鉄槌公

「兄上が僕に期待している……か。仮にそうだとして、その期待に応えるだけの力が、僕にあるのだろうか」


 アリオスはやおら立ち上がると、真剣な眼差しをウィルに向けた。


「なぜ、そうまでご自身をお疑いになるのです?」

「僕は、父上や兄上と違って戦には向いていない。兵法もまるで学ぶ気になれないし、そんな暇があったらハルセラムの詩やアスカトラ年代記を学んでいたいと思ってしまうんだ。父上の家臣には僕のことを学者公子と呼ぶものもいるけれど、これはどう見ても褒め言葉ではないだろうね」


 アリオスはまた力なく笑った。どこか濡れているような鳶色の瞳のうえの長い睫毛が、この風雅を愛する貴公子の繊細さに拍車をかけている。


「詩も歴史も、太古より伝わる人の営みと知恵を我々に授けてくれるもの。これを学ぶことこそ、為政者にふさわしい行為でありましょう」

「でも、学んだことを実地に活かせなければ意味がないよ。兄上のように采配を振るうことができないのなら、僕は……」

「アリオス様、そうやってなんでもかんでもお一人で背負おうとしちゃいけませんよ」


 陽気な声で割り込んできたのはナターリアだった。艶のある黒髪を無造作に掻き上げると、ナターリアは腰の剣を指差した。


「こういうものを使うのはあたしらの仕事です。アリオス様は後方でどんと構えて、あたしらの戦いをただ見守ってくれていればそれでいい。大将の器量というのはそういうものです」

「そう……なんだろうか。父上のように常に陣頭に身を置いてこそ、部下はついてくるものだとばかり思っていたけれど」

「あれはエルタンシア公だからこそできることです。正直あんな真似をされちゃあ、部下としては気が気じゃないんですよ」


 ナターリアの屈託のない話しぶりに、ようやくアリオスも愁眉をひらいた。


「良き家臣に恵まれていることもまた、アリオス様のご器量が優れていることの証かと存じます」


 ウィルの言葉に、ナターリアが快活な笑みをみせる。


「おや、そんなこと言ったってなにも出やしないよ」

「私は世辞など言ってはいない。事実をありのままに申し上げているまでのこと」

「ははっ、言ってくれるね。でもあたしがいい家臣かはともかく、アリオス様が人を惹きつけるお方であることは間違いないよ」


 ナターリアの脇で、アリオスがわずかに頬を染めた。

 たしかにナターリアのような者からすれば、アリオスは仕えがいがあるだろう。

 自分が支えてやらなければいけない、という気にさせてくれるからだ。


「アリオス様、聖紋にそれぞれの形があるように、人にもそれぞれの有り様というものがございます。アリオス様はただ、自分自身であり続ければそれで良いのではありませんか」

「自分自身であり続ける──か」


 そんな言葉は聞いたことがない、といった風にアリオスは鳶色の目を見開いた。


「簡単ではないだろうけど、努力してみるよ。僕もいつまでも落ち込んでばかりはいられないからね」


 声に力を込めるアリオスを見て、ウィルとナターリアは力強くうなづいた。


「さあ、そろそろ発つとしよう。もうエリュトリスは目と鼻の先だ」


 心なしか足取りを弾ませつつ、アリオスは街道で待機している隊列へと戻っていった。



 ◇



 柔らかい新緑に彩られる木々の間を走る街道を抜け、一行の前の前にはエルタンシア領邦の首都・エルトリスの姿がみえてきた。

 クロンダイトの呪晶石の城壁とは違い、こちらは無骨な石壁に周囲をぐるりと取り囲まれた都市だが、アガトクレス教会の栄光を示す尖塔がいくつも天を衝く勢いでそびえ立っていた。南方に翠晶石を産するバフシ鉱山を抱え、アスカトラ随一の経済力を誇示するかのように、それらの建築物はこの都市を訪れるものを威圧している。

 そして、この街の北端は小高い丘となっており、そこにはエリュトリス城が鋭い尖塔を睥睨へいげいするように腰を据えている。雄大な長方形の体躯の上に巨大な円柱がそびえ、その周囲を天へと続くかのように階段が螺旋状に取り巻いている。


 門衛が背筋を伸ばして敬礼する脇を通り抜け、市内へと足を進めると、通りすがる者達の姿形もどことなく華やいでみえる。婦人の多くは金糸の刺繍の入った上質なドレスをまとい、男たちも貴人はそれが流行なのか、赤と黒の縦縞の入った派手な衣服に身を包んでいる。洒落者であると言われる鉄槌公の好みの反映だろうか。

 整然と立ち並ぶ家屋も多くは煉瓦作りで、その間を碁盤の目のように縱橫に走る道路は清潔に掃き清められ、不快を感じさせることがない。鉄槌公は、お膝元であるこの都市の内政にも十分に意を用いていることが感じ取れる。


「どうだい、ウィル。ここはなかなかいい街だろう?」


 馬上から語りかけるナターリアの声は、実にたのしげだ。


「道行くものたちの顔に、どことなく余裕が感じられる。皆がこの街を心地よく感じているようだ」

「そうだね、これもエルタンシア公の威光ってやつだよ。アズラム様は戦場では猛将だけれど、統治者としても優れたお方だからね」


 名将が名将たりえるには、ただ用兵に長けていればいいというものではない。軍隊を支える経済力や政治基盤が確立していてこそ、将は存分に力を発揮できる。鉄槌公アズラムが名将といわれるのは、そのことを当人がよく理解しているからだ。


「ううむ、俺はノルディールからアルハイドをたどってクロンダイトまでやってきたんだが、こんなに景気の良さそうなところははじめて見たぞ」


 オルバスが感嘆の声を漏らした。バフシ鉱山の収入が豊かなこともあるだろうが、この領邦が平和税を取り立てていないこともまた、領民を豊かにしているのだろう。


「だったら、なおさらここで兵に志願しなよ。オルバス、あんたは昔ダインベルト将軍の下で傭兵やってたんだろう?ならすぐに出世するさ」

「おう、望むところだ。だが、鉄槌公が軍備を拡張してるのはなんのためなんだ?どこかに不穏な動きでもあるのかい」

「どうもここ最近、エルタンシア南部の諸侯がまた怪しい動きを見せはじめていてね。七年前みたいに、また沿海州の連中と組んでここに攻め寄せる可能性もある。万が一のために、防備はしっかり固めておかなくちゃいけないんだよ」


 オルバスが以前語ってくれた通り、ここエリュトリスは七年前に沿海都市同盟と組んだ南方諸侯に攻められている。その折は鉄槌公が単騎出撃して連合軍を撃退したが、やはり戦は数だ。鉄槌公も兵力を蓄えることに重点を置いているのだろう。


「しかし、あのような巨大な城ははじめて見た。どのように形容したらいいものやら」


 隊列が街路を左に折れると、前方にエリュトリス城の勇姿が迫ってきた。

 ウィルが小手をかざして仰ぎ見ると、跳ね橋の先の巨大な門は、大口を開けてこちらを飲み込もうとしているようにみえる。


「こういう豪快な構えが鉄槌公の好みなのさ。あたしもこの城は好きだね。巨人に見守られているような気持ちになれるからさ」


 口角を上げるナターリアの横顔には、誇りが満ちている。この町の住人であることを心底喜んでいるらしい。


「さあ、ここから先はいよいよ鉄槌公とご対面だ。ちょっとお声が大きいが、なあに、取って食いやしないから大丈夫さ」


 屈託なく笑うナターリアの横で、アリオスが緊張に顔を引き締めた。



 城門をくぐり、主塔の中の長い螺旋階段を登りきると、その先に謁見の間がある。

 豪奢なバクトラ絨毯の上を歩むと、その先で鉄槌公・アズラムが椅子に腰掛けたままいかめしい顔をこちらに向けていた。

 獅子の刺繍の入った絢爛な外套は重いひだを作って膝まで垂れ、黒い縁無し帽を斜めにかぶった姿はいかにも洒落者だ。しかし射すくめるような眼光と両端の跳ねた豊かな口髭は、この万夫不当の武人の前に立つ者に並々ならぬ緊張を強いる。


「ほう、今日は客人が参っているようだな」


 豊かな声量が周囲の空気を震わせた。命令することに慣れた、王者の声だった。


「父上、ただ今戻りました。鳥たちからレイダス城の狼の様子がおかしいことは聞いておりましたが、彼等を操っていたのはカイザンラッドの者でした」


 アリオスが口を開くと、アズラムはぎろりと目を剥いた。


「なんだと」

「カイザンラッドの将がドワーフの転移装置を用い、あの場所に現れたのです。ナターリアの働きによりどうにか撃退しましたが、またいつ何時現れるやもしれません」

「いよいよカイザンラッドの者と事を構えることになったか。まあよい。遅かれ早かれ、あの虎狼の国とは雌雄を決しなければならぬのだからな」


 アズラムはよほど腹の据わった男らしく、アリオスの報告にも大して動じてはいない。


「ふむ……して、お前はどのように戦ったのだ?詳しく報告せよ」

「それは私より説明いたします。アリオス様は人狼へと変身を遂げたカイザンラッドの将を速やかに撃退するよう命を下され、その場にて……」

「偽りを申すな、ナターリア。お前は嘘をつくとき、早口になる」


 鉄槌公の鋭い追及に、ナターリアは口を閉ざした。


「申し訳ございません、父上。実はカイザンラッドの将への攻撃命令が遅れたために、ナターリアが素早く矢を射て人狼を止めました。その後、部下が一斉に矢を射たため彼の者を仕留めることができましたが、私が采配を誤ったために部下の命を危険にさらしてしまったのです」


 アリオスはアズラムを正視できず、目を伏せながらどうにか言葉を絞り出した。


「アズラム様、これは私の罪でございます。私がもっと強くアリオス様に攻撃命令を出すよう促していれば……」

「お前の責任ではない、ナターリア」


 アズラムはひとつ咳払いをしてから続ける。


「アリオスよ、お前はまた敵に情けなどかけようとしておったのか。情なら味方に注げと何度言ったらわかる?お前のその甘さのせいで、ナターリアのような忠臣まで失ったらどうするつもりなのだ!」


 頭上に大喝を落とされ、アリオスはびくりと身を震わせた。怯えきった貴公子は、いまだに頭をあげることができない。


「ナターリアはお前の不名誉をかばおうと嘘をついた。しかし主君の失態を隠そうとするのはナターリアの忠義があればこそ。問題はそのような失態を犯すお前自身にある。お前のような者は、私の後継者としてふさわしくない」


 はっと息を呑むナターリアの脇で、アリオスは唇を噛んだ。


「アリオスよ、お前には一ヶ月の謹慎を申しつける。その間、ガレアより出ることは許さん。己の不明をよくよく反省せよ」


 苦々しい表情で言い放つアズラムに、アリオスはさらに深く頭を垂れた。


「ところでそこの者、その帽子の羽飾りからして詩人か?」


 アズラムは少し声を和らげつつ問いかけた。


「お察しの通り、私は詩人でございます。事情がありレイダス城に滞在していたのですが、先日の戦いの折は少々アリオス様のお手伝いをさせて頂きました」

「ふむ、そうか」


 ウィルのいらえに、アズラムも納得した様子だ。


「この者はウィルと申しまして、古今の詩に通じているだけでなく、武勇にも長けております。腕前のほどは私からも保証します」


 ナターリアが言葉を足すと、アズラムはやおら立ち上がり、大股でウィルに歩み寄ってきた。


「ウィルとやら、どうも我が息子は軟弱でいかん。この不肖の息子のため、勇壮な武勲詩でも聞かせてやってくれ。勇者の戦いぶりがどういうものかを叩き込んでやれ」

「承知しました。そのお役目、お引き受けいたしましょう」


 帽子を脱ぎ、恭しく頭を下げると、アズラムが外套を翻して踵を返した。ウィルがアリオスに目を向けると、鳶色の瞳にわずかに安堵の色が灯っていた。

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