埋伏の毒

「このような者を王国軍に採用しろですと?閣下もずいぶんと大胆な提案をなさるのですね」


 アルスト城の大広間にて、王の眼前にひざまづくレグルスを前に、王国宰相ダリルが甲高い声を出した。福々しい丸顔の中で、小さな目がすがめられる。


「護国隊はかつては平和税を奪取していたとはいえ、それもアスカトラの民の負担を思えばこそ。彼等はこの国を思う気持ちは誰よりも強いのです。ヴァルサスの脅威が眼前に迫っている今こそ、このような者たちが必要なのです」


 ダインベルトはダリルから少し視線を外しながら言った。あの男は文官でありながら、妙な押し出しの強さがある。


「なんとまあ、これは大将軍とも思われない情けない仰りようですね。いくら陛下がお許しになったとはいえ、この者はもともと賊なのですよ?そのような者の力を借りろとは、それだけこのアスカトラには人材がいないと言っているようなものではありませんか?」

「だからこそ良いのです。彼等はいったん正規軍に組み入れれば、過去の罪を償うため必死に戦うでしょう。キルデリク様なき今、戦場経験の豊富な護国隊は貴重な戦力です。どうか汚名をすすぐ機会を彼等にお与えくださいませ」

「くどい!大事な平和税をかすめ取るような汚らわしい輩を王国軍に入れるなど言語道断」


 ダリルはつかつかとレグルスの前に歩み寄ると、いきなりその額を蹴りつけた。

 平和税の貢納を熱心に推進してきたダリルが、護国隊の首領であるレグルスを許せるわけがない。


「鉄槌公の息子ならば私が遠慮するとでも思ったか?見くびるでない。王国軍にはお前のような薄汚い山犬の居場所などないのだ」


 ダリルはさらにレグルスの頬を蹴った。レグルスは歯噛みしたまま、それでも何も言い返さない。


「どうだ、痛いか?その痛みこそ、平和税を奪われたこの国の痛みなのだ。お前のような近視眼的な未熟者に、陛下のまつりごとなど理解できるわけがなかろう」


(許せ、レグルス。今は耐えてくれ)


 容赦なく打擲を加え続けるダリルから、ダインベルトはそっと目をそらした。

 脇では、リセリナが感情のこもらない目でダリルの暴行を凝視している。


「陛下、このような者を王国軍に入れるなど論外にございます。清き水に汚物を投げ入れるような真似をなさいませぬよう」


 肩で荒く息をつきながら、ダリルは玉座に首をまわした。肘掛けに体重を預け、退屈そうに一部始終を眺めていた王は一言、


「この件はそなたに任せる」


 疲れのにじむ声でそう言っただけだった。


(これでよい)


 すべてはウィルの作戦通りに展開した。陛下の威を借りる奸臣め、今回ばかりはお前の下衆さに感謝してやる、という言葉をダインベルトはその場で飲み下した。




    ◇




「……何なのだその姿は?それがお前の真の姿なのか、セリオン」


 目の前で剣を構えている第三皇子を前に、ヴァルサスは声を震わせた。

 長い銀髪を外套の背に流し、玉石のような碧眼でこちらをにらみ据えるセリオンと、ヴァルサスは夜も更け行く皇都ハルメリアの貧民街の路地で対峙している。


「天空より来たれ、戦乙女の熾光

 我が剣に宿りて、災厄の鞭を打ち払わん

 天地あめつちは言の葉の力に震え

 太古のくびきより汝を解き放つ──」


 セリオンが歌うように詩を紡ぐと、剣の周囲を細かい文字が回転しはじめた。

ヴァルサスも負けじと声を張る。


「我が意志は己が意志、我がかいなに抱かれ甘美なるばくに就け」


 竜将候補としてようやく皇国軍の中で台頭し、栄光への階段を登りつつある今、ここで国外追放処分を受けた皇子ごときに将来を閉ざされるわけにはいかない。

 ヴァルサスが呪言を唱えると、額に刻印された目の紋様が開き、足元から黒い影が伸びてセリオンの手首に絡みつく。


「……このような力で、私を止められるものか!」


 黒い鉤爪に手首をつかまれているにも関わらず、セリオンは思い切って剣を振り下ろした。しかしわずかに剣の軌道が逸れ、切先から放たれた光はヴァルサスの額の紋章の右端をかすめただけに終わった。


「ぐっ……」


 それでも吟唱呪に撃たれたヴァルサスは額を抑えてうずくまった。

 灼けるような痛みにしばらくのたうち回った後、ようやく立ち上がると、すでにセリオンの姿はどこにも見えなくなっていた。


(ソフィアといい息子のセリオンといい、なぜ詩文に長けたものはことごとく俺の邪魔をしやがる。古代技師の施術を受けて三日三晩苦しみぬき、ようやく手にした紋章の力を俺から奪い去ろうってのか)


 剣闘士から成り上がったヴァルサスは、高貴な身分に生まれ、裕福な暮らしをしている者達が許せなかった。だがこの紋章の力さえあれば、聖紋を持つ貴人とも肩を並べる存在となれる。

 邪紋と言われようと、この「収攬しゅうらん」の紋章の力があれば、相手を思うがままに操れる力を手に入れられる。この力を奪おうとする者は、それが皇子であれ皇帝であれ敵だ、というのがヴァルサスの信念だった。

 皇妃ソフィアとその息子セリオンは、ヴァルサスが皇帝に進言した詩人狩りに強硬に反対した。吟唱呪を扱えるものからすれば、詩を禁じられることほど都合の悪いことはない。そしてヴァルサスから見れば、せっかく手にした収攬の力を封じる吟唱呪ほど忌々しいものはないのだ。


「やはり詩人は危険だ。根絶やしにすべき存在だ」


 肩で大きく息をつきながら地べたに腰を下ろすと、急激に眠気が襲ってきた。

 こんなところで眠り込んだら、いつ破落戸ごろつきどもに身ぐるみ剥がれるかわからない──と思いつつ、ヴァルサスの意識は闇に沈んだ。



 再び目を開けると、目の前の机には八つの小さな旗の建てられた地図が広げられていた。アスカトラ領内でヴァルサスの占領した城を示す旗だった。


(──夢か)


 吟唱呪という言葉を聞くたびに、背筋を嫌な震えが駆け抜ける。

 ハリドを屠った詩人が吟唱呪を使っていたと報せを受けたときも、あの八年前の忌まわしい出来事を思い出して心臓が強く脈打った。

 だが、この悪夢もいずれは終わる。ダインベルトを討ち、アスカトラ王を殺し、何者をも凌ぐ力を手に入れれば吟唱呪など取るに足りない。そのための一歩を、すでにヴァルサスは踏み出していた。


「ヴァルサス様、レグルスと申す者が我が軍に投降を申し出ております。なんでも護国隊を束ねていた者だそうで」


 黒い甲冑を着込んだ副官が、執務室へはいってきた。首を振って眠気を振り払うと、ヴァルサスは立ち上がった。


「その者を通せ。すぐに面会する」


 どうやら新しい駒が手に入ったようだ、という喜びを噛み締めつつ、ヴァルサスは謁見の間へと向かった。



「ほう、アスカトラではもはやお前たちの志は活かせない、というのか」


 短く刈り込んだ頭を下げつつひざまづいているレグルスにヴァルサスは問うた。


「はい、あのダリルという宰相がいる限り、我々護国隊は王国軍へ加わることを認められません。それどころか酷い罵倒を投げつけられ、誇りまで奪われる始末。あのような国に、もはや忠誠など捧げる気はありません」


 レグルスは悔し涙を床に滴らせつつ、絞り出すように言った。


「嘆かわしいことよ。お前のような有為な人材を活かせぬとあっては、もはやアスカトラに未来などあるまい。カイザンラッドならば地位は身分出自を問わず、その者の功績に応じて与えられる。我が軍ならば、お前の才を存分に発揮できよう」

「では、我々を閣下の軍に加えていただけるのですか」

「死力を尽くして働け。近いうちにお前たちが戦う機会もあるはずだ」


 レグルスは弾かれたように顔をあげると、満面に喜びをみなぎらせた。


(この男の言っていることは、ディリータの報告とも一致している。信じても問題はないだろう)


 そう判断すると、ヴァルサスは新たな問いを向けてみた。


「ところで、ダインベルト将軍の身辺になにか変わった点はないか」

「はっ、あの者は最近リセリナという護衛をことのほか気に入った様子で、いつもお前に特等席で戦の見物をさせてやる、と語って聞かせているそうです。自分が竜将の首を討つところを見せてやりたいようです」

「ほう、この俺を討てるつもりでいるのか」

「おそらく、あの娘はダインベルトの愛人も兼ねているのでしょう。全く、嘆かわしい限りです。軍を束ねるものがみずから女色に溺れていては、皆に示しがつきません」


 悔しそうに肩を震わせるレグルスを前に、ヴァルサスは口角を釣り上げた。


「アスカトラの土台は完全に揺らいでいるようだな。宰相ばかりか大将軍までもが腐り果てているとは。沈む泥舟と命運をともにしなかったお前には先見の明があると言わねばなるまい」


 嘲るように言うと、レグルスはようやく肩の震えを止めた。


(よくやった、ディリータ)


 ダインベルトを籠絡してしまえば、あとはもうこちらのものだ。

 あの大将軍さえ討てば、もうアスカトラにはこれと言った武人はいない。

 鉄槌公アズラムは領地を離れられないだろうし、ダインベルトが死ねば臆病なクロンダイト公あたりはこちらに寝返ってくる可能性もある。

 この俺がアスカトラの玉座に座る日もそう遠くはあるまい──そう思うと、ヴァルサスはこみ上げてくる哄笑を止めることができなかった。

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