第2話 新天地=オウスラクト



その日は太陽が高く昇り、吹く風の心地よい五月晴れだった。


少年は双眸に携えた、碧に透き通る眼で自分と半日という長い時間を共にした小型の白い船舶を広い港の一角から物寂しげに見送っていた。


船舶が見えなくなると、少年はあたりをまるで誰か人を探しているかの様にキョロキョロと見回した。


そんな少年の他にお客はいない。もっとも、少年はそんな事に気を留める素振りすら見せず背負われている紺色の年季の入ったリュックサックを一旦下ろす。


リュックサックによって押さえつけられていた暗灰色のブレザーが風に煽られて流れるようにはためく。


必要、不要を問わずものが詰まっていっぱいのリュックサックの中を手でかき分け、五百ミリペットボトルに申し訳程度に残った水滴を喉の奥に落とす。


「はあ……本土から半日もかかるなんて聞いてないよ……」


日本本土から旅を共にした、ついにカラになったペットボトルを捻って潰し、また密林の様になったリュックサックに押し戻す。


本当にキモチ軽くなった(はず……)のリュックサックをまた肩に担ごうと片方の肩ベルトに手をかけた時、遠くから声をかけられた。


「おぉ〜い、遅れてすまないね〜」


黒い蓬髪と、細い首に巻きつけた季節を完全に間違えた青いマフラーが特徴的な青年が満面の笑みでこちらに手を振りながら、高層ビルの建ち並ぶ島の中心部の方角から駆けてくるではないか。


「あ、怪しいだろ……」


ジリジリと後ずさりを始めた少年を尻目に、青年は少年の元まで一直線にたどり着くと肩で息をしながら、少年の肩を両の手で掴み


「はぁ、はぁ……おふれへもうひわへまいね……」


「いやいや、大丈夫ですか? 言葉が言葉になってませんよ? あ、そうだ水でも飲みますか? 」


それを聞いた青年が輝く穏やかで純粋……そうな目をこちらに向けてきたので少年は先ほど背負ったばかりのリュックサックを下ろし中からペットボトルを取り出そうと思ったのだが……出てきたのはこれも先ほど捻り潰した見るも無残なそれだった。


次の瞬間、青年の純粋? そうに見えた目は即座にゴミ捨て場を眺める様な見る者を不快にさせるジト目に変わっていた。


つかさくん……そうやって人を一度喜ばしてから絶望の淵に突き落とすのが君の趣味なのかい? 私は感心しないなぁ」


「あああああ、すみません……さっき飲んじゃったんの忘れてました……」


腰を九十度に曲げ、眉の隠れるほど伸びた髪に宙を往復させながら、突然現れた奇妙な男に自分のできる最大限の平謝りをする。が、少年は青年の言動のおかしなところにようやく気が回った。


「……なんで僕の名前を知ってるんですか? 」


司と呼ばれた少年から向けられた疑問の眼差しに、青年はおもむろに右のポケットからクシャクシャに丸めた紙を取り出し、それを億劫そうに広げて読み上げて答えた。


「ええ〜と、 宮野司みやのつかさ、十六歳。右利き。本日付けで地元の公立高校を退学し、新世代の健やかな発達を促す人工島、学業都市オウスラクトに属する一校。私立理成弦学園の高等部一学年に転学を許可された……これで答えになっているかな? 」


青年は司に全てを見通したかの様な薄い笑みを浮かべる。


「なるほど……では貴方が学園の案内役のかたということですかですか? 」


「ご明察。僕は今日、理成弦りせいげん学園の代表として君を迎えにきた。高等部三学年、渡邉篤史わたなべあつしだ。以後よろしく、司くん」


青年……基、篤史は先程とは打って変わって、さも紳士か模様に右手を胸の前にかざし礼をして見せた。


少年……基、司は目の前の人物の態度が豹変した事に戸惑いながらも、先程とは違った意味で深々と頭を下げ


「こちらこそよろしくお願いします。渡邉先輩」


上がってきた彼の表情にはこの島に来て初めて、安らいだ様な笑みが浮かべられていた。

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