り女将さんに叩かれた。
「あんたもいい女に惚れられたもんだね。しょうがない持ってきな!」
そんなこんなで女将さんに見送られるというこの状況に至る。俺の隣には黄緑色のポンチョのような服を着たエルハちゃんがいる。
女将さんなんだかんだめっちゃ笑顔で手を振ってるけど、俺これから魔王城に帰るんだよなぁ……。
まだ陽は昇っておらず、街は静寂と薄暗い闇に包まれていた。エルハちゃんが無言で手を繋いでくる。
こうなってしまったものは仕方ない。もう一度魔王に会って彼女について、事のいきさつを説明――
……あれ? 誰か忘れてるな?
街の外へ向かって歩いていた足を止める。耳を澄ますと俺とエルハちゃんの足音ではなく、後ろから駆けてくる別の足音が聞こえた。俺は足音が聞こえてくる方へと顔を向けた。
「あたしを置いていくんじゃんわよぉぉぉぉおおおおおおお!?」
「ぶべらぁぁぁっ!?」
見事なストレートパンチが振り向いたばかりの俺の左頬にクリーンヒットした。
景色がものすごい勢いで回転しているせいで目の焦点が合わず、とてつもなく気分が悪い。あとなんか宙を飛んでるな俺の体。
背中に地面とぶつかりあった時の痛みを感じたのはそれから三秒後くらいのことだった。
「はぁ……はぁ……。あんた……このあたしを忘れるとか……バカじゃないの……っ!?」
そういえばシャルが転移魔法でここに連れてきてくれたのをすっかり忘れていた。起き上がって何か言い返したいところだが、体が痛くて言うことをきかない。頑張って顔だけ起こしてエルハちゃんを見てみると、いったい何が起こっているのか理解できていないという表情で自分の口を両手で塞いでいた。
これがシャルとエルハちゃんの初対面シーンになるわけだ。
やだなー。もし二人が今後仲良くなって初めての出会いの回想シーンなんか思い出すと俺この状態で再現されちゃうんだもんなー。
少しの間薄暗い空を眺めていると、慌てて俺の下に駆け寄ってきたエルハちゃんが抱き起こしてくれた。シャルは両手を腰に当ててフンと鼻を鳴らす。
「当然の報いね!」
「悪かったって」
「罰として今度あたしの言うことをなんでも聞きなさいよ」
俺はシャルの機嫌をこれ以上損ねないように軽く返事をして立ち上がった。腰に当てた両手を腕組みの態勢へと変えたシャルは、自身の黄色い瞳に映す対象を俺からエルハちゃんに変えた。
「で? こちらのエルフのお嬢さんは誰?」
「えっと、俺が住んでたとこの一階にある飯屋で働いていた子で名前がエルハちゃん」
「あ、あの、初めまして! エルハと申します!」
シャルに向かって恥ずかしがりながらも綺麗なお辞儀をする。さすがは元ウエイトレスといったところか。
お辞儀を終えたエルハをその目で全身一通り確認した後、シャルの黄色い瞳が再び俺に突きつけられた。
「どういうことか説明してもらおうかしら」
「とりあえず場所を移さないか。もうすぐ夜明けになるし人が起きてくる時間だ」
俺は急いでシャルとエルハちゃんの手を取った。シャルは納得のいかない表情をしながらも転移魔法を使ってくれた。転移された先は魔王の部屋と瓜二つのすべてが赤色に染まった部屋だった。ここは間違いなくシャルの部屋だろう。よく見ると赤いテーブルの周りに置かれた高級そうな赤いイスの上に、頭に黒いヴェールをかけたクマのぬいぐるみが置いてある。
「さて、今度こそどういうことか説明してもらおうかしら」
シャルはクマのぬいぐるみを隠すようにイスに座った。俺は夜中に起こったことをすべてシャルに話した。まずエルハちゃんに見つかったこと。咄嗟についたウソが簡単にバレて怪しまれたこと。結局俺が魔王軍側に悪堕ちしたことを包み隠さず話してしまったこと。そしてそれでも俺についていきたいと言ってくれた彼女の強い思いがあったこと。
一通り話すとシャルは吹き出しながら笑い始めた。
「ブフーっ! なにそれあんためっちゃ恥ずかしいじゃーんっ!」
「こっちは大変だったんだぞ!」
腹を抱えて笑うシャルにちょっと腹が立ったから仕返しをしてやろう。
「ごめんね……あたしがそばに――」
「ななななななっ!?」
数時間前にシャルが俺を抱きしめて言った言葉を声色を変えてマネしてみたのだが、これが効果絶大だったようでシャルの顔は沸騰したようにみるみる赤くなっていった。
この状況についていけないといった顔で強張っているエルハちゃんにもそろそろシャルが何者なのか説明してあげないといけないよな。
「エルハちゃん、驚くかもしれないがシャルは魔王の娘なんだ」
「あっ、えっ、あっ、やっぱりそうでしたか」
まあシャルの身なりからしてただならぬオーラを発してはいるから、さすがのエルハちゃんでも薄々は気づいていたようだ。
「で、エルハはどうするの?」
さっそく呼び捨てとはさすが魔王の娘。テーブルに肘をつき、手のひらに顎を乗せたシャルの存在感だけで圧倒されるエルハちゃん。
でも俺は知っている。彼女の心がとても屈強なことを。
「私はどんな状況に陥ってもタクトさんの傍にいたいです! できることなら……ずっと」
自分で言うのもなんだが、俺は幸せ者だな。純粋にその気持ちが嬉しい。
と、俺がニヤついているのがシャルにバレたのかジト目でこちらを睨んできた。咄嗟に視線を逸らす。
シャルはイスから立ち上がると両手をテーブルにつけた。
「まっ、合格ね。あたしの名前はシャル・ヴィ・ウィン。シャルって呼んでくれて構わないわ」
「え、でも私なんかが……」
「合格って言ったでしょ。認めた相手とは対等でありたいのよ」
へえ、シャルってそういう一面もあるんだな。
自分の地位の高さを相手に翳すことなく、認めた相手にはしっかりと敬意を払うその姿勢に俺は不覚にも心を打たれた。
あの魔王にしてこの娘ありってわけだな。
シャルはいまだに強張った状態のエルハちゃんの手を包み込むように持ち上げた。
「ほら、シャルって呼んでみなさい」
「シャ……シャル」
「ふふっ、なぁに?」
もしかしたら二人の関係は悪化する一方なのではないか。最初俺はそう思ったが、どうやら杞憂で終わってくれたようだ。だって、ああやって笑い合っている姿は、街のあちこちでよく見かけていた友達同士が並んで見せる笑顔だったのだから――。
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