人狼と魔狼

(重剣のレグルス……だと)


 眩しい光を放つレグルスの額の紋様は、紛れもない聖紋だった。ということは、この男はよほどの貴人であるということになる。

 一度剣を合わせたとき、ウィルはこの男の剣にただならぬ重さを感じていた。今ウィルの身体に加えられている圧力も、あの剣に重さを乗せた力と同質のものであるに違いない。


「力場の形成こそがこの俺の力だ。お前たちは四の五の言わずに、さっさと俺の首を取るべきだったのさ。この力がある限り、お前らは俺をどうすることもできはしない」


 レグルスはおもむろに椅子から立ち上がると、ウィルにどこか愉しげな視線をむけた。


「まあ、お前らにはわりと楽しませてもらった。だから殺しはせん。俺に挑む気概のあるやつの一人や二人はいたほうがこの隊にも緊張感は出る。これも隊規だからしばらく牢には入ってもらうが、今度俺に挑むならもっと周到に準備をしてこい。できればの話だがな」


 口の端を釣り上げ、どかりとレグルスは椅子に腰を下ろした。

 聖紋の力が及んでいるのか、あるいは首領の力に改めて恐れをなしたのか、周囲の部下は皆青ざめた顔で皆床に目を落としている。


「私を生かしておいていいのか?私はクロンダイトの兵をこの地に呼び寄せることもできるのだぞ」


 それははったりだった。ウィルはこの城塞を落とす気など最初からない。


「呼びたければ呼べばいい。俺達はアスカトラの兵など恐れはしない」


 レグルスの表情には静かな自信がみなぎっている。見栄を張っている風ではない。


「この城塞の兵だけで、一領邦の軍に立ち向かえると思うのか?」

「嘘をつくならもう少しましな嘘をつけ。臆病なクロンダイト公がここを攻めてくるわけがない」

「なぜ、そう言える?」

「わからないか?俺の額に答えが書いてあるはずなんだがな」


(この男、もしかして……)


 聖紋を持つレグルスがよほどの貴人であることは疑いがない。

 だとすれば、レグルスの両親もまた貴人であるということになる。この城塞の民が一丸となって戦ってもせいぜいその数は数百に過ぎないが、この城塞の背後に大貴族の力が控えているとなれば、また話は別だ。それは一体誰なのか──



「隊長、化け物どもが襲ってきました!」


 考えあぐねていたウィルの意識を裂くように、悲鳴混じりの声が飛んだ。

 息を切らしながら大広間に駆け込んできた兵が、肩から流れ落ちる血で点々と床を彩りつつ、あえぐように言う。


「……狼、です。真っ黒で、大きな……」


 最後まで言い終えないうちに、男の衣服を突き破って下から筋肉が盛り上がり、全身に黒い剛毛が生えた。大きく裂けた口には鋭い牙が生え、両耳が尖って天を向き、爛々と紅く光る目には獲物を眼前に捉えた喜びがあふれ出していた。


「一時休戦だ。誰でもいい、そいつを仕留めろ!」


 レグルスが叫ぶと、突然ウィルの両肩にのしかかっていた重みが外れた。

 反動でウィルは少し飛び上がったが、そのときにはすでにオルバスは動き出していた。

 獰猛なうなり声を上げる人狼が鋭い爪を振り上げるやいなや、オルバスは大剣を横薙ぎに一閃させた。人狼の両腕と首が一瞬で飛び、傷跡から鮮血が吹き出る。

 人狼はなおもオルバスに向かって数歩歩いたが、さすがに前のめりに地へ倒れ、数度身体を痙攣させると動かなくなった。


「やれやれ、久しぶりの実戦が化け物相手とはな」


 不機嫌そうに顔をしかめながら、オルバスは物言わぬ骸に目を落とした。


「今ので俺を脅した罪はチャラだ──と言いたいところだが、まずは戦ってもらう。戦いぶり次第では、お前たちをすぐにでも正規の隊士にしてやってもいい」


 その言葉は口約束かもしれない──と思いつつも、ウィルはオルバスと顔を見合わせ頷きあったあと、城の外へと駆け出した。



「急いで陣を作れ!あいつに噛まれたら終わりだ」


 狼の一匹を斬り飛ばしながら、レグルスは声を張った。

 すでに城壁の中には多くの狼が入り込み、城塞の兵はそこら中でこの獰猛な獣と戦いを繰り広げていた。

 兵の多くは勇敢に戦っているが、並みの狼よりも一回り大きな体格の狼相手では苦戦する者も多い。

 レグルスの指示を受け、兵たちは槍を手にしてレイダス城の門前に立つレグルスの前に集まると、素早くその周りを取り囲み、槍衾を作った。

 狼が飛びかかってくるたびに兵は槍を突き出し、その黒い身体を串刺しにしていく。一個の針鼠と化した軍団を前に、狼もさすがに怯えたのか、遠巻きに囲んだまま近づいてこなくなった。


「おやおや、何怖気づいてくれちゃってるの?君たちはただのワンちゃんじゃないんだからさあ」


 低いうなり声を上げる狼達の後ろから、妙に高い声が響いた。

 声の主は道化師のような縦縞の入った派手な衣服をまとった若い男だったが、その童顔には化粧は施していなかった。男は周りに二十匹ほどの狼を連れている。これほどの数が加勢すればただではすまない。


「ちゃんと僕の指示通りに戦わないと、ご褒美はあげないよ?こういう目にあってもいいのかい?」


 いかにも軽薄そうな笑みを浮かべると、男は右手に持った鞭を振った。鋭く空を裂く音が聴こえると、鞭の先が手近な狼の首に巻き付き、じりじりと食い込む。


「こうなってからじゃ遅いからね」


 男が軽く鞭を引くと、狼の首が宙を舞った。

 血飛沫を散らして地に倒れた狼の姿を見て、周りの狼が一斉に怯えたような表情をみせた。


「動物を使役する力……カイザンラッドの者か?どうやってこの場までたどり着いた」


 円陣を組んだレグルスの部隊の前に進み出たウィルが問いかけた。


「カイザンラッドは、必要なとき、必要な場所に必要な人員を送り込める。護国隊のことなら、この子達がぜんぶ僕に教えてくれたよ。狼はいいねえ、人と違って決して嘘をつかないし、目と吠え声だけで通じ合える。君たちみたいに、人様から奪ったものを返さないような躾の悪い子はいないんだよ」


(──やはり、転移装置を用いたのか)


 オトーはこの城塞の近くに古代ハイナム時代の遺跡があると言っていた。

 ヘイルラントの時と同様、その遺跡にある転移装置をカイザンラッドが動かしたのだろう。


「奪った平和税を返せと?」

「そういうこと。君たちもいい大人なんだから、国と国との取り決めはしっかり守らなきゃね」

「白銀協定は平和協定だ。我々とカイザンラッドが争っては、それこそ協定違反になるはずだが」

「嫌だなあ、君たちはただの賊だろう?僕はむしろアスカトラのために、国を中からむしばむ賊を退治してやろうとしているんだよ。それにねえ」


 男は舌で唇を湿らせると、声を励ました。


「僕がここに連れてきたのはただの動物たちだよ。ちょっとお行儀の悪い狼が君たちを襲ったところで、そんなことが国同士の争いに発展するわけがないじゃないか。このカイザンラッド遊撃将ガラはあくまでこの子達のために、いきのいい餌を見つけてあげただけなんだからさあ!」


 ガラと名乗った男の額に、鉤爪の形の紋様が浮いた。聖紋とは違い、禍々しく紅い光を放っている。


「悪いが、こっちはガキの遊びにつき合ってる暇はないんでな。その狼どもをけしかける気なら、きっちり狩って皮を剥いでやるだけだ」


 レグルスが面倒そうに言うと、ガラは鞭を空中でくるくると回し、嘲るような笑みを浮かべた。


「これでも、まだそんなことを言っていられるかい?」


 ガラの額の紋章が光を増した。すると狼たちの額が一斉に裂け、そこに三つ目の瞳が現れた。


(これはいけない)


 ウィルは頭上に剣を掲げ、詩句を唱えようとした。吟唱呪でガラの紋章の力を止めなければ、彼の支配下にある狼たちが何をするかわからない。

 しかしその時狼たちが一斉に首を持ち上げ、遠吠えを発すると、皆が金縛りにあったようにその場で動きを止めてしまった。


「さあ、その場で生きたままむさぼり食われろ!」


 ガラが血走った目を剥くと、三つの目を持つ狼たちが全速力で駆け寄ってきた。

 狼が高く跳躍し、眼前に迫っているのに、ウィルは剣を頭上に掲げたまま動けない。

 視界の隅ではオルバスが大剣を横に構えたまま動きを止めていた。


(一体何なのだ、あの力は……)


 狼たちの牙が今にもその身に突き立てられようとしていたその時だった。


「みんな、いい子だからそいつに従わないで!」


 突如降ってわいたように、戦場に澄んだ声が響き渡った。まだ少年と思われる声だ。その声を聞いた途端、ウィルは身体が自由になり、掲げていた剣を振り下ろして目の前の狼の頭を割った。

 オルバスも剣を一閃させ、三匹の狼を横薙ぎに斬り飛ばした。気がつくと残りの狼たちは動きを止め、どこか逡巡するような様子をみせつつ後ずさっていく。


「何だぁ、お前は?楽しい時間を邪魔しないでもらいたいね」


 眉をしかめつつ振り向くと、ガラは闖入者に問いかけた。その視線の先には、真紅の甲冑で身を固めた、まだあどけない少年の姿がある。少年の肩には鷹がとまり、鋭い眼光をガラに注いでいた。騎乗した少年の脇には胸当てを付けただけの軽装の女戦士が馬上で弓を構えており、二人の背後には百名ほどの兵が従っている。


「何者と言ったか。ならば名乗ろう。僕はエルタンシア公アズラムが嫡男、アリオス・エルドラート。我が兄に牙を剥く不届き者を成敗しに参った」


 少年は貴人らしく流暢に名乗りを上げたが、その声音は震えていた。年齢から言って、これが初陣なのかもしれない。肩で切りそろえられた栗色の髪は繊細な面差しとあいまってどこか少女めいており、あまりこの殺伐とした場所には似合っていない。


「おいウィル、あいつ今我が兄って言ったか」


 オルバスはガラの後ろに立つ少年を見据えながら訊いた。


「ああ、たしかにそう言った。ということは、レグルスは鉄槌公の……」


 ウィルが言いかけると、ガラが急に口を開いた。


「やれやれ、つまらないなあ。おいお前達、まずはあのガキを血祭りにあげろよ」


 ガラの声に嘲弄の響きが混じった。しかし、グルルル……と低いうなり声をあげつつも、狼たちはアリオスと名乗った少年に襲いかかろうとしない。


「アリオス様、今のうちにあの狼たちを倒しましょう」


 アリオスの脇に立つ女戦士がささやきかけた。


「駄目だよ、ナターリア。むやみに動物たちを傷つけてはいけない」

「ですが、あの狼たちは噛んだ人間を人狼と化す力があります。どうか今のうちに、あの狼を射るようにお命じください」

「あの狼たちに罪はない。悪いのはあの男の紋章だけだ」

「今はそんなことを言っている場合ではありません!さあ、早く戦闘命令を」


 馬上で押し問答をしている主従を呆れた目で見つつ、レグルスは頭を掻いた。


「ああ、まったく、あいつは本当に何も変わらんな。──おいお前達、今のうちにあの狼どもを狩ってしまえ」


 レグルスが言い終えるやいなや、配下の兵が一斉に駆け出し、その場を動けずにいる狼たちを次々と槍の穂先で突いていった。アリオスが悲鳴を上げるのも気に留めず、護国隊の兵が次々と狼を血祭りにあげていく。


「ああ、何をするのです、兄上!」


 半ば悲鳴の交じる声で叫ぶアリオスに構わず、レグルスは狼に斬りつけていた。


「相変わらずだなお前は。こいつらはただの化け物だ。もうお前の友になどなれん」

「だからと言って、なにも殺さなくても……僕のこの力がなんのためにあると思っているのです?」


 必死で兄を説得しようとするアリオスの額には、翼を広げる鳥の形の紋様が浮かんでいた。まばゆい光を放つその紋様は間違いなく聖紋だ。


「ああ、つまらない、つまらないねえ!」


 次々と屠られていく狼たちには一瞥もくれず、ガラが叫んだ。


「この姿は醜いけれど、君たちには少々思い知ってもらわなければいけないらしい」


 ガラの額の紋章が不気味に光ると、ガラの身体の下から盛り上がる筋肉が派手な衣服を裂き、四肢は変形して指先からは鋭い爪が生え、全身を黒い毛が覆い、その頭部は鋭い牙の並ぶ狼の姿へと形を変えた。

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