作戦始動

「なあ、あいつはなかなか見事なもんだと思わないか」


 小高い丘の上に立つ武器庫の門を背に、オルバスが問いかける。

 その問いには答えず、ウィルは眼下で整然と隊列を作って行軍する一団を見下ろしていた。この城塞の位置する山上は狭いが平地になっており、城外には兵が調練できるだけの広さの土地はある。

 硬革鎧で武装しただけの軽装の一団は、城壁の外の平地を槍衾を作って走っていた。夏草の萌える緑の中に、午後の陽光を受けて輝く槍の穂先がきらめく。


「確かに、あれではまるで軍隊だな。練度は正規軍並みと言っていい」


 独り言のように言うウィルの体を包んでいるのは、眼下の護国隊士と同じ硬革鎧だ。先日レグルスに折られた剣に代わり、腰には一般兵に支給される剣を佩いている。オルバスも同じ格好だった。


「あんまりあいつらを褒めるのはどうかとは思うが、ありゃあちょっとしたもんじゃないか。俺もダインベルト将軍の下で働いた時期はけっこう長かったが、あいつらの動きは将軍の兵に比べてもそんなに劣るとは思えん」

「やはり、君にもそう思えるか」

「ああ、実のところ俺は護国隊なんてのは山賊みたいな連中だとばかり思っていたんだが、この城塞といいあの兵の練度といい、こりゃとてもただの賊なんて言えるようなもんじゃない。この城がまるごと、ひとつの小さな国みたいなもんじゃないのか」


 周囲にウィルしかいないのをいいことに、オルバスは感嘆の息を漏らした。


「確かに、この城塞は完全にひとつの街と言っていいだろう。女子供も住んでいるし、レグルスは単に護国隊の首領というより、この城の統治者と見るべきなのだろうね」

「ああ、こいつは俺の勘なんだが、あの隊長にはどうも人に命令するのに慣れてるところがある。出自もそれなりの身分かもしれん。少なくともありゃあ平民出身じゃあないだろうな。零落した貴族の三男坊あたりか、それとも……いや、そんなことより、だ」


 オルバスは何かを思い出したように、拳で左手の平手を叩いた。


「どうしたんだい?」

「俺達は今こうして武器庫の守衛を任されているわけだが、オトーの話だと俺達はいずれ平和税の襲撃部隊に加えられるかもしれん。そうなったら俺達はレグルスを討つどころか、アスカトラの法を犯さなきゃいけなくなっちまう。そうなる前に、なんとか手を打たなければな」

「おや、我々は護国隊に加わったというのに、護国隊の仕事をするのは嫌なのか?」

「そんなことは当たり前だろう。俺は盗みの片棒をかつぐためにここまで来たわけじゃないんだからな」


 オルバスは右手の槍の石突で地面を突くと、眉間に皺を寄せた。


「オルバス、君は一体どうやって首領を討つつもりだったのだ?」

「い、いや、それはここに潜入してから考えようと思ってな」

「計画性を欠いては事は成就しない。レグルスに近づくとしたら、まずは護国隊の仕事をしっかりとこなし、隊長の信頼に足る人物になるしかあるまい。レグルスの側近にまで出世できたなら、いくらでも好機は訪れるさ。アタハの暗殺者がどうやって標的を仕留めるか、知らないわけではないだろう?」

「まあ、そりゃそうなんだがな」


 オルバスはどこか納得がいかない様子で、何度か靴先で地面を叩く。


「それじゃあ時間がかかりすぎるだろう。レグルスの信頼を得るまでどれくらいかかるかわからんし、第一その時まで護国隊が存在してるかどうかもわからん。それに、俺はやはり平和税の襲撃なんぞに手を染めたくはないしな」

「では、どうすればいいと思う?」

「それがわかりゃあ苦労しないさ。俺達はここを離れられないし、非番の時にレグルスを襲うにしても、確実に奴に近づく方法がなきゃいけない。このままじゃどうにも手詰まりなんだか──」

「オルバス、君はもしかして、レグルスを殺したくないのではないか」

「な、何を言うんだお前は」

 

 オルバスは虚を突かれた様子で、声に狼狽をにじませた。どうやら図星だったようだ。


「その気持ちはわかる。オトーやローハンをはじめ、皆があの隊長には心服している様子だ。この城の兵も精強で訓練も行き届いている。護国隊の家族も多くこの城に住んでいるし、レグルスを殺してしまっては首領を失った彼等の痛みも大きい──と考えてしまうのは、むしろ当然だ」

「おい、俺を見くびるな。これはここの連中に情なんてかけちゃいないぞ」


 そう言いつつも、オルバスは目を泳がせた。


「情をかけるのは悪いことではないさ。それに私だって、あの男は殺すには惜しい男だと思う」

「じゃあ、あいつを討つのは諦めるってのか?」


 オルバスは憮然とした表情になった。この男は心情がすぐに顔に出る。


「殺さなくとも、レグルスのやり方を改めさせる方法はないだろうか、と実は私も思案していてね」

「そんな方法が、本当にあるのか」

「レグルスは自分の首を狙うのなら好きにしろ、と言っていたはずだ。だが、本当に殺す必要まではあるまい。あくまで我々の力量を見せつけ、こちらの言い分を通すことができればそれでいい」

「しかし、レグルスを討つことができなければ、俺達は功績を立てることができなくなっちまうんだが、それはいいのか」

「その代わり、頂くものは頂いていこう。資金さえあれば、私はヘイルラントを守る兵を雇えるし、君もしばらく食べて行くのには困らないはずだ。私は自分の利のためにこの城の秩序を乱そうとは思わない。平和税の奪取さえ諦めてもらえればそれでいいんだ」

「まあ、仕方がないか。手柄を立てる機会なら、いずれまた探すしかなさそうだな」


 オルバスは槍を武器庫の壁に立てかけ、腕組みをして何度もうなづいた。


「──で、だ。一体どうやって奴に近づく?俺達の力量を見せつけると言っても、レグルスの居場所すらわからんようではどうにもならんぞ」

「それなら、向こうから我々に近づいてくるよう仕向けるまでのことさ。そのためにちょうどいい物が、ここにはあるじゃないか」


 ウィルは微笑みながら、武器庫の扉を指差した。ウィルの意図をつかみ損ねた様子で、オルバスはわずかに太い首をかしげた。



                   ◇◇◇



「おおい、誰かそいつを捕まえてくれ!武器庫から紋章武器を奪いやがったんだ!」


 レイダス城塞を南北に貫く石畳の道路を、慌ただしく馬を駆けさせる者がいた。

 騎乗する男の後ろからオルバスが大声で叫ぶと、さっそく門衛が男の前を塞いだ。


「止まれ、曲者!」


 門衛が叫ぶと男は急いで手綱を引き、馬が棹立ちになった。

 体勢を崩した男は馬の背から落ち、地面に転がる。


「おい、守衛が自ら武器を盗むとはどういうことなんだ」


 石畳から身を起こしたウィルに、追いついてきたオルバスが怒鳴る。


「賊の片棒をかつぐなど真っ平ごめんだ。私はここを出るぞ」


 ウィルは剣を鞘から引き抜いた。剣身には古代ハイナム文字の紋様が碧色の光を放っている。


「お前がそんなに覚悟の足りないやつだったとはな。こいつを喰らいやがれ!」


 オルバスは背中の大剣を抜き放つと、真っ向からウィルに斬りつけた。

 ウィルは五合ほどオルバスと剣を合わせると、手の力を抜いて紋章武器を地面に落とした。


「そんな程度の腕でここから逃げようとしてたのか。俺の目が黒いうちは、ここから脱走者を出すわけにはいかないぜ」


 腰を抜かして地面にへたり込んだウィルを前に、オルバスは勝ち誇った表情になった。ウィルは心の中で苦笑する。


(やれやれ、我ながらとんだ茶番だ)


 その苦笑いを表には出さず、ウィルは苦渋に満ちた表情を作ってみせた。


「さあ、さっさと来い。お前の罪は隊長が直々に裁いてくださるだろう」


 用意のいいことに、オルバスは用意していた縄でウィルの身体を手早く縛り上げた。熟練の傭兵は、やはりこうした荒事に離れている様子だ。



「──ほう、紋章武器を盗んで脱走しようとしたこいつを、お前が捕まえたってわけか」


 レイダス城の大広間にて、レグルスは不機嫌そうに足を組みながら、縛り上げられているウィルをめつけた。レグルスの左右には彼の部下たちが並び、一様に鋭い眼光をウィルのおもてに注いでいる。


「ええ、不届きにもこいつは守衛の立場を利用し、大事な武器をかっぱらおうとしていました。そこをこの俺がとっ捕まえたというわけで」


 ウィルのすぐ後ろに控えるオルバスが得意気に言った。


「お前もその現場にいたはずなのに、止めようとはしなかったのか?」

「俺が後ろを向いている間に後頭部を剣の柄で殴られましてね。隙を突かれたのは申し訳なかったですが、こうして隊長の御前に連れて参りましたんでそこは勘弁していただきたいところで」


 ふんと鼻を鳴らすと、レグルスは指で膝頭を何度か叩いた。


「ウィルと言ったな。仮入隊を認めるとき、窃盗は死罪だと言っておいたはずなんだが」

「それは存じております。しかし、私の死はまだ確定しておりません」

「どういう意味だ?」


 レグルスがいぶかしげに目をすがめた途端、ウィルの手首を縛った縄がぶつりと切れる音が聴こえた。身体を縛る縄がほどけると、ウィルは素早く縄を断ち切った短剣をオルバスから受け取ってレグルスに駆け寄り、オルバスも続いて背に負った大剣を抜いて迫った。


「殺人は死罪だが、相手が隊長の場合は別。貴方はそう言ったはずだ」


 短剣の狙いをレグルスの首筋に定めつつ、ウィルは不敵な笑みを浮かべた。


「そんなもので俺が斬れるか?」


 ウィルの眼光を跳ね返しつつ、レグルスは哄笑を漏らす。


「貴方が私を斬ったとしても、その次の瞬間、このオルバスが貴方の首を落としていよう。そうなる前に、貴方に聞いていただきたいことがある」

「ほう、この俺を脅す気か」

「平和税の奪取は、今後一切止めていただきたい。そうして頂ければ命までは取らぬ」

「そんなくだらん頼みを俺が聞くと思うのか?」

「もし聞き入れてもらえなければ、クロンダイトの兵がこの城塞に押し寄せることになる。貴方の部下も、この街の民も、戦火に巻き込まれることになる」


 ウィルが右手の甲をレグルスの前にかざすと、そこにコーデリアから分け与えられた聖紋が浮いてきた。聖紋が眩い光を放つと、突然大広間に澄んだ声が響いた。


「こちらはクロノイアのフロリー神殿です。貴方達護国隊の本拠地はすでに把握しました。ですが、まだクロンダイト公には貴方達のことは伝えておりません。今すぐに平和税の輸送隊の襲撃をやめれば、クロンダイト公には何も告げるつもりはありません」


 コーデリアの声だった。レグルスは笑みを消すと、ウィルの手の甲を凝視した。


「そいつは、聖紋か」

「いかにも。今貴方が平和税から手を引けば、クロノイア公にはこの場所を知られずにすむ。私もこれ以上何も追求するつもりはない」

「嫌だと言ったら?」

「その時は、貴方の命をもらうまでのこと」

「お前らは甘い。甘すぎる。俺が生きている限り、俺は俺のやりたいようにやると言っただろうが」


 レグルスが語気を強めると、ウィルは急に上半身に何者かがのしかかるような感覚を感じた。見えざる圧迫感に押され、その場に膝をつくと、オルバスもまた尻餅をついていた。


「俺にこの力がある以上、お前らは俺にひざまづくことしかできない」


 何者かの圧力を押しのけるようにウィルが首を持ち上げると、目の前のレグルスの額には二本の剣を交差させた紋様が浮かび上がっていた。


「俺の二つ名は重剣のレグルス。覚えておけ」

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