文弱の公子

「あんたもなかなか大胆なことを言うんだね。でも、そいつは難しいよ」


 ナターリアが力のない笑みをつくった。部外者が気楽なことを言ってくれる、と言いたげな雰囲気だ。


「父上は、僕の話なんて聞き入れてはくれないよ。僕は父には嫌われているんだ。文弱の息子とね」


 どこか自分自身を嘲るように、アリオスは軽く鼻を鳴らした。

 アリオスの繊細な容姿は、確かに戦場よりも宮廷が似合うように思える。ならば今回の出兵は、兄の身を思うあまり無理を押してのことだったのだろうか。


「エルタンシア公は、レグルス様のなさっていることをご存知なのですか?」

「おそらくはね。父上は白銀協定にはずっと反対していたから、エルタンシア領内からは平和税を取らないように厳命しているんだ。護国隊のことを口にされたことはないけれど、兄上の活動は全て知った上で黙認されているのだと思う」

「なんと、エルタンシアでは平和税を徴収しないのですか」


 ウィルはオトーが平和税のことを口にしていなかったことを思い出した。

 オトーの領主が農具の賃借料を取っていたのは、平和税の負担がなかったからこそ可能なことだったのだろう。


「しかし、それでは事実上のアスカトラへの反逆行為ではありませんか」

「お、おい、少しは口を慎めよウィル」


 オルバスが慌てて口を挟むが、ウィルは構わずに続ける。


「エルタンシアはアスカトラ一の大邦。ここが平和税を払わないとなれば、アスカトラの統治を根本から揺るがすことになりはしませんか。平和税の貢納が足りないとあれば、カイザンラッドがどう出てくるかわかりません」

「だからこそ、僕は兄上を説得しようとしているんだよ。でも兄上は、僕のやり方を弱腰となじるだけなんだ。兄上は戦場経験が豊富だ。なんの武功もない僕ではとても説得なんてできるものじゃない。父上も僕の言うことなんて聞き入れてはくれないよ」


 オルバスから聞かされた通り、確かにエルタンシア公アズラムは「鉄槌公」の異名を取る英雄だ。壮年の覇気に満ちたこの男が、アリオスごとき未熟者の言うことを聞くとはとうてい思えない。


「では、カイザンラッドと戦った経験のある者の言葉なら、聞き入れてくださるでしょうか」

「僕が言うよりは説得力があるだろうけど……それは誰なの?」

「不肖、この私めにございます」


 ウィルは恭しく頭をさげた。


「へえ、あんたはカイザンラッドと戦ったことがあるのかい?」


 ナターリアが急に元気を吹き返した。戦のことには興味津々らしい。


「実は、私はヘイルラントから参りました。彼の地では、今日のようにカイザンラッドの将が百名ほどの兵を率いて来襲したのですが、ヘイルラントの領主はエルフの力も借り、寡兵をもってこれを撃退したのです。この戦いに私も参加しておりました」


 自分の立てた策でカイザンラッドを全滅させた、とは言わずにおいた。自らの功を吹聴していると思われてはいけない。


「ははっ、そいつは愉快だ。鉄槌公もその話を聞いたら、さぞお喜びになるだろうね」


 ナターリアの瞳が輝きを増した。


「父上は戦の話なら、どんな話でも聞きたがるお方だ。もし貴方が戦場の話ができるのなら、父上も心を開いてくれるかもしれない」

「でも、あんたはまだ護国隊に入ったばっかりなんだろう?鉄槌公の御前に連れて行くわけには……」

「ああ、そのことなんだけどな」


 緊張感に掛けた声で割って入ったのは、オトーだった。


「さっき、隊長からお達しがあってな。ウィルとオルバス、お前たちは除隊だ。どこなりとも好きなところへ行け、とさ」

「おい、さっきは隊長を襲った罰として牢に入れると言ってなかったか?なんだって急に放り出すんだ」


 オルバスが首をかしげながら訊いた。


「平和税の奪取に反対するような奴はここには必要ない、そういう連中にはもっとふさわしい居場所が他にあるはずだ、とおっしゃっていたよ」

「ほう、なるほど、そいういうわけか。レグルス様も存外アリオス様を案じておられるというわけだ」


 何かを飲み込んだように、ウィルは一人頷いていた。オルバスはわけがわからない、といった風に眉をしかめた。


「兄上が僕のことを案じるなんてことがあるだろうか。さっきもずっと、俺の邪魔をするような奴は兄弟でも容赦はせん、と言っておられたのに」

「アリオス様、口から出る言葉が全てではございません。レグルス様は我々に貴方の元へゆけ、とおっしゃっているのだと思います」

「そうだね、そうかもしれない」


 ナターリアはウィルに同意した。オルバスだけがぽかんと口を開けたまま、この話題から置き去りにされている。


「レグルス様は人を見る目は確かだよ。そうでなきゃこの城塞は維持できない。──どうだいあんた達、アリオス様についてこないか?あたし達はこれからエリュトリスに戻るけど、あそこで鉄槌公は正規兵を募集しておられる。アスカトラを代表する英雄のもとで働いてみるってのも、悪くないんじゃないか」

「おっ、そいつは願ってもない話だな」


 オルバスはさっそく食いついてきた。なにしろ今までずっと仕官先を探してきたのだ。この話に乗らない手はない。


「ふむ、エルタンシア公のもとに赴く、か……」


 ウィルは思案する。

 ここで護国隊を討伐できなくとも、鉄槌公にレグルスを説得してもらい平和税の奪取をやめさせることができれば、神官長の願いは叶えられる。しかし、領内から平和税を取っていない鉄槌公にレグルスを説得させるのは容易ではないだろう。

 しかし、鉄槌公が平和税を収めなければ、いずれはクロタール王と対立することになる。下手をすれば、アスカトラ側から討伐の軍が差し向けられるかもしれないのだ。カイザンラッドの脅威を前に、今この国をふたつに割るような事態はなんとしてでも避けなくてはならない。


「なら、私もエリュトリスへ行くとしよう。エルタンシア公には、詩人としてヘイザムのエルフの武勲詩でもお聞かせすることができればと思っている。槍働きばかりでは演奏の腕もなまってしまうのでね」

「へえ、あんたは詩も作るんだ。ノルディールがアスカトラに組み込まれる以前には自ら剣を取り、詩で戦いを鼓舞する詩人がいたと言うけど、その類かい?」

「私はノルディールの者ではないが、戦場詩人と自称しているよ」

「あの、貴方は古今の伝承には詳しいの?」


 アリオスが目を輝かせつつ、急に話に入ってきた。今までどこか憂いに沈んでいた顔に赤味が差している。どうやらウィルに興味を覚えたらしい。


「私は学者ではありませんが、これでも詩を生業なりわいとする者ゆえ、各国の神話伝承にはいささか通じております」

「じゃあ、ぜひ貴方の詩を聞かせて欲しい。僕のまわりにはあまり詩文の話ができる者がいなくてね。父上もああいうお方だし……」


 アリオスはどこかさびしそうに微笑んだ。やはり鉄槌公がこの国を代表する武人であるため、エリュトリスの雰囲気もまた武に傾いているのかもしれない。戦争よりも学芸に素質のありそうなこの貴公子は、文芸を語り合う相手に飢えていたのだろう。


「心配せずとも、貴方がいてくれる間は逗留費はこちらで出そう。そちらのご友人も歓待するよ。ええと、貴方の名は」

「ウィル・アルバトロスと申します」

阿呆鳥アルバトロス……?変わった名だね。詩人というのはそういう風変わりな名を名乗るものなのだろうか」

「あくまで私の趣味にございます。あまり小賢しく生きるのは性に合わないゆえ」

「小賢しくは生きられない──か」


 アリオスはウィルの言葉を繰り返すと、遠くの山嶺に目をやった。

 残雪を乗せた切り立った峰が、何者をも拒む威容をみせつけている。


「じゃあ、決まりだね。なに、エリュトリスはいいところだからゆっくりしていくといい。空気はからりとしているし、沿海州から色々と珍しいものも入ってくる。鉄槌公が警備を充実させているから治安だっていい方だ。なんなら一生住み着いちまうのもいいかもしれないよ」


 そう決めるのはまだ早い、と思いつつ、ウィルはナターリアに微笑した。



 ◇



 それから数日の行軍を続け、ウィルはアリオスの軍に同行し、エリュトリスへの道を進んでいた。エルタンシアの首都エリュトリスまでほど近い湖沼地帯までたどり着き、一行は休憩を取っていた。

 アリオスは馬を降りると街道脇の並木を抜け、小さな湖のほとりへと出た。

 ウィルもその後を追いかける。レイダス城からここに至るまでアリオスはウィルと詩文について語り合い、すっかり打ち解けた仲となっていた。


「この森の獣達の声も、アリオス様には聞こえるのですか?」


 透明度の高い湖の水面をじっと見つめるアリオスに、ウィルは脇から問いかけた。

 澄んだ湖水は鏡のようにアリオスの紅顔を映し、どこかはかなげな面差しが吹きくる涼風にわずかに波立つ。


「僕の力といえばそのくらいのものだからね。動物たちの声を聞き、時には彼等の力を借りる。それが僕の聖紋の力なんだ。父上や兄上に比べれば、あまり大したことはないね」


 アリオスはどこか自分を突き放したようにつぶやいた。


「いいえ、動物たちと心を通わせることもまた、貴重な能力でしょう」


 ウィルは静かにアリオスの背中に語りかけた。


「使いようによってはね。レイダス城の狼の様子がおかしいのも、鳥たちの声を聞いて知ったことなんだ」

「なら、立派に役に立っているではありませんか。アリオス様の援軍が間に合わなければ、レグルス様も無事ではいられなかったでしょう」

「それはそうかもしれない。でも僕は肝心な時に、あの人狼への攻撃をためらってしまった。兄上が僕の立場だったなら、あんなことはしなかっただろう」


 アリオスはその場にかがみ込み、湖面をのぞき込んだ。


「陛下の山岳エルフとの婚姻政策で、父上は僕の母上を正妻とすることになった。そのせいで、僕が嫡男となり、いずれはこのエルタンシアを治めることになっている。でも本当は、兄上のほうがよほど跡継ぎとしてはふさわしいんじゃないのかな」

「アリオス様、あまりご自身を卑下なさいますな。レグルス様は貴方様をお認めになっているからこそ、あのようにお叱りになったのだと思います」


 レグルスがアリオスを殴りつけたのは、攻撃命令が遅れたために部下を危険にさらしたことが理由だった。それはアリオスに立派な後継者に育ってほしいからだ、とも受け取れる。


「本当に、そうなんだろうか」

「期待してもいない相手を叱ることはないでしょう。レグルス様はアリオス様に後継者の資質を見ておられる。そうでなければ、わざわざレイダス城などを根城にする必要はありません」

「でも、それは護国隊の活動のために隠れる場所が必要だからだよ」

「だからこそです。レグルス様は、もうご自分をエルタンシアから切り離しておられる。アリオス様こそがエルタンシアの正当な後継者と認めておられるから、ご自身は護国隊の活動に専念しているのでしょう」


 ウィルの言葉を背中で聞きつつ、アリオスはしばらく湖面を見つめていた。

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