皇妃と竜将

 貴婦人がそこまで話すと映像は途切れ、真円の中は黒一色に染まった。

 サナの右手の紋様が消えると同時に、目の前の真円も消える。


「今話していた人物が、私の叔母上にしてカイザンラッド皇妃、マリヤです」


 落ち着き払って話すサナの言葉に、一同はざわついた。


「マリヤ様が平和税を離宮の建設に?しかもヴァルサスの精鋭部隊を人夫として用いるとは」


 ウィルもさすがに驚きを隠せない様子だった。


「叔母上から聞いたところでは、ヴァルサス様の黒鬼隊とは無敵の強さを誇るだけでなく、築城や武器の製造などにも長けているのだそうです。その高い技術力を買い、離宮の建設のため使役するつもりなのだということです」

「カイザンラッドはバクトラとの戦争も終結させ、南方のオアシス諸都市ともいったん休戦したため、皇帝は王妃の願いを容れて保養地イルマリアに巨大な離宮を作ることにしたのだ。老い先の短いものほど、己の生きた証をこの世に残したがる」


 アズラムの皮肉にサナは顔をほころばせると、再び口を開いた。


「叔母上は、内心ヴァルサス様を快く思っていらっしゃいません。そこでかの若き竜将の牙を抜くことにしたのです」

「でも、ヴァルサスが大人しくマリヤ様の言うことを聞くだろうか。手塩にかけて育てた精鋭部隊を差し出せと言われて、黙っているとは思えないけれど」


 アリオスの鳶色の瞳に、不安の光がゆらめいた。サナは表情を引き締めつつ、


「はい、むしろそれこそが叔母上の狙いなのではないかと思うのです。いくらヴァルサス様が優秀であっても、残り六人の竜将を相手にしては勝ち目がないでしょう」

「なるほど……ヴァルサスを謀反に追い込もうとしていると」


 ウィルは顎に手を当てると、何度もうなづいた。


「叔母上は皇妃である以上、本来はカイザンラッドに協力しなければいけない立場です。ですが、詩人狩りなどという恐ろしい政策を提言したヴァルサスの横暴を許しておいては、かえって国が危ういとお考えなのではないでしょうか。中原諸国の詩とは異なりますけれど、紫雲公国でも片言詩が愛唱されていますし」

「贅沢をするふりをして、確実に敵を追い詰める……紫雲公国の方たちは剣を持たない戦いをしているんだね」


 アリオスは感じ入った様子でサナを見つめた。サナは微笑みを返す。


「私の祖国は、わずかな武力しか持たない小国に過ぎません。最近は姉上が武人として力を尽くしていますが、あくまでカイザンラッドに協力するという形で動くことができるだけです。私達紫雲公国の女たちにとっては、宮廷こそがその力を発揮する場所なのです」


 サナは柔らかな笑みの中にも、芯の強さをのぞかせていた。


「そういうことだ、アリオス。もしお前が王として誤った道に進もうとするならば、そこの可愛らしい姫君がどのような手に及ぶかわからぬのだぞ。心しておけ」

「ご心配には及びません、父上。僕などはせいぜい、サナの掌の上で転がされるくらいが関の山でしょう。彼女に手綱をつけられていては、誤った道になど進みようがありません」


 アズラムは一瞬虚を突かれた様子で黙り込むと、豪快に笑いだした。


「お前も言うようになったものだ。そういう物言いは誰から学んだのだ?やはりウィルからか」


 ウィルは苦笑した。鉄槌公を前に冗談を飛ばすなど、以前のアリオスでは考えられなかったことだ。イレーネを撃退したことで、やはりひと回り大きくなったようだ。


「しかし、離宮の建設のためとはいえ、やはり我々の血税が使われるのはどうにも気に入りませんね」


 ナターリアはどこか納得がいかない様子だ。


「そのことなのだが、実のところ、遠からず我々は平和税を払う必要もなくなるのではないか、と私は予想しているのだ」

「それは、どういうことです?」


 ナターリアがアズラムにいぶかしげな目を向けた。


「その理由はいずれ明らかになろう。ヴァルサスが私の思っているとおりの男なら、必ずそうなる」


 ナターリアは小首を傾げたが、それ以上言葉を継ぐことはなかった。この女戦士はアリオスと同様に、この偉大な英雄にも絶大な信頼を寄せている。


「ところで、エルタンシア公にひとつお願いがあるのですが」


 それまで黙っていたコーデリアが、急に口を開いた。


「御存知のとおり、我がヘイルラント辺境領は以前、カイザンラッドの襲撃を受けております。その折はヘイザムの森エルフの協力もあり一度は撃退しましたが、もう一度襲撃されては我々だけの力では対抗できないかもしれません。つきましては、エルタンシア公の助力を仰ぎたいのですが……」

「助力とは」

「公も御存知のとおり、ヘイルラントはフォルカーク砦の地下に転移門があるため、いつまた皇国の軍が攻め来るかわかりません。我々の自由騎士は全員が自営農ですので、専業の兵士を常駐させて頂きたいのです」

「その頼みならば、まずクロンダイト公にするべきではなかっただろうか。もっとも、彼の者が頼りになるとも思えないがな」

「仰せの通り、フロリー神殿の神官長にはクロンダイト公は当てにはならないと言われました。アズラム様なら、ヘイルラントを皇国に占領されることがどれほど危険かお分かりになると存じます。どうか私達に協力していただけないでしょうか」

「うむ……」


 低く唸るような声を出すと、アズラムは目を閉じて腕組みをし、しばらくの間考え込んだ。


「貴方の求める兵はいかほどか」


 ゆっくりと目を開き、アズラムはコーデリアを見据える。


「フォルカーク砦ならば、二百名の兵を収容できます」

「二百名ならば一年間は派遣できる。当家の懐事情ではそれ以上は難しい。それに、辺地に派遣される兵の不満も考えなくてはならぬ」


 辺地と言われてコーデリアは少しむっとしたが、慌てて無理に笑みをつくった。


「我等のために力を貸してくださり、感謝の念に堪えません」

「うむ、これもアスカトラを守るためだ。ヘイルラントが失われては、直接カイザンラッドの脅威にこの国をさらすことになる」


 コーデリアの笑みがどこか引きつっているのを見てとり、アズラムは言葉を続ける。


「一年が過ぎたらどうしたらよいか、とお考えなのだな」

「……はい、その通りです」

「では、陛下から直接お言葉を賜ってはどうか。アスカトラの五つの領邦が一年ごとに交代でヘイルラントに兵を派遣することと決めるなら、各領邦の負担もそれほど大きくならずにすむ。もし王都に行かれる気があるのなら、私も陛下に嘆願書をしたためよう」

「陛下が私達の願いを聞き入れてくださるでしょうか?」

「書状にはヘイルラントを守る気がないのならまた平和税の支払いを止める、と書いておくさ」


 アズラムが肩を揺すって豪快に笑うと、コーデリアもようやく本心からの笑みをこぼした。

 

「さて、詩人よ、そなたも王都に用はないか?」

「コーデリア様が王都に行かれるのでしたら、どのみち私も伴をしようと思いますが」


 ウィルはコーデリアをちらりと見た後、アズラムに向き直った。


「そうか、それならば渡りに船だ。実はダインベルト将軍が詩に詳しい者を探しておってな。そなたにも力を貸してやって欲しいのだ」

「ほう、それはどういうことでしょう」

「ノルディールの北辺を守備している時、長城の外で兵が奇妙な石版を発見したらしいのだ。どうも吟唱呪とやらに関係しているらしいのだが、誰も解読できるものがいないと困っておられるらしい」


 吟唱呪、という言葉を聞き、ウィルの眉がわずかに動いた。

この国を代表する名将が、なぜ詩などに興味を持っているのだろう。


「わかりました。詩は身分の垣根を超えるもの。私で良ければ、将軍のお力になりましょう」


 力強く断言すると、ウィルはコーデリアと目を見合わせた。


「そうだ、王都へ発つならオルバスも連れて行くといい。あの者は先ほどの調練の際にめざましい働きをみせたゆえ、当人の希望を容れてダインベルト将軍に百騎将として推薦することにしたのだ。エルタンシアにいるより、そのほうが戦功を立てる機会も増えるだろうからな」


 なぜ戦功を立てる機会が増えるのか、とはウィルは訊かなかった。おそらくウィルが胸中で描いている未来図はアズラムと一致しているだろうが、それをこの場で話したところでコーデリアを不安にさせるだけだ。

 オルバスの名を聞いて微妙な表情になったコーデリアを一瞥すると、ウィルは軽く肩をすくめた。



  ◇




「黒鬼隊を離宮の建設に差し出せだと?ふざけた真似を」


 テュロス城の大広間に、ヴァルサスの怒声が響き渡った。マリヤ皇妃の使者は、ヴァルサスの前にひざまづいたまま身体を縮め、青ざめた顔を伏せている。


「しかしヴァルサス様、命に従わなければ謀反を疑われてしまいます」


 豪奢な椅子に腰掛けるヴァルサスの脇から、ディリータが抑揚に欠ける声をかけた。ヴァルサスは苛立たしげに肘掛けを指で何度も叩いた。


「しかし従えばそれはそれで俺の戦力を削ぐことになる、か。ふん、あの女狐の考えそうなことだ」


 公然と皇妃を罵倒するヴァルサスの様子に、使者はびくりと肩を震わせる。


「皇国に従うか、謀反するか、そのふたつしか道がないと考える程度の者ならば、そんな奴は竜将の名に値しない。この俺もずいぶんと見くびられたものだ」

「では、どうなさるおつもりなのです?」

「知れたこと。アスカトラを切り取り、新たな俺の足がかりとする」


 居並ぶ群臣がざわめいた。その顔には明らかな喜色が浮かんでいる。その言葉を待っていた、とでも言いたげな様子だ。


「今となっては、白銀協定を律儀に守ってやる必要もない。平和税などいくら搾り取ったところで、王妃の離宮に変わるだけなのだからな。俺が直接アスカトラを支配すれば、あの女狐に税をかすめ取られることもない」

「ヴァルサス様は、アスカトラ王になるおつもりなのですか」


 ディリータの声音に、少しだけ感情らしいものが垣間みえた。

 王国に反乱を起こした母を殺し、ディリータをアストレイアの居城から追った父・クロタールをヴァルサスが殺してくれるのなら、ディリータがヴァルサスに尽くしてきた忠誠も報われる。


「王、か。それもいい。だがお前はたかが王の家臣であるだけで満足か?」

「それは、どのような意味なのでしょうか」

「ディリータよ、この世から戦を無くすにはどのようにすればよいと思う」


 しばしの間沈黙した後、ディリータは口を開いた。


「……すべての土地を、ひとつの国が支配することです」

「この世のすべての土地を統べる者には、どのような呼称がふさわしいだろうな。王では足りない。皇帝でも足りんだろう。──まあ、それはいずれ考えるとして」


 ひとつ咳払いをして、ヴァルサスは続ける。


「お前たちはカイザンラッドの忠実な番犬で終わりたいか?俺が至尊の座に登れば、お前たちにも今の七竜将くらいの地位はくれてやれるぞ」


 ヴァルサスの視線が群臣の間を薙ぐように走ると、再び皆がどよめいた。


「やりましょう、ヴァルサス様。我等の牙を抜こうとする皇妃になど従えません!」

「我らがアスカトラの犬どもを従えるのだ!あの臆病な王など恐れるに足りん!」


 家臣が次々とヴァルサスに賛意を示し、やがて大広間は怒号に包まれた。

 皆が興奮で声を震わせる中、皇妃の使者だけが一人ヴァルサスの目の前で縮こまっていた。


「案ずるな、殺しはせん。今後は俺の人形として働いてもらう」


 やおら椅子から立ち上がると、ヴァルサスはゆっくりと右手を使者の額に伸ばした。若き竜将の額には閉じられた目の紋様が浮かび上がる。

 使者が血走った目を剥き、苦悶の声を漏らすと、ヴァルサスの額の目が開いた。

 それに応じ、いっそう使者の声が大きくなる。

 長く尾を引く悲鳴がやみ、ヴァルサスが使者の額から手を離すと、その額にもヴァルサスのものと同じ紋様が刻まれていた。


(この者には、俺の忠実な犬としてしばらくは皇妃に俺の言い分でも伝えさせるか)


 平和税を王妃のために使わせるのは癪だ。今のところはこちらの野心は伏せておき、カイザンラッドの将としてアスカトラを攻めればいい。そうすれば白銀協定をカイザンラッド側から破棄したことになり、アスカトラには平和税の貢納の義務はなくなる。


 ヴァルサスは剣闘士時代の記憶を思い出した。次にこの俺が屠る相手は誰か。アスカトラ王か、大将軍ダインベルトか。この剣が血を吸うたびに、皆が俺を褒め称えてくれるのならこれほど愉快な人生はない。

 いずれこの世界のすべてを統べる身ともなれば、闘技場コロセアムを埋め尽くす観衆をはるかに超える民が、この俺の偉業を讃えてくれる──そう思うと、表情が陶然としてゆくのを抑えることができなかった。

 

「さて、ディリータよ、お前にはまずやってもらわなくてはいけないことがある。まずは王国宰相ダリルの元へ赴け。アスカトラ一の名将に毒を食らわせてやるのだ」


 ヴァルサスは薄い唇の端を引き上げ、酷薄な笑みをつくった。


「ガルス、アスカトラ軍の甲冑はどれほど残っているか」

「はっ、およそ八千人分は用意できます」


 神経質な表情の主計官が答えた。いつか使う機会もあるだろうと、ファルギーズの戦いで投降したアスカトラ兵から取り上げたものだ。


「竜将の戦いとはどういうものか、アスカトラの連中に見せつけてやろうではないか」


 舌で唇を湿らせると、ヴァルサスはアスカトラ兵の緑の甲冑が累々と荒野に横たわる様を思い描き、ひとりくらい感慨にふけった。

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