第2話 セレネとイアン

「お前との付き合いはもう5年になるな」

「そういえばそうだね」


 おばさんに言われて畑仕事をしながら、ふとセレネが物思いにふけって呟いた。イアンはそれに合わせて背伸びをし、汗を拭く。


「今考えても普通な出会いじゃなかったよね」

「あんなのが普通だったら世も末だな」


 プククと笑いながら彼女は汗をぬぐうと、イアンが何かに気が付いた。


「セレネ」

「なんだ?」


 スッと優しく彼の手が彼女の頬へと添えられる。白い肌に純白に輝く長髪のツインテールがキラキラと太陽の光に反射して…とても綺麗だ。


「どうした?」

「ん、土がついてるよ」


 彼はハッとして彼女の顔についた泥や土を綺麗に拭いた。


「セレネ、もっと身だしなみに気を付けたら? 女の子なんだし」

「…」

「どうしたのさ?」

「いや…」


 彼女がフッと、物悲しそうな顔をした。


「自分が女だということ…時々忘れる」

「…」

「昔からの癖みたいなものだ。気にするな」

「でも、セレネ…」


 彼女は苦笑するだけだ。


「俺は君の事、ちゃんと“女の子”として見ているけど」

「…」

「あれ、どうしたの急に黙って。あれれ、ほっぺが少し赤いよ? 熱?」

「…ばか」

「え?!」


 セレネは仕事を終わらせて、籠を持ち、おばさんのところへと進む。


「ちょ、ちょっと待ってよセレネ! さっきなんで俺の事バカって言ったのか、教えてよ!」

「お前には教えない」

「なんで?!」

「秘密だから」

「なんで秘密なの?!」

「なんでもだ」


 まったく。いつもこうだ。

 セレネは籠につめた野菜をおばさんに届けて、売る準備をしながら考えていた。


(毎度、私だけがあの天然の言葉に振り回される)


 不愉快でもあり、またくすぐったくもあり…こんな感情は彼と会うまでは知らなかったのだと、思い出した。

 ましてや、こんなほのぼのとした生活ができるなんて───…



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



 白い猫がいた。

 なんの変哲もないただの猫。しかし、ある日猫は酷い傷を受ける。

 その傷はとてもとても深く心の奥底に刻まれたのだった。その傷からはドロリとした嫌な気色悪い液体が噴出し、やがて白い猫は黒猫になった。


 黒猫になったその子はその黒い足跡を白い世界に残していき、そして…そこから次々と影が生まれた。世界は影に包まれていった。


 光が見えたのは…そんな時。


「セレネっ!また来たよ!」


 うす暗い場所でそんな夢を見ていた彼女は、その場に響く時計の歯車の音とは別の煩い音──少年の声に目をうっすらと開けた。そして溜息を吐いた。


「また来たのかお前は。何度言えば解る? もう来るなと言ったはずだぞ。」

「何言ってんだよ! 来るに決まってんじゃん? 俺、この時計気に入ったんだ!!」

「この古時計が気にいっただと? 笑わせるな。こんなボロ時計のどこがいいんだ」


 そんな彼女の疑問に、イアンはふふんと得意げに鼻を鳴らした。


「セレネは分かってないな~。もう何百年も故障一つしないでキンピカのままって、不思議じゃん?!」

「あたりまえだ。私がいるのだから。」


 ごく普通に、それが当たり前だと言わんばかりに彼女が言うものだから、聞き逃すところをイアンは頭を振ってつなぎとめた。


「はえ? なんですと?? いるから??」


 君がいるから何になるんだと言いたげな声。少しおかしくなって笑ってしまったセレネは、再び目を閉じた。

 もう、何年になるのだろうか…。


「わかっているだろう? 私はお前らのような、か弱い生物ではないのだ。元々ある目的のために私たちは作り出された。そして生まれた私たちは…」

「ちょっとまった。私たちって事は、もしかしてセレネのような子達が他にいるの?ある目的って何?? それって、君がこの時計にいることと何か関係してるの?」

「…」

「まだ話す気になれないの? 俺もう15あるから、色々話してくれても…」

「ふん。15だと? 笑わせる。まだまだガキだ。」

「ムカ! もう!! はぐらかそうとしないでよね!!」


 こいつとの会話は何故か心地よい。セレネは自然と顔に笑みが現れていた。そしてハッとする。

 何年、笑っていなかっただろうか。何年もこの時計の中で過ごした。孤独には慣れている。暗闇の中でただただ毎日“生きるだけ”の生活。

 何も生みだしはしない日々を見送るだけの…なんとも退屈で窮屈な毎日。

 ───寂しい日々をずいぶんと長い間繰り返したんだな…。


「お前には関係ないだろう」

「そうとも言えないよ。だってもう出会ったんだから」

「…だからなんだ」

「出会ったら、それだけで縁はできるんだよ? 世の中の人と出会える確率って結構低いって知ってる? だから俺とセレネが出会ったのも、奇跡に近いんだ」

「…そう、なの、か?」

「そうだよ!」

「そう、だな……」

「ところでさ、セレネはどうしてその中で生きていられるんだ?」


 ギクリと、心臓が高鳴った。彼女にとっては嫌な質問だ。


「…」

「語りたくないなら強制はしないよ」


 イアンはセレネと毎日話をする。おもに話すのは彼に起こった出来事だ。やれ川が逆流してあやうく街が呑まれるところだっただの、近所の猫が子供を産んだので見に行くと、野良犬に噛まれただの、色々だ。

 そして彼は街の外へ少し出て、見た景色をセレネに語る。事細やかに。セレネが想像しやすいように。


「もう時間ではないのか?」

「ああ、本当だ…じゃあまた明日──…」


 突如、地響きが起こる。立っているのもやっとで。


「な…なんだこれ?!」

「…恐れていた事がおこった」

「え?」

「私の姉が…暴走しはじめた…この力はアースだな…誰かに裏切られたのか、悲しい記憶が私の中に流れ込んでくる…まだ、残っていたのか……」

「ど、どういうことなのセレネ?!」

「お前は、『マペット』という言葉を聞いたことはあるか」

「あ、あるよ…みんな同じことしか言わないよ。恐ろしい力を持った人の形をした化け物とか…」

「そう、か…」

「でも、俺はそうは思えない」

「…!」

「だって、おかしいんだ。歴史には彼女たちは人の手助けを使命としていた。たとえ戦だったとしても、彼女たちは懸命に人に尽くしたんだ! 人を庇って死んでいったのに…それなのに…まるで悪者扱いされるなんて、あんまりだよ!」

「そうか」


 セレネは微笑んだ。


「そうか…」


 暗闇の中で


「お前も…シンと同じ…」


 涙を流しながら…。


「私たちの味方なのだな」

「え?! それって…」


 丁度その時、幾人もの兵士たちが時計塔に駆け込んできた。


「ここが我々が知りうる最後か?!」

「はい! 彼女に立ち向かうにはやはり、同じのマペット同士でなければ勝ち目はありません!」


 イアンはとりあえずシンの倒れ掛かっていた机に身を潜ませていた。


「おいマペット!! そこにいるのはわかっている!返事を知ろ!!」


 それを聞いてイアンはムッとした。彼らは彼女たちをまるで物のように扱うのが、気に食わなかったのだ。

 それに…こんな時に呼ばれて返事をする人なんていないでしょう。とイアンは思っていたのだが…。


「貴様ら、即刻立ち去れ。」


 ええぇぇえ?! ちょっとセレネさああぁぁん?!


「この時計の中か!! 開けろ!!」


 すぐさま一人の兵士がこじ開けようとしたが、急に電撃が時計の周りに出現し、兵士をはじけ飛ばす。

 暗闇の中、彼女は静かに言葉を並べた。


「開ける事は不可能。私は母に封じられた。私の力でも無理だ。」

「くそ! じゃあ、我々はどうすればいいのだ?! 我々だけじゃ、やつを止める事は不可能だ!!!」

「お前達が蒔いた種だ。お前達で解決するがいい。」

「くっ…! 人の役に立つことがマペットたちの使命なのだろう! ならばお前は」

「無駄だ。その“強制プログラム”は私には組み込まれていない」


 歯ぎしりする兵をおいて、イアンは疑問に思う。


「強制…プログラム…?」


 それは、何のことだ? なにをこの人たちは言っている?


「“母”がつくりし時、紛らわしくお前たち“王族”が勝手に埋め込み、私たちの自由を奪った…その罪を、償う時がきたのだ。」

「こいつ…なぜ王族とその配下の者たちしか知らない隠された真実を知っている?」


 隠された…真実だって?


 イアンは手を口に当てていた。そうでもしないと驚で声を出し、兵に見つかり処刑されてしまうかもしれない。

 イアンが聞いてしまった情報はそれほどに重い。

 そうこうしていると、地響きが鳴る。先ほどよりも近い。

 ドン!と言う音と共に彼女はやってきた。

 その長い茶髪の髪をポニーテールにし、髪をなびかせながら、手にグローブをつけて。兵士達が無理に戦うが、彼女の振るう拳はコンクリートからとがった岩を出現させ、大方薙ぎ払うと、後は器用に拳を使って圧倒していく。

 人はその戦闘力にまったく歯が立たなかった。


 突然、隠れているはずのイアン目掛けて彼女が拳を振るう。


「なっ…」

「人間は──…」


 彼女の明るい茶色の瞳が…光なくイアンを映した。


「消えろ」


 やられる…っ!


 ギュッと目をつぶることしか、イアンはできなかった。彼女はこの場に居る誰よりも早い。抵抗など、無意味。だからせめて、もうすぐ来るであろう衝撃に耐えようと、イアンは目をつぶったのだった。


 しかし、いくら待っても…痛みも、衝撃もこない。恐る恐る目を開けてみればそこには───…


 白い肌。

 純白の長いツインテールを優美に揺らしながら…見た目12歳の、黄色と白のフリルのついたドレスを見に纏う女の子が…

 小柄な華奢な身体で、その細い腕で…怪力の拳を片手の一指し指で止めている。


「やれやれ…もう二度と出ることはないと思っていたのだが」


 彼女がいたであろう、二度と開かないはずの大きな古時計のドアが完全に開いている。扉の中は人が三人ほど入れるような広さだった。鋼のような白い鉱石でコーティングされている。錆一つない。


「しかたがないな」

「なんなのよあんた…」

「実の“姉”と戦うのは忍びないが…しかたがない」


 トンと力を少し含めたのか、腕を振るうと相手が凄いスピードで時計塔の壁にぶつかった。


「“母”からの命令だ。落ち着きを取り戻し、姿をくらませろ」

「そんなの知ったこっちゃないね。あたしはすべてを壊す…とくに、人間を!」

「憎しみは…さらなる憎しみを生み出すだけだ」

「煩い! 知ったような口を…! いまさっき“生まれた”ばかりのアンタに何が…」

「私たちの記憶は共存している…だからわかる。」

「いーや、わからないね」


 バッと彼女は飛び出した。


「心の痛みは記憶だけじゃわからない!!」


 彼女はセレネへ拳を振りかざした。

 セレネはというと、静かに、そして悲しそうに顔をゆがませた。


「わかるさ…私も母に逆らって、一度あそこから出てしまったことがあった…」


 指をピピっと空中で動かし何か文字を書いた。その文字がバリアーの働きをし、相手の攻撃を防ぐ。


「喜びもつかの間。不完全な私はその力を持て余し、結果…」


 間を取る。


「いや…やめておこう。」


 そして相手を見据える


「今は姉である、シュレッサ…あなたを止める」

「やれるものなら」


 オオオォォォおおお! と力をためるシュレッサ。


「やってみなさいよぉおお!」


 彼女たちが──激突する。

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