第10話 そしてその頃マスターは。

 その日の朝は、だるかった。

(あぁ、そうか。夜明け頃エリカさんに起こされたんだっけ……)

 眠っている人に起こされるのも、これでもはや何度目になるのか。そんな事を思いながら、マスターは二度寝していたベッドから抜け出した。さっきまで耳元でガンガンとフライパンを叩かれていたので頭が痛い。

 そのフライパンで、弟子は何事もなかったかのようにスクランブルエッグを作っている。

 弟子のすぐ足元で、大人の膝丈ほどの霊液式魔導人形エリクシル・ゴーレムがよいしょよいしょと雑巾がけをしている。金属で出来た外骨格(どう見ても寸胴鍋に手足をつけて三角帽子をかぶせて棒状の鼻を刺したようにしか見えないが)は、どうやら今日も支障なく機能しているようだ。

 と、三角帽子と体の継ぎ目にある青い目が、のたのたと立ち上がったマスターを捉えた。

「あ。マスター、おはようございます」

 甲高い、かわいらしい声。

「おはよう、ぴのっち。今日も調子はよさそうだね」

 軽くかがみこんで、霊液式魔導人形──「ぴのっち」のボディに触れる。

「はい、おかげさまで」

「マスター! おかずが冷めますよっ!」

……平和なやり取りに割り込む、弟子のとんがった声。ほったらかしておくと、マスターは食事が冷め切ってなお飽きもせずにぴのっちと喋り続けるのだ。いつまで経っても食卓が片付かない上、予備の実験場所が確保できない。

「ああ、はい。わかりました……」

 よいしょ、と背中と腰を伸ばし、マスターはとことこと歩いて流し台の前まで来た。

「……また、かごごと落としたんですか?」

「う……はい」

 流しの中には、見るも無残に潰れた卵が一山。コンロの横にあるボウルの内側に殻の破片がへばりつき、落とした卵の無事な部分を強引にかき集めて使いました……と無言で語る。このそそっかしい弟子が住み込んで以来、一週間に一度は朝食がスクランブルエッグ「だけ」になる。

 食卓につき、いただきます、と皿にてんこ盛りのスクランブルエッグにしょうゆをかけて、一口。

「……塩と砂糖、また間違えました?」

「あー……、……と、ロゥタさんから連絡があったので治療術師頼んでおきましたから」

「またですかー。ありがとう。ロゥタさんも懲りないなぁ……」

 そそっかしい以外は優秀な弟子との、いつも通りの朝食。

……何か、違和感があった。


 肝心な事を忘れている気がする。

 今朝、何があったっけ。

 エリカさんに起こされて……。

 あの時は、弟子がまだ起きていなくて……。


「……どうしてしょうゆがあるんだろう?」

「あれ? マスター、ショウユって霊液エリクサーのナマエじゃないんですか?」

 足元からぴのっちの声。

「はい?」

「けさ、エリカさんに『ショウユ』っていいながら霊液わたしてましたけど、ちがうんですか?」


……恐る恐る、食卓に隣接した実験用のテーブルに目をやる。

 三本あったはずの、試作の霊液。


 何度数えても、二本しかない。


「しまったああああああああっ!」

 がたんっ、と立ち上がった丁度その時。

「まーって~ぇ。あた……しのー、あさー……ごーは……~~……」

 半ば、息を切らした叫び声。

「お……遅かったっ」


 ドアをばん、と開けたその時。

 あじの開きが、全速力で目の前を通過した。


「……まって……あさごは…………まーって~ぇ……」

 硬直しているマスターの前を、今度はよろよろとエリカが通過する。


 数瞬後、マスターはエリカとは反対方向へ走り出していた。



 凄い勢いで駆け出していくマスターを見送り、弟子は溜息をつく。

「あの、肝心なところが抜けてるの……何とかならないのかなあ」

「『ぬけてる』って、ぽけっとはやぶけてませんでしたよ?」

「……後で教えてあげるよ」

 小さな弟を諭すように、弟子はぴのっちの頭をなでた。

 たまに、致命的に「うっかり」するのがたまにキズ。

 そんな師匠は、弟子の頭痛のタネだった。



 こうなると、しばらくは帰って来ない。

 弟子は、冷めない内に朝食を済ませる事に決めた。

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