雪の日のおつかい ~魔術師の森物語~

ひょーじ

雪の日のおつかい

 雪が、降ってきた。

「あ……」

 ぴのっちは、暗くなり始めた灰色の空を見上げた。

 ちら、ちら……と、白くて柔らかいものが空から降りてくる。

「……早く帰らなきゃ」

 細長いバスケットを小さな腕で抱え直して、ぴのっちはかちゃかちゃと家路を急ぐ。

 膝丈のちびゴーレムが少々急いだところでそんなに速度は変わらないのだが、それは一生懸命歩いている本人には言わない方が親切かもしれない。



 ぴのっちは、この魔術師の森マギズ・フォレストで……いや、恐らくこの世界で唯一の『霊液式魔導人形エリクシル・ゴーレム』だ。

 とんがり頭に棒状の鼻。頭の三角錐と筒状の胴体の継ぎ目にある青いガラスの目の奥も、雪の光に黄色に反射する金属製の手足の先も、薄い膜に包まれた霊液で満たされている。

 液体でできた体を支えるのは、専門職の魔導人形製作者ゴーレムマスターではなく『錬金術師アルケミスト』が作った金属の外骨格。一般的なゴーレムと随分違った生い立ちと構造に加え、それらが未だ完全には持ち得ていない『感情』と『自己主張できる思考力』、そして『素直な感性』もしっかりと備わっていた。

 故に、というか。


「……きれいだなー……」


 ついつい、ぴのっちは雪空を見上げて立ち止まってしまう。生まれて……というか、作られてから窓の外に何度か見た、雪。触れるのは初めてだ。

「……あ」

 気が付けば、雪はつるりと金属ボディを滑って水玉になり、ひじ関節や鼻の先から滴り落ちている。

「びしょぬれになっちゃったなー」

 早く帰ってマスターに水気を拭いてもらわないと、さびちゃうかな? そんな事を考えながら、ぴのっちはまたいそいそと歩き出す。

「……あ」

 立ち止まっては、またいそいそ。

「きれいだなー…………あ」

 自分が立ち止まっている事に気づいて、またいそいそ。

 細長いバスケットの中には、おつかいに行った先で預かった瓶が入っている。走って転ばないようにね、と言われているので、短い足でとにかく一生懸命歩く。

「……あ」



 ボディの表面で冷やされた水滴が、だんだん氷の粒になる。立ち止まるたびに、ぴのっちの腕や頭、鼻の先にぺたぺたと雪がくっついて積もるようになってきた。

 足を持ち上げておろす、といういつもの動作が、ちょっと重くなってくる。

「雪って、重いんだー……」

 独り言を言いながら、薄く道を覆い始めた雪を踏む。微かにサク、サク、という音。

「サクサクするんですね?」

 ちょっと立ち止まって、足踏み。サク、サク、という音は、すぐに砕けて溶けた雪でぬれた地面を踏む音になった。

 と。


 きちっ


 何かを噛んだ関節が、きしみを立てた。

「あれ? なんだろ」

 関節が氷を噛む、という経験をした事がないぴのっちは、自分がどういう状態になりつつあるのか実はわかっていない。

「帰ったら、マスターに聞いてみよう!」

 重たい足を、一生懸命前に出す。

 きち、きち、ぴき、ぴき。

 小さな音が、ぴのっちの体のあちこちで鳴り始めた。

「よいしょ、うんしょ」

 ぴき・ぴき、ぱち・ぱち。

 マスターの家の明かりが見えてきた。だんだん近づく暖かそうな窓の明かり越しに、マスターと弟子が何か話している声が微かに聞こえてくる。

「わーい、もうちょっと……」

 次の一歩を踏み出そうとしたところで、ぴのっちの足が持ち上がらなくなった。

「?」

 調子を見ようとして手を下げようとしたら、これも動かない。

「あ、あれ?」

 この時、ようやくぴのっちは自分の体に積もった雪の下で何かがかちかちに固まっているのに気がついた。

「ええっと……」

 重かったのは雪ではなくて、もしかすると冷えて作動用の霊液の粘度が増したからかもしれなくて、そうするとええと……と、ぴのっちは一生懸命考える。凍っている、という事までは理解できなくても、何か大変な事になったのだけはわかった。

 そしてようやく。

「わーーーーん! うごけないよー、こわいよーーーー! マスター、まーーすたーーぁ! たすけてーーえええええええ…………」

 声を出すための動作部分が凍りつく前に盛大に泣いて助けを求める、という行動にぴのっちが辿り着いたのは、鼻の先にちょっぴりつららが下がり始めた頃だった。



 時間は、ほんの少しさかのぼる。

「ぴのっち、なかなか帰ってきませんね」

 すっかり並べ終わった夕食の前で、少年がため息をつく。

「まあまあ、あの子は足が短いですし。歩行型ですから仕方ないんですよー」

 自分達の他に住人もいない『錬金術師通りアルケミスト・ストリート』。そのまだ『通りストリート』とも呼べない通りストリートのマスターたる男性は、少年に向かって――はらぺこの弟子に向かって、ほのほのと微笑んだ。

「でもマスター、確かぴのっちは昼過ぎに出かけ行ったんですよ? いくら何でも遅くないですか……」

「うーん、雪に見とれて立ち止まったりしているんじゃないですかね? その間にシチューが煮えて丁度いいと思ったんですが……」

 マスターは、こしゃこしゃと頭をかいて窓を見やった。しばらく前にちらつき始めた雪が、気づけば本格的に降り始めている。

「シチューと言えばマスター、そろそろ料理用の鍋買いましょうよー。実験用の鍋だと何だか不安ですよ」

「そうですかぁ? 危ないものを煮た後でなければ、体に良さそうだと思いますけれど」

 のんきなマスターの背中で、束ねたあめ色の髪の毛と寝癖がぴこぴこと揺れる。それを見ながら、弟子はもう一つため息をついて席を立った。夕食が始まらないなら、走り書きのメモを整理して次の実験の段取りをまとめてしまった方が効率がいいし空腹も紛れる……。

「に、しても……お迎えがいるかもしれませんねえ」

「あれえっ!?」

 マスターの呟きに、素っ頓狂な弟子の声がかぶる。

「どうかしましたか?」

「マスター、お使い前にぴのっちに追加するはずだった凍結防止霊液、どうしてまだ満杯なんですかっ!?」

「……あーーーーっ!!」

 何が起こりつつあるか、ようやくマスターが理解した時。


『……たあああああすけてええええええええ……』


 そんなに遠くない場所から、盛大な泣き声が聞こえてきた。



「マスター……まーーすたぁ……とまっちゃうよぉ、こわいよーーーーぉ…………」

 マスターが慌てて玄関を出ると、低い垣根の向こうから甲高い泣き声が響いていた。

「ああはいはい、お帰りなさいぴのっち。大変でしたねえー」

 とにかく声をかけながら庭先に畳んでおいた台車を引っ張り出して通りに出る。

「ますたあ~~! マスター、こわかったですよーぅ、止まっちゃうかとおもったぁーーーー」

 ボディに薄い氷と雪をびっちりと張り付かせ、ぴのっちはぴーぴー泣いている。

「ああ、思考系が凍る前に帰りつけて良かったですねえ、すみませんねえ本当は凍らないはずだったのに……あう」

 ひざにしがみつかんばかりの勢いで泣くぴのっちを、よっこらしょ、と台車に乗せる。ローブの袖に手を引っ込めた状態で作業をしたら腰にきた。水で満杯で取っ手のない大型バケツを持ち上げるようなものだから、これはまぁ……仕方がない。痛いとか言うとぴのっちが心配し始めるので、とりあえずそれは言葉に出さない努力をした。

「……こおらないはず、ってなんですか?」

 ぐしぐしいう涙声で、それでも不思議そうに……本当に不思議そうに聞いてくるぴのっちに、マスターは色々な意味でちょっと引きつった笑顔で答えた。

「それは、家に入ってから説明しますね」



 かくして、新年を前にした冬の祝祭の日のお使いは幕を閉じ。

 暖炉の前に据えられたぴのっちが温まるのを待ちながら、凍結という現象について、凍結防止処置を忘れた事についてをマスターが精一杯わかりやすく説明してぴのっちに平謝りしたとか何とか。

 それから。

「おお、えらいえらい。ちゃんと振らずに持ってきましたねえ」

 散々夕飯のお預けを食らった弟子の前で細長いバスケットからマスターが取り出した発泡酒は、テーブルに載った丸鳥のシチューと共に食卓を賑わせたのだった。




 これは「錬金術師通りアルケミスト・ストリート」が、本当に若かった頃の物語。

 わらわらと住人が増え、年がら年中(?)阿鼻叫喚となる未来を、マスター達はまだ知らない。

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