森に響く鎮魂歌

「……ナルディスよ、なぜこのような者を連れて参った」


 長老はさすがにに怒声こそ浴びせなかったが、額に浮き出る血管が雄弁に心の中に吹き荒れる嵐を表現していた。


「申し訳ございません。多少は知恵ある者達と思いましたが、ここまで無礼極まる連中とは、私の見込み違いでございました。まさか我等が滅びるなどと妄言を吐こうとは」


「私は詩人なれど、いたずらに言葉を飾る趣味などございません。このヘイザムに危機が迫りつつあることは、紛れもない事実です」


 ウィルの言葉に小さな棘が交じる。

 コーデリアの視線がウィルと長老の間を行き来するが、この張り詰めた空気にどんな言葉を差し挟むこともできない。


「ほう、このヘイザムにどのような危機があるというのだ」

「先程貴方は、エルフは人間界のことには関わらないとおっしゃいました。ですが、カイザンラッドがエルフに関わってこないとでもお思いですか?」

「何が言いたい?」

「カイザンラッドはヘイルラントを拠点とし、いずれアスカトラを攻めるというご高説を長老様から拝聴しました。それならば、カイザンラッドは多くの兵を養うため、このヘイルラントの開墾をより一層進めることでしょう。彼等はいずれこのヘイザムの森をも切り開こうとするのではありませんか?」


 長老は再び目を閉じると、指先で膝頭を何度か叩いた。


「ヘイザムは懐深き森だ。多少木を切り倒されたところで、我等の住処が奪われるようなことにはならぬ」

「本当にそう言えるでしょうか。例えば『火竜』の聖紋を持つ七竜将の一人、ターリクがこの地に乗り出してきたらどうなります?奴が隕石を天より呼び寄せてボエティアの城壁を崩したこと、ご存じないわけではありますまい」

「むう……」


 押し黙る長老に、ウィルはさらに畳み掛ける。


「カイザンラッドの者達は天地自然のことわりなど恐れません。一度彼等に背を見せたら最後、この森全てを焼き尽くされることにもなりかねません。ここでエルフの気概を見せなければ、貴方方の故郷が滅されるかもしれないのです」

「そなたは我等を味方に引き入れようと、カイザンラッドの脅威を大袈裟に言い立てているのではないのか?」

「言葉を飾るのが詩人の仕事といえど、私は決して誇張などしておりません。詩人狩りの一件をお忘れか」


 長老は膝のうえで強く拳を握った。


「詩は我々の感情を揺さぶり、心の中に火をおこします。詩に宿る言霊は聞く者の激情を駆り立て、力なき民に武器を取らせ、時に幾万の兵をも上回る力をもたらします。そのような詩の力を、カイザンラッドは誰よりも恐れている」


 ウィルは長老ににじり寄ると、さらに語気を強めた。


「貴方方エルフは森の賢者にして、生まれながらの詩人。太古の詩聖ハルセラムから極西の神人サーディアに至るまで、数多のエルフの詩神の名を我々は記憶しております。この世界から詩人を根絶やしにしようとしているカイザンラッドが、エルフとの共存など望むとお思いですか」

「カイザンラッドが我等を滅ぼすというのか?」

「今までカイザンラッドの隣人はすべて、従うか死かの選択を迫られてきました。もしこのヘイルラントがカイザンラッドに占領されたなら、貴方方もいずれかを選ぶことになるでしょう」


 誇り高いエルフが決してカイザンラッドへの服従など選ばないことをウィルは知っている。長老は沈鬱な表情で、長い溜息を吐いた。


「だが、我等がそなたらに付いたらどのような利があるのだ。よもや、ただで我等の協力を仰ごうというのではあるまいな」

「カイザンラッドの魔手からこの森が守られる、では不足ですか?」

「我等に奴等と戦えというのなら、相応の誠意を見せるべきであろう」

「では、こうしてはいかがでしょう。私はこれでも中原諸国を旅する身。見事カイザンラッドを破った暁には、貴方方の武勇を詩に歌い上げ、全国各地に広めます。エルフの名声は一気に高まりましょう」


 ウィルはファルギーズの野に散ったトゥーラーンの勇姿を心に描いた。

 この森エルフ達もきっと、あの若き将の雪辱を果たしたいと思っているに違いないのだ。


「ほう……そなたが我等の名声を伝えるだと?これはまたずいぶんな大言を吐く男だ。そなたの詩の腕前がどれほどのものだというのだ」


 薄笑いを浮かべつつ長老が問いかける。

 一人ひとりが玄人はだしの詩を作るエルフの前でこのようなことを言うのは、よほどの覚悟がいる。


「今は百万言を費やすより、この場で証拠をお見せしましょう」


 ウィルはおもむろに背に負ったリュートを取り出すと、しなやかな指で爪弾き始めた。妙なる音色に澄んだ歌声が重なり、並み居るものたちの心を蕩かしてゆく。


 

 ファルギーズの野に散りし幾万の壮士

 茫漠の大地を彷徨う魂、鬼哭啾々きこくしゅうしゅうたり

 神々の山嶺より吹き来るは一陣の薫風

 英雄の亡骸は天馬の背に負われ、はるけき蒼穹に還る

 されど流れ落ちる涙は驟雨しゅううとなりて我が心を濡らす

 次なるにえはヘイザムの娘か、アストレイアの赤子か

 空を振り仰げば、聞こえるは彼の人の声

 西方より来る乱鴉らんあが同胞をついばむ姿は見るに忍びず

 肉体を持たぬ身なれど、我が魂は涕泣す

 志ある者は、面を上げて弓を取れ

 我、汝等に勝利をこいねがうと──



 それはトゥーラーンの鎮魂の歌だった。

 ウィルが歌い終えると、長老もナルディスも滂沱の涙を流している。

 ウィルの歌声は二人の魂を揺り動かし、しばらくの間時を忘れさせた。


「──詩人よ、そなたの想いはよう分かった。木々も草花もそなたの歌声に感じ入っておる。確かに我等がここで手をこまねいていては、トゥーラーンの魂も浮かばれまい」


 長老はそっと涙を拭うと、意を決したように立ち上がった。


「汝等に協力しよう。我等の総力を上げ、カイザンラッドをこの地より追放する」

「本当ですか!」


 コーデリアは弾かれたように顔を上げると、再び瞳を潤ませた。


「ご協力、感謝いたします。今この時より、我々の新しいサーガが始まるのです。このヘイザムの森から反撃の狼煙が上がるのです」


 長老はそっとウィルの手を握り、その手に力を込めた。


「して、我等はどうすればよいのだ?そなたには何か考えがあるのであろう」

「皆様には、来る戦いではもっとも重要な役割を果たしていただきます。今回の物語の主役は貴方方ですから。さて、今回の作戦の要諦は──」


 ウィルはいったんエルフを持ち上げておいてから、胸中の秘策を語り始めた。



 その明後日、コーデリアは自由騎士を率いてフォルカーク砦の門前まで来ていた。

 コーデリアの瞳の先で、剥げ落ちずに残った乳白色の呪晶石がところどころで光っている。正方形の四隅に尖塔の突き立つ武骨な造りのフォルカーク砦が、太古の時代に呪法士の火槍を防いでいた名残だ。


 カイザンラッド兵が籠もるこの太古の遺産を前に、コーデリアはウィルに教えられた口上を伝えようとしていた。コーデリアはハリドを油断させるため、カイルを含め二十人の兵しか連れていない。


「不埒なるカイザンラッドの将ハリドよ、よく聞きなさい。ナヴァル城主コーデリア・バレット、貴殿と直接刃を交え、この場にて勝負を決せんとまかり越しました。怯懦を嗤われたくなくば、今すぐにその城門を開いて姿を表すのです」


 騎乗したまま額の聖紋を輝かせると、コーデリアの声が余韻を伴って辺りに響く。その凛とした響きは、この古代の砦の中にもよく聴こえていることだろう。


「どうしたのです?カイザンラッドの将兵は小娘一人の挑戦に怯え、砦の中で震えていたと後世の年代記作家に記録されたいのですか?」

「そこでしばらく待て。ハリド様にお返事を伺う」


 物見櫓の上の兵が濁声だみごえで返事を返してきた。兵が急いで砦の中に駆け込むと、しばらくして不気味な音を立てつつゆっくりと砦の門が開いた。中から現れたハリドの背後には百名ほどの兵が従っている。恐らくこの砦のほぼ全ての兵を引き連れてきたのだろう。


「これはこれはナヴァルのお嬢様、こんな所までわざわざ私に討たれに来たのですか。ヘイルラントの者達は平和に慣れていると聞いておりましたが、これ程までに危機感が足りないとはね」

「そのような前置きはいいのです。さあ、私と勝負なさい」


 コーデリアは腰に下げた小剣を抜き放つと、ハリドに切先を向けた。

 しかしハリドは馬上で歪んだ笑みを浮かべたまま、得物を構えようとはしない。


「一騎打ちとは力量が拮抗する者同士がするのでなければ面白くありません。貴方のような武術の心得があるか怪しい方と刃を交えるなど、愚かしい限りです」


(やはり、ウィルの言ったとおりだわ)


 ハリドがコーデリアとの一騎打ちに応じなければいけない理由は何もない。この男はただ全軍をもってヘイルラントの自由騎士を殲滅してしまえばいいだけなのだ。しかしハリドがそう考えるところにこそ勝機がある。


「なるほど、貴方は私と戦うのが怖いのですね?後世の史家はさぞ貴方の将器を酷評することでしょう。小娘一人の威勢に怯え、勝負から逃げた臆病者と」

「貴方は何もわかっておられない。歴史とは勝者が記すものなのですよ」


 ハリドは薄笑いを消すと、馬上で目深にかぶったフードを撥ね上げた。


「全軍懸かれ。あの愚か者を討ち取れ!」


 ハリドの号令一下、カイザンラッド兵が一斉に駆け寄ってきた。

 コーデリアは素早く馬首を巡らすと、自由騎士を率いて一目散に西へと駆ける。

 背後にカイザンラッド兵の馬蹄の響きを聞きながら、心の中にウィルの蒼い瞳を思い浮かべた。


(──今は決して戦ってはいけない。ウィルの策を成就させるために……)


 馬腹を蹴るコーデリアの眼前に、遠くヘイザム大森林が姿を表した。

 あの鬱蒼たる森の中から、ヘイルラントの新章が幕を開ける。

 そう信じつつ、コーデリアは心の中で天神アガトクレスに祈りを捧げるのだった。

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