首領
「敵襲だと?」
ひょろ長い体躯の隊長が、妙に間延びした声を出した。茫洋とした顔には驚きの表情は浮かんでいない。ここで動じないあたり、やはりこの男が護国隊の隊長なのだろうか。
「はっ、人数はざっと二十名ほど。現在南門付近の者が応戦しておりますが、これでは数が足りません。至急本部の兵も回してくださるようお願い申し上げます」
「その程度の人数に苦戦しているのか」
「どうやら相当な手練のようです。おそらくはクロノイアの驍勇隊かと」
「うむ……どうだお前達、戦えるか?」
隊長の問いかけに、オルバスは目を丸くした。
「お前達は腕が立ちそうだ。さあ、行って来い。ここでは役に立つなら昇進は思いのままだぞ」
ウィルはオルバスと一瞬視線を交わすと、
「はっ、さっそくアスカトラ兵を蹴散らして参ります」
そう言い切り、急いで南門へと駆け出した。オルバスもその後に続く。
「おい、いいのか?相手はアスカトラ兵だぞ」
「オルバス、何かおかしいとは思わないか?神官長はクロンダイト公はなぜか護国隊とは戦おうとしないと言っていたはずだ。そもそもどうやってこの場所を嗅ぎつけたのだか」
オルバスは一瞬はっとした表情になると、にやりと唇を歪めた。
「うむ、どうもこいつは臭うな」
「いずれにせよ、我々は戦わなくてはならない。ここで少しでも迷いを見せれば、生きては戻れないかもしれない」
「望むところだ。そうしなきゃいけないのなら、存分に戦ってやるさ」
城塞を南北に貫く道を駆けつつ、オルバスは愉しげに笑った。
南門の周辺はすでに戦場と化していた。城門を突破してきたアスカトラ軍と城塞の兵士とが街頭で乱戦を繰り広げ、鋭い剣戟の響きがあちこちに鳴り響いている。クロノイア驍勇隊の白銀の鎧は朝日を照り返しつつ、眩い光を周囲に放っていた。
オルバスは背に負った大剣を抜くと、さっそく雄叫びをあげ、鍛冶屋のそばで辺りを見回していたアスカトラ兵に斬りかかる。
「そこのお前、どうやら手が空いているようだな」
ウィルの目の前に立ちはだかったのは、ひときわ立派な肩甲を付けた者だった。鎧の胸には紅く輝く呪晶石が嵌め込まれ、周囲には鳥が翼を広げる紋様が描かれている。どうやら指揮官らしい。
「わずか二十名ほどで、よくこの城塞を攻める気になったものだ。返り討ちにされるとは考えなかったのか」
「戦う前から負けを考える馬鹿がどこにいる?」
兜の下から、妙に愉しげな声が響いた。
その声が終わらぬうちに、指揮官は袈裟懸けに斬りつけてきた。
ウィルが後ろに飛び退くと、鋭い剣風が眼前を掠め、金髪が幾本か宙を舞う。
「なるほど、動きは悪くない」
なぜこちらを試すような物言いをするのだ、と考える暇も与えず、指揮官はさらに次の一撃を繰り出してくる。剣を交えると、その度にどういうわけか一撃一撃がやけに重く感じる。
手にした剣もそれほど太くもなく、指揮官もさほど大柄というわけでもないのに、まるで巨人の力がこの男の剣には込められているように感じられた。打ち合う度にウィルの手首が痺れ、思わず剣を取り落としそうになる。
(──何だ、この剣は)
訝しみながら十合ばかり打ち合うと、ついにウィルの剣が指揮官の剣の重みに耐えきれずに中ほどから折れてしまった。
「ほう、ここまで俺と戦えたのはお前ぐらいのもんだな。──おいお前達、そこまでだ!」
指揮官がよく通る声で叫ぶと、それまで城塞の兵と戦っていたアスカトラ軍が一斉に動きを止め、武器を降ろした。
指揮官が兜を脱ぐと、その下からまだごく若い男の顔が現れる。
短く刈り込んだ茶褐色の髪の下で、切れ長の黒い瞳がこちらを見つめていた。その瞳はどこか
「このレイダス城の主にして護国隊隊長、レグルスだ。お前たち新入り二人は状況適応能力、戦闘能力共に申し分ない。よって護国隊へ仮入隊を認める」
レグルスの唇が、どこか皮肉げに歪められた。これは世を拗ねた者の笑みだ、とウィルには感じられた。人を安心させる笑顔ではない。どこか表情に険がある。
「──さて、まずこのレイダスの掟について説明しておこう。殺人と窃盗、そして傷害は死罪。それと他者の自由を妨げる行為はするな。以上だ」
いきなりの入隊試験を終えた後、ウィルとオルバスはレイダス城の執務室へ通されていた。レグルスは腕を組みつつ、どこかふてぶてしい視線をこちらに投げかけている。
「本当に、それだけでいいんですかい」
オルバスが二の腕をさすりながら言った。先ほどの戦いで少し痛めたらしい。
「何が自由を妨げる行為かは各自で考えろ。ここではアスカトラの法は通用しない。奴婢であろうが王侯であろうが、掟に反するものは罰せられる。役に立つ者は働きに応じて昇進させる。それだけのことだ」
「我々は、まずどのような任務に就けばよいのでしょうか」
「そうだな、お前たちは腕が立つからいずれは平和税の奪取にも参加してもらうつもりだが、その前にまず仮入隊期間を勤め上げてもらうのが決まりだ。まずは歩哨あたりでもやってもらうとするか」
レグルスはどこか退屈そうに人差し指で机を何度か叩いた。そのとき、部屋の扉をノックする音が聴こえた。
「隊長、失礼します」
その声に続いて入ってきたのは、先ほど護国隊隊長を装っていたひょろ長い男だった。
「ああそうだ、ここにはもうひとつ掟がある。殺人は死罪と言ったが、相手が俺の場合は別だ」
「どういうことです?」
ウィルの問いかけに、レグルスはどこか皮肉げな笑みを見せた。
「俺はもともとここを根城にしていた山賊の首領を討ってここに居着いたんでね。俺の首を狙うのなら好きにしろ。護国隊は最も優れた者に率いられるべきだと俺は思ってる。俺を討てる奴がいるのなら、そいつが俺に取って変わるべきだ。部下に首を取られるような間抜けな隊長なんているだけ無駄だからな」
思わずオルバスと顔を見合わせるウィルを前に、レグルスは語り続ける。
「俺が生きている間は、護国隊は俺の好きなようにする。だが次にここの隊長になる奴が俺のやり方を引き継ぐ必要はない。お前たちがその気なら、俺を討って護国隊を好きに作り変えてもいいんだ。逆に言えば、俺が生きている限り俺の方針に逆らうことは認めん。文句があるなら出ていってもいいが、その場合はここで見聞きしたことはすべて忘れてもらうことになる」
それは翠晶石を用いた呪法で記憶をなくすという意味なのだろうか。
いずれにせよ、レグルスはこの城塞の情報が外に漏れないよう、万全の配慮をしているに違いない。
「オトー、こいつらを宿舎に案内してやってくれ。お前のところにはちょうど空きがあったろう」
「はっ」
短く返事をすると、オトーは無言でウィルとオルバスを手招きした。
こうして呼びつけられるからにはこの男はレグルスの信頼を得ているのだろうが、その細長い
オトーの後について城外に出てしばらく歩き、二人は質素な作りの宿舎に案内された。城壁の隅にひっそりと立っている石造りの建物は、細長いだけで取り立てて立派なものでもない。
オトーが無言のまま扉を開けると、中には八つのベッドの並べられた寝所と、大きなテーブルの置かれた部屋とに分かれていた。テーブルの周りにはアスカトラの年代記や詩集などが並べられた本棚、暖炉や木箱などが並んでおり、壁にはアスカトラの建国王クローデルの事績を讃えるタペストリーが掛けられている。
「今日からここがお前たちの寝泊まりする場所になる」
オトーが寝所を指差すと、盛り上がっている毛布の中から小柄な男が眠たげな目をこすりながら身を起こした。どうやら非番だったらしい。
「ん?オトー、そいつらは新入りかい?」
「ああ、そうだ。この大きいのは大剣を使うし、もう一人は隊長自ら剣を交えた」
「へえ!そいつは久しぶりの大物だなあ。こいつは面白い」
小柄な男は細い目を好奇心に見開きつつ、ウィルとオルバスを交互に見比べた。
頬骨が高く髭の薄いその顔は、騎馬民族オングートに特徴的なものだ。
「おいらはローハンってんだ。北方大戦争でダインベルト将軍の捕虜になったんだが、なんとか隙をみつけて馬を盗んで逃げ出してね。あちこちで物乞いをしたり、野盗の群れに入って食いつないだりしてたんだが、隊長に馬術の腕を見込まれて拾われてな。半年前からここに居着いたってわけさ」
ローハンは笑うと人懐こそうな表情になった。どうやらウィル達の入隊を歓迎しているらしい。
「こいつの馬術はなかなか大したもんでな、馬の脇に身体を隠しながら馬を走らせることができる。敵に裸馬だと思わせて油断を誘いつつ、矢を射かけることもできるってわけさ」
「オトー、お前に言われてもあんまり褒められてるようには思えねえな」
ウィルは苦笑した。抑揚に欠けるオトーの口調では、確かに軒先に燕が巣を作った、と言う程度のことを言っているようにしか聞こえない。
「お前たちの処遇については追って隊長から沙汰があるだろうが、まずは隊長が言っていたとおりにどこかの守衛でも任されることになるだろう。最近は狼どもがおかしな動きを見せているから、この仕事も楽とは限らんがな。その期間を無事に勤め上げればいよいよお前たちも本入隊となる」
「その仮入隊期間ってのは、どれくらい必要なんだ?」
オトーの口調に覆いかぶさるように、オルバスが尋ねた。
「そこは勤めぶりにもよるが、まず二ヶ月といったところだ。本格的な調練には本隊士になってから加わってもらう。どの部署に入られれるかは適性を見て判断するが、お前たちの戦闘能力があれば襲撃部隊にいられれる日もそう遠くはないかもな」
「それは願ってもない話だ。私もできるだけ早く、この腕を振るいたいものだよ」
ウィルはオトーの言葉に大げさに喜んでみせた。ここはできるだけ、護国隊の任務に協力する振りをしておかなくてはいけない。
「ところで、あんたは一体どんな部署で働いてるんだ?」
脇から口を挟んだオルバスに、ローハンがにやつきながら答える。
「おいらとオトーは諜報部隊さ。潜入工作や情報収集、人材勧誘が主な仕事だ。クムランもここで働いてる」
「諜報部隊?」
オルバスは目を丸くした。いかにもはしこそうなローハンはともかく、あまり敏捷そうにみえないオトーは諜報部隊にはいかにも似つかわしくない。
「お前らが俺をどう見てるかはだいたい想像はついてる。そう、そう思ってくれる奴らが多いからやりやすいのさ。賢く見える奴には口を閉ざす輩も多いからな」
「ううむ、そういうことか」
妙に感心しているオルバスがどこか可笑しく、ウィルは思わず笑みを漏らした。
「こいつはこう見えても案外苦労人でね。エルタンシア東方のヴィントの領主の荘園で働いてたんだが、ここの領主ってのがまた強欲でな。耕作させるときにはわざわざ農夫に高価な農具を貸し付けて、賃借料を取っていたんだ。農夫が金を貯めるとエリュトリスに出ていっちまうってんで、労働力の流出を恐れていたらしい。まったく、せこい野朗さ。そんなに出ていかれるのが嫌なら、まずは年貢を軽くするのが筋だろうにな」
ローハンは表情を真顔に戻すと、オトーに目を向けながら言った。
ウィルはここで平和税の話が出てこないことを不思議に思った。平和税を押し付けてなお、賃借料を農民から絞るほどの余裕がエルタンシアにはあるのだろうか。
「で、貴方はヴィントが嫌になって出奔したと?」
問いかけるウィルに、オトーは鼻の下をこすってから答えた。
「そうじゃない。この城塞の近くには古代ハイナム時代の遺跡があるってローハンに聞かされたもんで、迷わずここに来たってわけだ。俺はもともと学者志望でね」
「学者……」
ますます人は見た目ではわからない、と言いたげにオルバスはぽかんと口を開けた。
(古代ハイナム時代の遺跡、か)
ウィルは妙な胸騒ぎを抑えきれなかった。フォルカーク砦の地下の転移装置からカイザンラッド兵が現れたことを思い出したからだ。不吉な予感を振り払おうと、ウィルはひとり頭を振った。
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