叙任式
「その姿は一体何なのです、アレイド!」
コーデリアは執務室に入ってきたアレイドの奇妙な格好に目を見張った。上半身に縄を巻かれ、手首を後ろ手に縛られたその姿は、まるでこれから処刑される罪人のようだ。
「この老骨めは、そこな詩人の真価を見抜くことができませなんだ。もしお嬢様がこのアレイドの進言を容れ、戦場詩人ウィルの策を退けていたら、今頃このナヴァル城はカイザンラッドの手に渡っていたでしょう。結果として勝てたとはいえ、コーデリア様を危機に晒したこの罪、万死に値します」
コーデリアが机の脇に立つウィルと顔を見合わせると、ウィルは軽く肩を竦めた。
「詩人よ、儂はお主を誤解していた。詩人とは若き婦女子を掻き口説き、
老騎士はウィルの前に進み出ると床に膝をつき、深々と頭を下げた。
どうにも言うことが大袈裟だ、と思いつつウィルは膝を折り、皺深い額に顔を寄せる。
「アレイド殿、どうか頭をお上げください。互いが己の見解をぶつけ合ってこそ、良き知恵も生まれるというもの。コーデリア様が私を信じるのも、大きな賭けだったことでしょう」
ウィルの言葉は静かに老騎士の胸に染み入るが、アレイドは頑として首を縦に振ろうとしない。
「いや、詩人よ、お主にはこの
「そんなことは思いもよらぬことにございます。貴方が逝ってしまわれたら、誰がコーデリア様をお支えするのです?」
「お主がいるではないか。もはや儂の役割は終わった。今回の戦いを通じて、儂の頭がとうに錆びついてしまっていることがよく解ったのだ」
沈鬱な表情でうなだれるアレイドを前に、ウィルも言葉を失った。
「全く、貴方も困った人ですね。貴方が死んで、一体誰が特をすると思っているんですか、アレイド?」
「しかし、このままでは私の気が済みませぬ。どうか私めに罰をお与えくださいませ」
「では、こうしましょう。今この場で、私の最も大事なものをウィルに捧げることにします」
コーデリアが笑みを浮かべて言い放つと、アレイドの顔がさっと青褪めた。
「い、いけませんお嬢様、それだけは……!」
「あら、私が私の身体をどうしようと、私の自由ではありませんか?」
「し、しかし、それはあまりにも無体な……」
声を震わせるアレイドの前に、コーデリアは腰に手を当てて立ちはだかる。
「私はいつまでも貴方の庇護下にあるわけにはいきません。雛鳥はいつか巣から飛び立つものです。私はもう子供ではないのですよ」
「そうは言っても、お嬢様はもっと慎みというものを持ってしかるべきです。このような昼日中から、詩人とそのようなことをするなどもってのほか」
「おや、貴方はウィルのことを認めたのではないのですか?」
「認めたと言っても、そのような行為まで認めたわけではございません!そのような破廉恥な行為を認めてしまったら、結局この者もその辺りの女好きの詩人と何も変わらないではありませんか?」
「……アレイド、貴方は一体何を言っているのです?」
アレイドは顔を上げると、口をぽかんと開けたままコーデリアを見つめた。
「私は、この聖紋をウィルにも分け与える、と言っているのですよ」
コーデリアが悪戯っぽく微笑むと、アレイドはがっくりと肩を落とし、安堵の息を吐いた。
「なんだ、それなら最初からそう仰ってくれれば良かったではありませんか。寿命が縮みましたぞ」
「ふふ、ずいぶん慌てていましたね。これが私の罰です」
得意気に言い放つコーデリアを、ウィルは感心したように見つめていた。
(これは、なかなかの大器かもしれない)
ウィルはコーデリアに頼もしさを感じ始めていた。カイザンラッドを撃退し、領主として一回り成長したようだ。
「ところで、聖紋を分け与える、とはどういうことです?」
ウィルは興味深げに問いかけた。
「私の聖紋は、私が信頼する方の身体にも刻むことができるのです。分紋というのですが、私と聖紋を共有すれば、どこにいようと私と言葉を交わすことができます。それだけに、本当に頼みとする方にしか分紋は行わないことにしているのですが」
「つまり、どんなに遠方にいようと、分紋を受けた者にはコーデリア様の号令が届くと……」
「そういうことです。それがこの聖紋の本当の力です」
ウィルの心は躍っていた。そのような力を持つ聖紋がこの世に存在することに、そしてそれ以上に、分紋に値するほどにこの自分が信頼されているという事実に。
「さて、私から分紋を受けるにあたって、ひとつウィルには受け入れてもらわなければいけないことがあります。もちろん断っても良いですが、その場合はこの聖紋の力は授けられません」
「ほう、それは一体何でしょう?」
「我がヘイルラントの自由騎士となることです」
ウィルの蒼い瞳に好奇心の火が灯った。
「それはこのナヴァル城に仕えよ、ということなのですか?」
「いえ、そうではありません。貴方は詩人なのですから、この地へ引き止めておくことはできないでしょう。貴方は武勲詩を全国に広めると、ヘイザムの森エルフの方々とも約束したのですからね。貴方に望むことは、ただこのヘイルラントの自由騎士という肩書を受け入れてもらうことです」
「しかし、それでは私には騎士としての義務は何もないということになりますが」
「貴方を義務などで縛る気はありませんよ、ウィル。貴方に受け入れてもらいたいのは、私との絆です」
「絆……」
暖かい風が胸に吹き込んでくる気がした。
ウィルはコーデリアの
「分紋は、授ける者と授けられる者との信頼関係がなければ成り立ちません。私達の絆を媒介するものとして、自由騎士の肩書を受け入れてもらいたいのです」
「それならば、喜んで受け入れましょう。この浪々の身にて騎士の称号を授かるなど、身に余る光栄」
「ヘイルラントはご覧のように土臭いところです。自由騎士を名乗れても、アスカトラの正騎士のように貴族の待遇を受けられるわけではないのですよ」
「民の育てた作物なくして、貴族の暮らしは立ち行きません。つまりアスカトラ貴族の胃袋を支えるヘイルラントこそが、最も尊い土地という事になりましょう。この地の自由騎士以上に誇らしい称号がありましょうか」
「ふふ、貴方は本当にお上手ですね」
そう言いつつも、コーデリアの形の良い口元から自然と笑みがこぼれる。
「さあ、では早速叙任式を始めましょうか。即断即決がヘイルラント流です」
コーデリアはウィルが甲冑も付けていないのにも構わず、そう言った。
ヘイルラントでは騎士の叙任にも格式張った格好など必要ないらしい。
アスカトラ領内なら、確実に叙任式の前日は礼拝堂で過ごすことを求められ、沐浴もすませなければいけなかっただろう。そんな堅苦しい手続きなど、この辺境では求められてはいないのだ。
(この方は、私の過去を問おうとはなさらないのか)
貴方は私の来歴を知りたくはないのか──とは思ったものの、ウィルはそう口に出すことはしなかった。この溌剌とした女城主は、過去などよりいつも未来に目を向けているだろう。
「アレイド、剣を貸してもらえますか」
アレイドは頷くと、腰の剣をコーデリアの前に捧げた。
それを受け取ると、剣を鞘から抜き、コーデリアはウィルにひざまづくよう促す。
「戦場詩人ウィル・アルバトロス、貴方をヘイルラント自由騎士に任命します」
言葉を飾らないコーデリアを、ウィルはかえって好ましく思った。
厳かな儀式も、格調高い口上もこの場には必要ない。
ただ、心のみが通じ合えばそれでいい──あの国で受けた仕打ちを思えば、それだけで運命の帳尻は合う。
そんなことを思いつつ、ウィルは肩に三度、剣が打ち付けられるのを感じた。
その動作だけで、不思議と身が引き締まる思いがする。
「さあ、ここからが本番ですよ。もう少しじっとしていてくださいね」
剣をアレイドに戻すと、コーデリアはウィルに近寄り、そっとウィルの右手に掌を重ねた。
「肩の力を抜いて、目を閉じてください。何かが瞼の裏に浮かんでくるはずです」
コーデリアがそっと囁きかけると、暗い視界の中にぼんやりと、兵が喇叭を構える姿を象った紋様が浮かんできた。
「少し熱を感じるかもしれませんが、心配いりません。身体が聖紋受け入れている証拠ですから」
その言葉を聞いた途端、掌に焼け付くような痛みを感じた。
しかし、不思議なことにその痛みが不快ではない。
時が経つほどに痛みが和らぎ、体全体がじんわりと暖かくなっていくような気がした。
「目を開けて、右手を見てください」
ゆっくりと目を開けると、ウィルの右手の甲にはコーデリアの聖紋が刻印されていた。ウィルが聖紋に目を凝らすと、少しづつ紋様が周囲の皮膚に溶けて消えていく。
「これで、分紋の儀式は終了です。ウィルの身体に拒否反応が出なくて助かりました」
「分紋が失敗することもあるのですか?」
「時に紋章の方で、受け手を拒むことがあるのです。聖紋はその紋章にふさわしい者にしか宿ることができません。私は本当に信頼できる方にしか分紋は行いませんから、まだ失敗したことはありませんけれど」
「つまり、ヘイルラントの自由騎士全員がコーデリア様の聖紋を受け入れたのですね。人を見る確かな目をお持ちだというわけだ」
「ウィル、貴方が信用に足る人物であることは、最初にひと目見たときからわかっていました。そうではない人もいたようですけれどね」
コーデリアがアレイドに視線を向けると、アレイドはきまり悪そうに目を逸らした。
「さて、そこまで信じて頂いているからには、この私もコーデリア様の期待に応えなければならないでしょうね」
ウィルは帽子の鍔をつかみ、角度を直すと改まった表情で言った。
「実は、フォルカーク砦に少々気になるものを発見したのです。見に来ていただけますね」
ウィルの真剣な様子に、コーデリアは表情を引き締めつつ頷いた。
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