英雄の帰還
「なぜ、沿海都市同盟の軍がここに?」
アリオスの声が震えていた。その焦りをなだめるように、ウィルが声をかける。
「七年前の復讐のためでしょう。ここに来るのなら南部諸侯の軍かと思っていましたが、あるいは南部諸侯が彼らをそそのかしたのか……」
今より七年前、アズラムは聖紋の力を用いて沿海都市同盟の軍をさんざんに攻め立て、見事に撃退していた。先ほどイレーネが操っていた骸骨兵も、元はと言えば沿海都市同盟の兵だったのかもしれない。
「しかし、あの数じゃあとてもここの守備兵だけでは太刀打ちできないよ」
ナターリアは額の汗を拭った。眼下の兵たちが弩を構え、こちらに向けている。沿海都市同盟の弩兵はその練度の高さから評判が高い。
「アリオス様、ここにおられては危険です。どうかお下がりください」
「わざわざ鉄槌公の留守を狙うとは、貴方がたは軍人ですか、それとも盗人なのですか。恥を知りなさい!」
ウィルの言葉をさえぎるように、凛とした叱声が辺りに響き渡った。それはウィルのよく知っている声だった。
「コーデリア様!」
遠目にはよく見えないが、聖紋で音量を増したその声は、たしかにコーデリアのものだった。コーデリアの声は、真紅の甲冑の軍勢の先頭から聞こえている。
「貴方がたに少しでも軍人としての矜持があるのなら、まず戦うべきは誰なのか、それくらいはおわかりですよね?まさか、この私には立ち向かえないほどの臆病者なのですか?」
コーデリアが声を張ると、弩兵隊は後ろを振り返り、一斉にコーデリアに向けて矢を放った。
放たれた矢は急に力を失ってその場に落ち、弩兵は吹きくる強風に耐えられずに次々とその場に倒れた。鉄槌公アズラムの聖紋、「
「父上!」
まず自ら敵陣に飛び込む鉄槌公の戦い方は、七年前の再現だった。
アズラムの活躍に俄然勢いづいたエルタンシア軍は、雄叫びをあげて次々と沿海都市同盟軍に斬り込んでいく。紅の甲冑の騎士たちの剣が翻るたびに血煙が巻き起こり、悲鳴と怒号が混じりあった。
「やれやれ、コーデリア様にあの作戦を教えてしまったのがいけなかったか……」
ヘイルラントで自らを
「アリオス様、今です。我々もお父上の軍に加勢しましょう」
アリオスとナターリアは無言でうなづくと、階下へ続く階段を急いで駆けおりた。
◇
「よくやった、我が息子よ」
城門の前に累々と転がる青い甲冑の兵を見回すと、アズラムは高らかに呼びかけた。アリオスは急ぎ父の前に駆け寄る。
「いえ、私は守将として当然の役目を果たしたまでにございます。父上がお戻りにならなければ、この城は落ちておりました」
「私が戻るまで持ちこたえればそれで十分だ。もとより、私に敵意を持つものを誘い出すことが目的だったのだからな。南部諸侯ではなく沿海都市同盟が出てきたのは予想外だったが……まあよい、これでもう南部の連中も我らに手出しする気はなくなっただろう」
アズラムは満足げにうなづくと、会心の笑みを浮かべた。
「あの、父上は私がこの城を守りきれると思っておられたのですか?」
「そうでなければ、このエリュトリスを留守にしたりはせぬ」
「ですが、父上は私の武勇になど全く期待してはおられなかったはずです。ここを守るのが兄上であったならともかく、私では心もとなかったのではありませんか」
「よいかアリオス、主君のするべきことはみずから陣頭に立つことではない。私の戦い方はそうだが、皆がそうすればいいというものではないのだ」
何度も目をしばたくアリオスを前に、アズラムは続ける。
「将に将たることができることこそが主君の器というものだ。アリオス、お前はナターリアやウィルのような人材を使いこなし、イレーネのような妖女に勝利した。臣下に人を得なければ、主君は主君であることができぬ。お前はそのことをよく理解している」
驚きに瞳を丸くするアリオスの脇で、ウィルとナターリアは目を細めた。
「父上……」
「主君の有り様はひとつではない。アリオス、お前は人の和の中心となり、そばに寄る者の太陽となるような、そのような主君であれ」
「はっ!」
アリオスは父の前にひざまづいたまま、感極まって肩を震わせた。
父子の再開に涙する周囲の兵をよそに、ウィルのそばに歩み寄るものがいた。
「お久しぶりでございます、コーデリア様」
ウィルが帽子を脱いで頭を下げると、コーデリアは軽く微笑んだ。
「護国隊の活動を止めるにはまだ時間がかかりそうだとあれほど申し上げましたのに」
「だからこそ黙っていられなくなったのです。貴方だけではどうにもできないのなら、私も一緒にアズラム様を説得すればいいことではありませんか」
「一体どうやってここまで来たのです?」
「神官長様にお願いして、神殿兵を護衛につけてもらいました。ようやくたどり着いたと思ったらお城が囲まれていたので、本当に驚きましたよ」
「なぜ鉄槌公と一緒にここに来られたのです。あまりに危険ではありませんか」
「おや、ヘイルラントで私を
コーデリアのとがめるような口調に、ウィルは軽く肩をすくめた。
「ヘイルラントでの戦いの経験をお話したら、公は私を快くここまで連れてきてくださいました。さすがに戦に慣れている方は違うものですね」
「コーデリア様をお守りする自信があったからでしょう。公の聖紋の力ははじめて見ましたが、さすがにハリドなどとは格が違う」
ウィルが感心したように言うと、コーデリアもうなづいた。
ウィルの視線の先でナターリアがアズラムに歩み寄り、口を開く。
「これでおわかりになられたと思いますが、やはりアリオス様はこのエルタンシアを継ぐのにふさわしき方かと……」
「いや、ナターリアよ、それは違う」
ナターリアの言葉をさえぎると、アズラムは意を決したように語気を強め、
「アリオスが継ぐべきはこのエルタンシアなどではない。アスカトラの王位だ」
コーデリアとナターリアは驚きに目を見開いたが、ウィルだけは平静な表情でアズラムの宣言を聞いていた。
◇
「……なるほど、ではやはりサナ姫はアリオス様がアスカトラの王位を継ぐ未来を見ておられたと」
エリュトリス城の会議室のテーブルについているウィルが、アズラムに目をむけつつ言った。アズラムの左右にはウィルのほか、アリオスとナターリア、そしてサナとコーデリアが並んでいる。戦いが終わって五日が過ぎ、今後の方針を話し合うため一同がこの場に会していた。
「やはりとは、そなたはそのことを知っていたのか?」
アズラムが鋭い問いを投げてよこした。
「はい、サナ姫はいずれアリオス様は王になると口にされていました。おそらくそのような未来をご覧になったのだろうと思ったのです」
「ウィル、貴方にはなんでもお見通しですのね」
サナは感心した様子で言った。その隣でアリオスもうなづいている。
「そなたは、私が王に反旗を翻すと思ったのではないか」
「あるいはそのような未来もありうると考えておりました。ですが、まさかこのような流れになるとは」
「そうだな、実は私自身が一番驚いているかもしれぬ。まさか陛下のほうからアリオスを養子に欲しいと持ちかけてくるとはな」
エリュトリスの戦いが終わり、武功を立てたアリオスをクロタール王は後継者に望んだ。王の二人の娘、アルティラとディリータの二人が行方不明である以上、誰か別の人物に王位を継がせなくてはならない。後継者は早く決めておかなければ、王の身になにかあった時に国が混乱する原因になる。
紫雲公国がサナとアリオスの婚約を決めたのは、アリオスがいずれ王になることを見越してのことだったのだろう。
「ですが父上、僕に王が務まるとはとても……」
アリオスは怯えた子鹿のような目で父を見る。
「案ずるな、国王とはいっても実際に治めるのはアスカトラの領邦だけだ。エルタンシアを治めるのとそうかわりはない。お前はそれぞれの領邦を束ねる存在として、時おり指導力を発揮すればそれでいいのだ」
「ですが、僕が陛下の養子になったら誰がこのエルタンシアを継ぐのです?」
「知れたこと。レグルスが継ぐに決まっておるではないか」
「しかし、兄上は護国隊の活動をしておられたでしょう。陛下がそのようなことをお許しになるとお思いですか?」
「うむ、そのことなのだがな」
アズラムは顎髭をしごくと、呼び鈴をふった。従者が扉を開けて大きな袋を持ち込み、中身をテーブルのうえに広げる。
「これは……」
皆が目を見張った。テーブルの上には数多くの指輪やネックレスが並べられ、そのどれもに大きな翠晶石がはめこまれている。貴重な鉱石をふんだんに使った装身具は、どれも相当に値が張りそうだ。
「我がエルタンシアが納めていなかった平和税は半年分。滞納分を払うのであれば、陛下は護国隊の罪は問わないと仰せだ。先日陛下に拝謁したついでに約束を取り付けてきたのだ。イレーネの身につけていたこの宝石を売り払えば、我が領邦の民にはさほど負担をかけずにすむであろう」
アズラムは指輪の一つを手にとり、しげしげと眺めまわした。
「ですが、本当によろしいのですか?アズラム様はずっと平和税の貢納には反対されていたはずなのでは」
ナターリアの問いに、アズラムはにやりと唇を歪めた。
「私はずっと、平和税はカイザンラッドを肥え太らせるためのものとしか考えていなかった。奴らは我等の血税で兵を集め、新しい武器をそろえ、いずれはこのアスカトラに攻めくるものとばかり思っていた。だが私の予測は正しくなかったようだ。ここから先はサナ姫に話していただこう」
一同の視線がサナに集まった。
「実は先日、私の叔母上から知らせが参りました。私は叔母上から分紋を受けておりますので、彼女の聖紋の力で送られてくる映像をこの場で示すことができます。これから起きることを、ぜひ皆さんにご覧になっていただきたいのです」
場の空気がしんと静まりかえった。アズラムが先を促すようにうなづくと、サナの右手に太陽の形の紋様が浮き、以前未来を予知したときのように目の前に真円が描かれた。
真円の中で何人もの侍女を連れ、扇を広げてたたずんでいるのは紫雲国人特有のまっすぐな黒髪をドレスの背に流した貴婦人だった。薄紫に彩られた艶やかな口元が、心地よい音を奏ではじめる。
「平和税とはまこと良きものです。陛下が私のため、立派な離宮など作ってくれるというのですから」
貴婦人の視線の先では、多くの人夫が忙しく動き回っていた。まだ土台が組まれたばかりだが、いずれこの地には壮麗な宮殿が立つことだろう。
「この大仕事には、ヴァルサスの
貴婦人は真円を見つめるウィルに顔をむけた。その秀でた額にも、太陽の形の紋章が光っていた。
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