季節とニュースと人に言えないこと

藤原あすま

桜と怖れについて


 桜が綺麗な季節だ。

 青空にむかってふさふさと咲く薄ピンクの花たちは、外の景色全体をパステルカラーに染め上げている気がする。周りでは花見の季節だ!酒だ!とやいのやいの賑わいを見せている。このちょっとしたお祭りのような雰囲気は、私は嫌いではない。


 そう。嫌いではない。だから私は京都に夜桜を見にいったし、家の近くの桜だって自転車を止めてまで見に行った。


 家の近くに墓場がある。小さい丘にある墓場で、すぐ横はそれなりに通行の多い車道である。その墓場の敷地内には、これは、と目を見張る桜の木がたっている。前述したとおり、私はその敷地の外に一度自転車を止めてじっと見つめた。

 その木はしだれ桜で、ピンクの滝のようである。場所が場所でなければ、名所の一つに仲間入りしていたのでは?と個人的には思うほどだ。


 そこで私は京都の夜桜と、ある小説の一節を思い出した。

 『桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!』――有名な一節なので、聞いたことがあるかもしれない。梶井基次郎の『櫻の樹の下には』という小説の冒頭である。なんとも印象的なフレーズだ。

 

現代の賑わう桜のイメージとはなんとなくかけ離れるが、私は桜という植物に「死」のイメージを持っている。


 もう一つ、ある小説を引き合いに出そう。『桜の森の満開の下』という坂口安吾の小説がある。以下引用させてもらう。


    桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子だんごをたべて花の下を歩いて絶景だ   の春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、  桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩けんかして、これは江戸時代  からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんで  した。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気  でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色に  なりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜  の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花   びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足だそく)という話もあり、桜の林の花の下に   人の姿がなければ怖しいばかりです。 

  (坂口安吾:1990, 青空文庫,      http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42618_21410.html)


既に私の感じることを全て言ってくれているように思える。実際に読んで頂ければわかることだが、こちらの小説でも死と近しい内容になっている。死=恐怖という前提のものだが、昔の人は案外桜に対して恐怖を抱いているようである。

 京都で見た夜桜は、幽玄と言えるにふさわしかった。美しさは、文字通りこの世ではない何かと繋がるような錯覚さえ覚える。


 それ故に、私的には墓場の桜はなんとなく似合っていた、のである。

 そんな考えもあるという小噺だ。



 

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