第5話 盗賊スキルは必須?

 皆が寝静まった深夜、ちょうど日を跨いだ時刻に俺は宿屋に帰ってきた。もちろん徒歩で帰ってきたわけではない。


「誰にも気づかれないように荷物を取ってきなさいよ」


 俺の後ろから物陰に隠れるようにして待っているシャルの小声が聞こえてくる。俺はあのあと、せめて荷物だけでも持ち帰らせてくれと何度もお願いした。うっすらと涙を浮かべていたシャルの肩を問答無用で全力で揺さぶったのが功を奏したのか……いやなんか見てたらついイタズラしたくなっちゃったんだよね……。で、俺のしつこさに根気負けしたシャルは仕方なさそうに転移魔法を使ってくれて、ミリアンバーの二階に転移してくれたのだ。この時間帯ならば誰も起きていないだろう。念のため、シャルが着ていた黒いフードにも身を包んでいる。

 俺は足音を立てないように自分の部屋の扉をあげた。扉はギイ……と軋むような音を立てたが、誰かが目を覚ますほどの音ではない。素早く撤収できるように扉を半開きにしておく。中に入ると住み慣れた部屋の独特の匂いが立ち込める。シャワーを浴びたい気分だが、今は急いで荷物をまとめなければならない。とはいえ、いたってシンプルな生活を送っていた俺の荷物と言えば、普段着が数着と日用品くらいしかない。そんな大荷物ってわけでもないし、ものの数分で荷物をまとめることができた。

 よし、まあだいたいこんなもんか。

 俺は魔道具やアイテムを保管する白い袋にすべてを詰め込み、ほどけないように口をしっかりと縛って抱え込んだ。

 さらばだ、二年間過ごした部屋よ。

 俺はいつでもここを思い出せるように部屋の隅々を見て記憶として残すことにした。これで心残りはない。

 いや、女将さんやウエイトレスの子たちに直接お別れの挨拶ができないのが心残りだが……。しかし、それに関しての対策はバッチリだ。あらかじめ手紙を書いておいたのさ!

 俺はベッドの上に手紙を置いたあと、半開きになった扉に手を伸ばした。――その時だった。


 ――カツン……カツン……。


 まずい、誰かが階段を上ってきている。

 俺はすかさず黒いフードを被り、顔が直接見られないように隠した。足音が扉の前で止まる。撤収しやすいようにと半開きにしたのが裏目に出てしまったか。足音と交代に扉をゆっくりと開ける音が響き渡る。恐る恐る部屋の中を覗いてきたのは――




「タクト……さん?」


 サラッとした金髪に透き通るような青い瞳がこちらを見ていた。

 ああ、しまった……まさかよりによってエルハちゃんに見つかるなんて。

 エルハちゃんの持っている小さなランプの灯が左右に揺れる。その灯のおかげで彼女が着ている白くて可愛らしい寝間着姿を見ることができた。

 って見とれてる場合じゃない……落ち着け……とりあえず髪と顔さえ見られなければ問題ないはずだ。昼前の時みたいに理にかなった嘘をつくしかない。


「あ、あれエルハちゃん。まだ起きてたんだね」

「はい、ちょっと喉が渇いちゃって……ところでタクトさんこそ、こんな時間にどうしてそんな恰好を?」


 やはりその質問が飛んできたか。だが問題はない。絶対にその質問が飛んでくるだろうと思って先に考えていたからな。これでこの場を切り抜けるぜ! 


「ちょっと黒魔術に興味があってね」


 うーん、我ながら理にかなった……ってバカか俺ーっ!? なんだそのクソみたいな嘘は! そもそも黒魔術って人を傷つける術じゃねーか! チョイス最悪だよ!

 案の定エルハちゃんは反応に困っている。

 そりゃこんな夜中に全身黒ずくめの人が黒魔術に興味があるって言ってんだからドン引きするしかないよな。

 ここからどう会話を持っていけばいいのか分からず、視線が泳ぎ始めた時だった。エルハちゃんがベッドに置かれた手紙に気付いてしまったのだ。


「それなんですか?」

「あ、ああこれ? 黒魔術の呪文が書いてあるだけだよ?」


 俺はなぜ黒魔術で通そうとしているんだああぁぁぁっ! いやしかし待てよー俺。フードのおかげで俺の表情は読み取れないはずだからもしかしたらこのままイケるのではなかろうか?


「嘘ですね、声が震えてます」


 ちくしょうどうして俺はいつも肝心な時に声が震えるんだろう。もうちょっと精神面も鍛えればよかった。だがもう今は俺の精神面の弱さのせいで、何かを隠しているということを隠し通すことができない状況になってしまった。

 エルハちゃんがランプを持ったまま部屋に入ってくる。

 せめて髪と顔だけは見られないように注意しよう。

 エルハちゃんは手に持っていたランプを机の上に置くと、ベッドに置いてあった手紙を拾い上げ開封した。


 女将さん、ウエイトレスさん達へ。

 この二年間、身元も分からない俺を優しく迎えてくれて本当にありがとうございました。

 誠に勝手ではありますが、本日をもってここから出立したいと思います。

 この広い世界の一つ一つを実際に自分の目で見たくなりました。

 もし、この世界のすべてを見終えて帰ってこれたなら――また優しく迎えてほしいです。

 PS.エルハちゃんの握ってくれた梅おにぎりおいしかったです。 タクト


 エルハちゃんは手紙の内容に一通り目を通すと、手紙を放って俺に近づいてきた。


「これはいったいどういうことですか!?」


 それは俺に対する怒りのこもった鋭い言葉だった。エルハちゃんの青い瞳がかすかに潤んでいる。ここで大きな声で話し合うのは得策ではない。ここでの会話が他の冒険者に聞かれたり、騒ぎを察知した冒険者がここにやってきて、俺の髪や顔を見られるという万が一の可能性もある。場所を変えて説明するしかない。


「エルハちゃん、ここだとなんだし一階で話そう」


 俺は荷物を抱えたまま、エルハちゃんの背中をゆっくりと押して一階に誘導した。一階まで降りてカウンター席に座り、彼女が持っていたランプをテーブルに置いた。


「あの手紙、どういうことか説明してください」


 その声は先ほどと同じように確かな怒りを秘めていた。いつものエルハちゃんとは違った、相手の真相を探る言い方。だがたとえエルハちゃんであろうと、俺が悪堕ちして魔王軍の手先になったとは絶対に言えない。俺はこの街クーラをただの一人の冒険者として去りたかった。それがお世話になったクーラへの俺からのせめてもの恩返しだった。誰にも気づかれないまま俺がここを去れば、この街で騒ぎが起こることもない。俺はいつになく真剣な眼で彼女の瞳を見た。


「俺はこの世界の色々なモノをちゃんと見なきゃいけない。そのためにはこの街にずっといるわけにはいかないんだ。人だろうが魔物だろうが関係ない。誰もが平和に暮らせる世の中を創るために」


 何百回と使い回されたセリフを言ってしまったが、俺はこの言葉をかっこ悪いとは思わない。魔王と出会ったことで初めてこの世界の在り方と向き合った。この世界は人か魔物、どちらかが勝者となり、どちらかが敗者となる歴史を今までは辿ってきた。俺にできることはほんの些細なことだが、それでもすべての種族が共存できる世界を創っていきたい。


「何も言わずに姿を消そうとしたことは謝るよ、ごめん。でも……それでも俺は――っ!?」


 突然何かに口を遮られた。息ができない、苦しい。


「ん……ちゅっ……」


 数コンマ経過してから何が起こったのかようやく理解できた。俺の口を塞いだのは横に座っていたエルハちゃんの柔らかい唇だった。彼女が使っているシャンプーの甘い匂いが鼻孔をくすぐり、その心地よさに思わず意識が持っていかれそうになった。

 数秒のキスを終えるとゆっくりとお互いの唇が離れ、交じり合った唾液が糸を引いた。


「ずっと……ずっと好きでした」


 突然の告白に、俺はすぐに言葉を出すことができなかった。頭の中が混乱に混乱を重ねた状態で思考回路がショートしかけていたのだ。

 どどどどうしよう! 女の子に好きって言われたらこんなにも嬉しいものなのか!? へへ返事、返事をしなきゃ……っ!

 思考がままならない状態でなんとか必死に言葉を発しようとしたその時だった。


「私も連れていってください」


 それは俺が一番予想していない……いや、予想することさえできない言葉だった。

 こんなにも俺のことを思ってくれているエルハちゃんに、これ以上俺のせいで迷惑をかけることはできない。

 俺は悩みに悩んだが、結局俺自身に起こった本当の出来事を彼女に打ち明けることにしたのだった――。

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