第17話 夜戦Ⅱ 月下美人
バケモノの雄叫びを聞きながら、なんとか意識を繋ぎとめていた司は周囲を静かに確認する。
どうやら壁一つ貫通して隣のビルの外壁に叩きつけられたようだ。
口から錆びた鉄の味がする。
先ほどもらった一撃で無論肋骨の何本かは骨折しているし、更には内臓の一部を損傷したのだろう。口から止めどなく血が湧き上がって来る。
一瞬、ここで撤退する事も考えたがあの跳躍力を持つ相手に手負いの自分が逃げおおせる訳がない。
それなら……と、司は覚悟を決めて立ち上がる。
「おお兄ちゃん、まだ立ち上がれたのかい。華奢な割には意外とタフじゃねえか」
相手もここで引いてはくれないようだ。
向こうに地の利がない以上居場所を知った者を生かしておくのは自分の首を絞める事と同義なので頭から期待はしていなかったが、やはり構えられると改めて怖気付きそうになる。
だが今、ここで自分が引いたら翌日の吉野の命が危ない事は自分が一番分かっているつもりだ。
だからこそ。
司は右手で剣を構え直す。
さっきの速度でまた突っ込んで来るならどの程度かかるのか……千里眼を起動させ確認する。
改めて乱れた呼吸を整え次の一手に全てを賭ける。
「さて、構えは取れたか? こっちも大切な計画の前段階なんだ。ここでつまづく訳にはいかねえ……消えてくんなぁ」
黒獣が闇夜を疾駆して、その剛毅なる前肢を、鋭利な鉤爪を、三日月のような牙を余すところなく駆使してこちらを殺しに来る。
司は落ち着いた様子で剣を元の構えから肩越しに大きく引き、敵を威圧するかのように叫ぶ。
「遅延開始」
「へっ、さっきの俺の拳すら止められなかった技で俺の突進を止められるとでも思っているのか? 」
黒獣は司を明らかに舐めた目で見ている。これは正直司にとって最良の条件だった。
何故なら、今から司が使う技は一撃目を見切られると一切通じないからだ。
司は遅延の能力で自分の剣の周りに空気中のパズルを圧縮していく。
そして、敵との間合いを今度はギリギリではなく、剣の刃全体が当たるようにとる。
先ほどのタイミングで司が刀を振ってこなかったのを見て勝利を確信した笑みを浮かべる黒獣。
「そうか、怖気付いちまったか。じゃあこれで最後なっ」
獣が飛びかかって来ると同時に司は何を思ったかほくそ笑み、自信に満ち溢れた顔で叫び始める。
「千思一刀流……」
言い終わる前に黒獣の剛腕は司の顔面をもろに狙って放たれる。
司はその砲弾のような威力を持つ腕に狙いを定めて目にも留まらぬ速度で剣を振り抜く。
「月火閃」
三日月を彷彿とさせる奇跡を描き、炎を帯びた刀身は黒獣の体毛とその下にある厚い肉を焼く。
その勢いで拳は的を外し、司の頭をかすめ後ろの壁にヒビを入れて止まる。
ジュウウウッと肉が焼けて細い煙が上がる。
ギャァァァァァァと獣は腕を押さえ悲鳴をあげるが、すぐにニヤリと司に不敵な笑みを向ける。
「まさかこんな奥の手があったなんてな。油断したわ。だが、ネタが割れちまえばこっちのもんだ。その技は一回溜めんのに相当時間と体力を喰うみたいだしな」
司を睨むその鋭く突き刺すような双眸は先ほどよりも強い明確な殺意を感じさせる。
「それにその剣じゃあ俺の腕を浅く斬るのが精一杯と見た。残念だったな坊主。お前さんがもっとマシな武器を持ってたらゾッとするぜ」
そこまで告げると黒獣はないも等しいその距離を即座に詰め、ふらつき、足元がおぼつかない司の腹に風穴が開く勢いでその手傷を負った腕で殴りつける。
「結局、俺には何もできなかったんだな……ごめんよ……」
司が覚悟を決め、その意識を手放して砲弾の如き一撃を避ける事もなく腹に風穴が開く……筈だった。
が、もちろんそうなった訳ではない。
黒獣の放った鉄拳は先ほどと同様に後ろの壁に吸い込まれ、そこに大穴を穿っていた。
「この方を殺させる訳にはいきません」
自分たちがいる路地の大通りに繋がっている方面から芯の強そうな女性の声が聞こえる。
拳が壁を穿った時に上がった粉塵が消えるとともにその姿が露わになる。
そこには黒い丈の短い着物に白い帯を合わせたか弱そうな少女が気を失っている司を抱えて凛と立っていた。
「嬢ちゃん何もんだ? お前の速さは新世代にしても異常だ。あの距離にいたそいつを俺のパンチが届く前に掻っさらい、挙句自分もそれをかわして俺から距離をとるとか」
少女はその問いには何も答えず、足速に煌びやかな満月が照らす住宅街の方面へと姿をくらました。
黒獣はそれを追いかけようとはしなかった。
もちろん、住宅街で戦闘をして自分たちの存在を大っぴらにしたくないというのもあったのだが……何より少女の不気味さが司を追う気を失せさせたのだ。
少女は目にも止まらない俊足で手近にある病院へと急ぎ向かっていた。
その端整な顔は大粒の涙でぐしょぐしょに濡れていたがその目は真っ直ぐ前だけを向いて外さなかった。
「ツカサ、無事でいて下さいね。貴方の命は私が助けてみせます」
それは、彼女の小さな腕の中で眠る司へ掛けられた決意の表れのようだった。
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