第4話 戻れないあの日

 とりあえず動揺を抑えきれてはいないが、なんとか冷静になろうと魔王から詳しい話を聞いた。まず第一に、これからは魔王軍として働いていくということだ。今の俺の状態を見てもらえれば分かるが、体や纏っている物に変化はあれど俺の心自体は特に何も変わっていない。あくまで、悪堕ちであって闇堕ちではないということらしい。……あまり違いがないように思えるんだが。まあそういう訳で、これから出会うであろう数多の冒険者と対峙してもむやみに戦ったりはせず、できることなら話し合いで解決したいと思っている。ゲームや漫画の経験から無理なことは十分承知しているが。

 で、ここからが肝心なんだが、そもそも何故魔王は俺を騙してまで魔王軍に引き入れたのかという疑問点についてだ。もちろん俺はその理由も聞いた。すると魔王は悲しい表情を浮かべながら俺にすべてを話してくれた。


「私は魔王という立場にいるけど、争いなんて望んではいないの。古来より人型種族と魔王軍は対立する関係にあったわ。そして対立するたびに繰り返されてきたのは、勇者が魔王を倒して世界に平和が訪れるというお決まりの展開。確かに人型種族にとっては平和が訪れるでしょう。でも私たち魔王軍はどうなるのかしら? 魔物にだって人型種族と同様に色々な種族がいるわ。家族がいる者もいれば、争いを望まない者だって数えきれないほどいるの」


 魔王は静かに、だが怒りを灯した瞳で俺の方を向いた。確かに生前プレイしていたゲームなんかでも勇者が魔王を倒してハッピーエンドを迎えていた。そうすることで自分と同じ種族、つまり人間側に平和が訪れるからだ。それ以降のストーリーについて考えたことなんて一度もなかったかもしれない。

 俺はあの占い師の女性にここに連れてこられるまで、今まで考えもしなかったこの世界の在り方と初めて向き合おうとしていた。


「お願い、貴方なら人と魔物が共存できる世界を創ることができるの。私たちに力を貸してちょうだい」


 俺の握りしめた拳にそっと手を寄せてきた。魔王はまだ熱があるのか触れた手は小さく震えていた。騙されて悪堕ちしたとはいえ、あんな事情を聞かされて断るのは気が引ける。我ながらお人よしもいいところだが悪堕ちしたという事実は消えないし、何より俺は今魔王軍だ。ちくしょう、こうなったらなんだってやってやろうじゃないか。


「分かりました。俺にやれることをやればいいんですね」


 俺は辛そうにしている魔王をゆっくりと寝かしてベッドから立ち上がる。

 今の俺、めっちゃ紳士でかっこよくね? もしかして人生で一番かっこいいシチュに遭遇しているのでは? よし、俺も男だ。ここはクールに去るぜ。

 俺は歩き出した。魔王軍生活の第一歩を……っ!


「……扉は反対側よ」


 ……。

 俺は歩き出した。反対側の扉への第一歩を……っ!




 魔王の部屋を出た俺は早速死にたくなった。

 やべー恥ずかしいーっ! 素で扉の位置を間違えるとかそんな初歩的なミス今更流行らないだろー! しかも部屋を出たのはいいけど、よく考えたらここどこだ!

 左右に延びる長い通路に赤い絨毯が敷かれているが、灯りは壁にかかったロウソクだけで一寸先は闇が手招きしている。

 俺一応魔王軍だからもしここでバッタリ誰かに会っても襲われないよな? なんか怖いけどとりあえず壁伝いに歩いて行こう。広いところに出られればラッキーだ。

 慣れない目を凝らしながら慎重に進んでいく。華が描かれた絵画や魔物が描かれた絵画などが壁に掛けられている。それらはロウソクの火によって不気味に照らされ、俺をさらなる不安に陥れた。


「お兄さん、お帰りかな?」

「うひゃう!?」


 突然誰かに後ろから手を掴まれた俺は心臓が跳ね上がるのを感じた。危うく口から心臓が吐き出てくるのかと思ったほどだった。恐る恐る振り返るとそこには俺より少し背の小さい女性がいた。歳は俺より一、二歳下といったところか。魔王の髪の色に似たワインのような長い赤髪を、後頭部で黒い蝶を象ったリボンで結んでいる。要はポニーテールなのだが、それに加え編み込みまでしてある。

 あ、女性の髪の結び方を知っている俺についてはぜひとも触れないでほしい。俺も昔は奥手な性格を克服しようと思って女性について勉強した時期があったんだよ……って、そうじゃなくて。そういえば今この子俺のことをお兄さんと言ったか?

 女性をまじまじと見つめる。俺のことをお兄さんと呼び、ニコっと笑った時に見える八重歯。そしてなによりその声は最近聞いたばかりの声と瓜二つだった。間違いない。


「あんた占い師だなーっ!?」

「えー、いまさらー?」


 今は黒いフードを着ておらず、表情すべてが読み取れる。黄色い瞳をして、小さい鼻の下には柔らかそうな唇があった。黒と赤で装飾されたワンピースを着て両腕には赤いブレスレットを付けている。履いているのは黒いロングブーツだろうか。


「お兄さんそんなまじまじと見て……もしかして欲求不満?」

「ちちちちがうしぃ!?」


 落ち着け俺。さっきから嫌ーな予感がするぞ。この女性、明らかに魔王の特徴と酷似しすぎなんだよなー……同じ髪の色、瞳、そして身に着けている物の色までほぼ一緒。まさかとは思うが一応確認しておこう。


「俺の勘違いだったら嬉しいんだけどー……もしかして魔王の娘?」

「よく気付いたわね! 褒めてあげるわ!」


 うわー! やっぱりだー! ってか態度変わってるー! 落ち着けー。とりあえずここまでの経緯を整理するぞー。まず占い師だと思っていた女性が魔王の娘で、その魔王の娘が突然俺を魔王の部屋に転移させて、魔王の娘が消えたと思ったら魔王がいて、その魔王に書類を書かされて――




「……やられた」




 俺はすべてを悟った。魔王に騙されたのではない。魔王の親子に騙されたのだと。


「その恰好、どうやらお母様はうまくやってくれたみたいね」


 魔王の娘は俺に近づくなり顔に刻まれた黒い一直線や鎧を細い指でなぞった。しばらく俺の体のあちこちを触っていたが、ようやく満足してくれたようで俺から離れてくれた。魔王の娘はひらりと身を翻し、後ろで手を組んだ。


「あたしはシャル。シャル・ヴィ・ウィンよ。すぐに覚えなさい」


 魔王の娘改めシャルはイタズラな笑みを浮かべていた。正直可愛い。いや可愛いのだが、そんなことを考えるよりもまずはこの薄暗い場所から一刻も早く去りたいという気持ちの方が優先されていた。もともとここに連れられてきた原因は俺の目の前にいる魔王の娘もといシャルの陰謀だ。ならばシャルにお願いするしかない。


「今すぐ街に戻りたいんだけど」

「ダメよ」


 即答だった。あまりの早さに一瞬ぽかーんとなったがすぐに我に返り、言い返した。


「なんでダメなんだよ!? 元々あんたのせいだろ!?」

「あんたじゃない! シャルって呼びなさい!」

「じゃあシャル! なんで帰してくれないんだよ!」


 俺はただあの街【クーラ】に帰りたい、その一心だった。こんな暗い所にいるより、青空の下で賑わう住み慣れた街の風景やミリアンバーの女将さんやウエイトレス達の優しさを今すぐ帰って感じたい。さすがに今日は色々ありすぎて疲れた。魔王の親子に騙されたと思ったら妖艶な魔王と添い寝とかいうラッキーハプニングが起きちゃったり、挙句の果てには悪堕ちして――




 ――悪堕ちして?


 ……そうだった。俺は今ただの人間じゃない。魔王軍の手先になった人間だ。瘴気が染みついたこの髪を見れば、だいたいの冒険者は間違いなく俺を敵だと認識するだろう。そうすればクーラは大混乱に陥る。魔王軍の手先が侵入している、と。


「そうか……俺はもう普通に街を歩くことができないのか」


 思わず呟いていた。その声は今にも消え入りそうなか細い声だったことに俺自身驚いた。そのことを深く考えれば考えるほど何か熱いモノがだんだんと目頭にこみ上げてくる。この一年間ほど人々からは恐怖されてたけど、それでも俺はクーラとクーラに住む人が好きだった。だが、もう自由に歩くどころかクーラに入ることすら許されない。

 魔王の願い事を聞いた時、魔王の親子が俺を騙した事を踏まえたうえで俺は力になりたいと思った。だがその道はとても険しいものなのだと今ここで痛感する。

 いつの間にかシャルが近づいてきており、俺を抱きしめてくれた。


「ごめんね……でもこれからはあたしが傍にいるから……」


 俺はシャルの温もりを感じながら、ただ薄暗い天井を見上げただけだった。

 しかし、その静寂の中で俺の代わりに誰かがすすり泣く音を俺は確かに聞いた――。

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