へんしん

ミチル

第1話

 ある朝、かばんが目覚めたとき、自分がジャパリバスの寝床の上で一匹のセルリアンになってしまっているのに気がついた。

 クッションのように柔らかい背中を下にして横たわり、頭を少し上げようとしたが、体に曲げられそうな関節はひとつもなかった。

(う、うわああああ!!)

 どうしたのだろう、などと悠長に考えている余裕はかばんにはなかった。たしかに昨夜は、サーバルとともにバスの中で眠りにつき、やけに寝苦しく起きてみれば、寝ぼけたサーバルにきつく抱きしめられていたという事態もあることにはあった。だがその後、なんとかサーバルの手足を引き剥がして穏やかな眠りについたはずだった。

(サーバルちゃん! 起きて、サーバルちゃん!)

 セルリアンの体には手足がなく、サーバルを起こすためには体全体で揺すってやらねばならなかった。

「う〜ん、もう食べられな……うみゃ、うみゃみゃああ! セルリアンだああ! ボス! セルリアンがいるよ!」

(サーバルちゃん、ぼくだよ、かばんだよ!)

 だが、かばんの声はサーバルには届かなかった。セルリアンに発声能力はなく、かばんの意思を伝える手段はひとつだってなかったのだ。

 突如現れたセルリアンに慌てふためくサーバルの一方で、バスの運転を続けていたラッキービーストは我関せずという態度だった。

「と、とりあえず、石を見つけないと! うみゃみゃみゃあ、石はどこだー!」

(うわああああ!)

 かろうじて避けたサーバルの爪が、かばんの体をかすめた。

 そこでふと、サーバルは何かに気づいたようだった。

「あれー、でも、私、このセルリアン見たことあるよ?」

(ぼくだよ! 気づいて!)

 掲げた爪はそのままにこちらを睨みつけるサーバルは、ややあって「あ!」と声を大きくさせた。

「そうだ、思い出した! ジャパリまんだよ!」

(そうそうジャパリまんって、ええ、どういうこと!?)

 自らの姿をどうにかして見ることが出来ないか、かばんはバスの中を飛び跳ねまわり、バックミラーに映る自分の姿を見た。

 そこにあったのは、確かにジャパリまんであった。紫色の体の中央には「の」の字をモチーフとした模様が鏡写しに描かれている。だがそれ以外にも、なるほどセルリアンよろしくギョロリとした不気味な瞳がこちらを見ていた。何が起きているのかわからず、かばんは呆然とするしかなかった。

「ジャパリまんのセルリアンなんてあるんだね! すごーい!」

(感心してる場合じゃないよ、サーバルちゃん! ぼくだよ、かばんだよ、気づいて!)

 危機感よりも好奇心が勝ったか、サーバルはその両手にジャパリまんの形をしたセルリアンを挟んだ。

「もしかして、食べられるのかな?」

(ええええ、食べるの!?)

 だがかばんの忠告は届かず、サーバルは自らの牙をセルリアンの体に食い込ませた。弾力のあるセルリアンの体は牙を受け止めたものの、すぐにサーバルは口からセルリアンを解放した。

「うわあ、全然食べられないよお!」

(当たり前だよサーバルちゃん!)

 もしかばんがセルリアンでなければ、サーバルを羽交い締めにして止めただろう。

(そうだ、僕がいなくなったことに、どうして気がついてないんだろう)

 突如現れたセルリアンに驚くだけならまだしも、サーバルやボスは、突然消えてしまったかばんのことを、口に出そうともしていなかった。

 もしかしてこの世界では、かばんという存在そのものが消えてしまっているのではないかと、かばんはその考えに心を支配されていた。そうだ、もし、もともとこの世界にかばんという生き物が存在していなければ、消えたところでそれは何も変わらなかったのと同じことだ。

(いやだよ、そんなの。僕はサーバルちゃんと一緒に旅をしたいのに……サーバルちゃんは、ぼくがいなくても、平気なのかな……)

 問いかけようにも、今のかばんには声を発することはできなかった。

 サーバルたちも、自身にとってセルリアンが排除すべき敵であることを、ようやく思い出したようだった。

「石、みっつけた! えーい!」

 サーバルの爪が、ジャパリバスに乗り込んできた不届きなセルリアンをあっけなく一刀両断する。セルリアンの体は無数の小さな立方体に分解され、色とりどりの光を放ちだす。消え行く中で、かばんは、サーバルの楽しそうな声を聞いた。

「これで大丈夫! 次に進もう、ボス! 次はどんなフレンズに会えるかな?」

 サーバルとラッキービーストだけを載せたジャパリバスが、鬱蒼と茂った木々の間を走り抜けていった。


「うわあああああ!!」

「うみゃああああ!!」

 かばんが目を覚ますと、そこはジャパリバスの中であった。サーバルは驚いた表情を浮かべてバスの壁面にへばりついていた。

「だ、大丈夫? かばんちゃん、すっごくうなされてたよ」

「サーバルちゃん、ぼくのこと、分かる?」

「もちろんだよ! かばんちゃんは、かばんちゃんだもん。悪い夢見てたの?」

「うん、そうみたい……」

 かばんは今一度、自分の体を確認した。二本の腕と二本の足。それは、昨日までの自身と同じであった。頭には帽子があり、背中にはカバンがあった。サーバルに向けられる視線がとても柔らかく、心配されていることに安堵した。

「かばん、大丈夫?」

 運転席に座るラッキービーストの無機質な声も、このときばかりはとても暖かいものに聞こえた。

「サーバルちゃんは、ぼくがいなくなったら、悲しんでくれる?」

「もちろんだよ! かばんちゃんは大切な仲間だもん! そうだ、気分が悪いなら、一緒にこれを食べようよ!」

 どこからか取り出してきたジャパリまんを見て、かばんは雄叫びを上げた。

「うわああ、食べないでください!!」

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