反撃の狼煙

 突然背中に熱風を浴び、驚いて振り向くと、背後でカイルが馬を走らせつつ苦悶の表情を浮かべていた。カイルの革鎧は焼けただれ、焦げ臭い匂いが鼻を突く。


「お嬢さん、俺のことは気にしないでくだせえ。余所見して落馬されちゃかないませんぜ」

「でも、貴方背中を……!」


 コーデリアの視線の先では、抜剣したカイザンラッド兵が刃をこちらに向けていた。その刃の先では放たれた炎の残滓が踊っている。どうやら紋章武器らしい。


「炎の舌、って奴でしたかね。けっ、随分とけちな武器だ。あれがターリクの聖紋なら今頃俺は黒焦げだろうが、この程度じゃくたばりませんよ」

「ごめんなさい、貴方にこんな辛い思いまでさせてしまって」

「なあに、いいってことですよ。鋤鍬を持つ身で騎士なんぞに取り立ててもらっているのも、こういう時にお嬢様の盾になるためでさ」


 火傷を無理に跳ね返すように声を励ますカイルの様子に、コーデリアはそっと涙を拭った。


(まだ泣いてる場合じゃない。カイザンラッドを打ち破るまでは──!)


 いよいよヘイザムの入口が近くなってきた。

 コーデリアを先頭に、自由騎士の一群が大森林の中へ呑み込まれてゆく。

 小鳥達が空へと翔び立つ音が聞こえると、コーデリアは近くの樹木の枝に目印の赤い布が垂らしてあるのを目に留めた。


「ここで彼等を迎え撃ちます」


 コーデリアが手綱を引き馬を止めると、自由騎士も全員その場で立ち止まった。

 追いついてきたハリドが馬足を緩め、少しづつ距離を詰めてくる。


「ようやく観念しましたか。コーデリア・バレット、何か言い残すことはありませんか?私とて敗者への惻隠の情を持たないわけではありませんよ」


 ハリドは白目の多い瞳をコーデリアに向けつつ、嘲るように言った。


「私達はまだ負けてなどいません。勝ち誇るのは敵将の首を取ってからにしなさい!」


 額の聖紋が光を増すと、コーデリアの叱声が森閑とした森の中を貫いた。

 凛とした声が森の中に響き渡る中、鋭い音が空を裂き、木々の隙間から無数の矢がカイザンラッド兵に向けて降り注いだ。


「なっ──こ、これは一体……」


 上擦った声で叫ぶハリドの周囲で、次々とカイザンラッド兵が矢を突き立てられて斃れていった。高い枝の上から何者かの放つ矢の狙いは極めて正確で、弓弦が鳴るたびにカイザンラッド兵の鎧の上から胸へ、背中へ、太腿へと矢が突き立つ。

 硬度を誇るシルターン鋼の鎧さえ貫きカイザンラッド兵に命中した矢からは青白い光が立ち昇り、戦場を奇妙な美しさで満たしていた。


(エルフの呪法矢──これほどの力なの?長老様が数百年ぶりに我の聖紋を用いると語っていたけれど、ここまですさまじい力の持ち主だったなんて)

  

 コーデリアは一昨日の作戦会議の様子を思い出していた。コーデリアが呼吸を整える頃には、すでに大半のカイザンラッド兵が討たれてしまっていた。


「な、何をしているお前達。しっかり私を守りなさい」


 ハリドの命を受けて、生き残ったカイザンラッド兵がその周りを取り囲む。

 兵達は盾を構えて円陣を組み、どうにか飛来する矢を防ごうとするが、高所から間断なく放たれる矢はとても防ぎきれない。カイザンラッド兵は次々と地に伏し、小道に散らばる砂利を紅い血で染め上げていった。


「ひ、退け!全軍撤退せよ!」


 もはや軍隊の体を為さなくなったカイザンラッド兵を後に残し、ハリドはただ一騎で森の外へと逃げ出した。生き残った兵達は這々ほうほうの体でその後に続く。


「逃がすな!奴等を追え!」


 カイルが大音声で叫ぶと、自由騎士たちがすかさずカイザンラッド軍に斬り込んだ。かろうじて生き延びた兵士も自由騎士の刃の餌食となり、さらにその数を減らしていった。


 血なまぐさい空気を存分に吸ったコーデリアがふと森の中に目をやると、ナルディスが同胞に向けて右手で合図をしていた。その動きに応じ、エルフ達が枝から枝へと飛び跳ねつつ一斉に森の奥へと引き揚げていった。


(勝った……のかしら)


 ようやく安堵の息を吐くと、膝から力が抜け、思わずその場にへたり込みそうになった。

 コーデリアが本格的な戦闘を経験するのは、これが初めてなのだ。

 先人が入植して以来一度も戦争など起きた試しのないこの土地で、百戦錬磨のカイザンラッド軍を撃退した──と思うと、改めて自分の為したことに身体が震えた。

 

 主将のハリドは森の外へと逃走した。

 そうなった場合どうするべきかは、すでにウィルが教えてくれている。

 コーデリアは両の手で頬を叩くと、肚に力を込めた。


「カイル、ハリドを追いかけましょう」


 勇敢な自由騎士は返り血で濡れた浅黒い顔をこちらに向けると、白い歯をみせた。



(何ということだ……これではヴァルサス様に合わせる顔がない)


 もはや周囲の光景など目に入っていなかった。

 頭が割れるように痛い。

 カイザンラッド七竜将の直参として働く栄誉に預かりながら、このようなところで果てるのか。俺はここまでしか来れない男だったのか。

 そんな益体もないことを考えつつ、ハリドは必死で馬を走らせている。


 もう何騎が後ろに従っているのかもわからない。すでに全員が死に絶えてしまったのかもしれない。

 だがそれでも、主将である自分が生きてさえいれば、この遊撃部隊は健在なのだ。

 生きてさえいれば、必ずまた復活の目はある。そう、生きてさえいれば──。

 あの砦にたどり着くことさえできれば、カイザンラッドにも戻れる。

 必ず生きて戻り、あの女城主の首を取るのだ。


 ハリドは心の中にヴァルサスの額の紋様を思い浮かべる。あの紋章が輝く度に、この胸の内が黒い憎悪で満たされていくのを感じたものだ。

 この自分は皇都ハルメリアの貧民街で犬の餌まで喰らいながら育ったのに、ヘイルラントの民は生まれながらに実り豊かな土地に生き、平和を謳歌している。

 この地の民が絶望し、泣き叫ぶ姿をこの目に焼き付けたい。

 そんな思いが、狂おしいまでにハリドの胸を焦がしていた。


 しかし、ヴァルサス様はこの私を許してくれるだろうか?

 ファルギーズの野でアスカトラ兵を生き埋めにしたように、この私も見せしめに殺されるだろうか?

 考えを巡らせるほどに、口の中が乾いてゆく。

 

 

「いや、そんなことは今考えるべきことではない。まずは奴等から逃げおおせなければ」


 己を励ますように、ハリドは一人呟いた。

 どこをどう走ったのか、無我夢中で馬を駆けさせるうちに、ハリドはフォルカーク砦の門前にまでたどり着いていた。

 喘ぐように肩で息をつきながら、ハリドはようやく安堵の表情を作る。

 鞍の上に疲れたのか、馬の背を降りてようやく独り言を吐く。


「やれやれ、ようやくここまで来たか。どうやらこの砦には誰も……」

「どちらへ参られる気かな、ハリド殿?」


 突然頭上から降りかかった声に、ハリドは驚いて顔を上げる。

 その涼やかな声には、妙なるリュートの音色が伴奏として鳴り響いていた。


「お前は……阿呆鳥アルバトロスか!」


 城壁に悠然と腰掛けながら、器楽の演奏に興じている詩人の姿にハリドは眉を吊り上げた。


「いかにも。この砦にて、貴公の帰還を待ち侘びていたのだ」

「そこをどけ。この砦はカイザンラッドのものだ」

「おや、誰がそのようなことを決めたのだ?この砦は貴公が生まれるはるか昔から存在していたのだろうに」

「古代人のことなど知るか。この砦は我等がすでに占領し……」

「いい加減観念なされよ、ハリド殿」


 ウィルが呆れたように言うと、突然ウィルの両脇から二人の男が立ち上がった。アレイドとトルタだ。

 二人が手にしている旗には、麦の穂が刺繍されている。ヘイルラントの旌旗だ。

 

「この砦はすでに我等が占領した。この地にふさわしい旗はカイザンラッドの鷲獅子グリフォンではない。実り豊かな大地を彩る黄金の麦の穂だ」


 ウィルが声を張り上げると、ハリドはきつく唇を噛み締め、口元から血が滲んだ。


「黙れ!お前達はエルフどもの力を借りて我が軍を破ったに過ぎぬではないか。ヘイルラントの力でこの砦を奪取したかのように言い立てるなど片腹痛いわ」

「ああ、そうだとも。ヘイザムのエルフ達は貴公のような無粋な輩に力など貸したくなかったのだ。私はこれでも詩人だ。詩人は詩の力で味方を増やすものなのでね」

「相も変わらず減らず口を……」

「貴公の国では詩人は存在すら許されず、民もさぞ息の詰まる思いをしているのだろう。私はそのような国がこの地を支配することを望まない。皆が減らず口を叩き、思いのたけを存分に吐き出すことのできる世界こそ、私の望む世の有り様だ」


 ウィルが滔々とうとうと持論を吐くと、もはやハリドは何も抗弁できなくなり、がっくりと頭を垂れ、その場に膝をついた。

 ウィルはやおら立ち上がると城壁から素早く身を躍らせ、危なげなく着地する。


「さて、貴公には色々と問い質したいことがある。話は砦の中で伺うとしよう」


 ウィルがハリドに歩み寄り、立ち上がるよう促すと、ハリドの貧相な顔に暗い笑みが湧いた。


「私がお前ごときに屈すると思うのか?……カイザンラッドに栄光あれ!」


 ハリドが目を剥いて叫ぶと、無数の突起が法衣を下から持ち上げてきた。

 ただならぬ気配を感じたウィルは、素早く脇へと飛びすさった。

 一瞬遅れて、ウィルの立っていた地点へ十数本もの棘が飛んできた。棘はすさまじい勢いで空を駆け、フォルカーク砦の城壁へと幾多の穴を穿うがつ。

 ハリドの法衣には蜂の巣のように穴が空き、そのすべてから赤黒い血が流れ出していた。


「これで終わったと思うな、詩人。この世界からお前達を根絶やしにするまで、皇国の侵攻は止まらぬ」

 

 程なくしてハリドは吐血し、前のめりに倒れ込んだ。

 何度かその身を痙攣させつつ、なお震える手をウィルの方へ伸ばそうとしたが、ようやくハリドはその動きを止めた。


「くそっ、一体何なのだこやつは?最期まで怪しげな術を使いおって」


 急いで駆けつけてきたアレイドが、苛立たしげに吐き捨てた。


「あれはトビイバラの棘です。どうやら植物融合の施術を受けていたようですね。このような最期を遂げるとはよほどの忠誠を祖国に捧げているのか、それともよほど上役が恐ろしいのか……」


 ウィルは顎に手を当てつつ、かつての知己である七竜将の姿を思い浮かべた。


(これで終わりではない。あの男は、いずれまた別の手を打ってくるだろう)


 その予感が当たらないよう祈りつつ、ウィルはハリドの前にひざまずくと、瞑目して天神アガトクレスの聖句を唱えた。

 

 立ち上がり空を見上げると、一羽の鷹がこちらへ飛んで来るのが見えた。

 鋭い鳴き声が空を裂き、雲一つない空を幾度か旋回した後、鷹はヘイザムの方向へと飛び去った。

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