人類寓話オウスラクト
八冷 拯(やつめすくい)
第1話 開始点≒プロローグ
『寓話』というものをご存知だろうか。
その代表でもあるイソップの名作、「蟻とキリギリス」では働き者と遊び人のそれぞれの利点、そしてそれぞれの立場故の残酷さが描かれ、「金の斧」には正直者の得られる利益と虚言者の被る不幸についてつずられている。
つまり『寓話』とは人間の内に秘めた醜い部分を物語として描き、これからを生きる人々の教訓とすることを目的として書かれたもののことだ。
そして、これら全ての寓話にはある共通点がある。
それは、主人公の名前が一切書かれていないということだ。
これから始まる寓話はその主人公にまだ名前のあった頃の物語。
そしてこれは、我々人類がこれから犯すかもしれない最も新しいカタチの『寓話』である。
_________________________________________
薄暗く、もはや廃墟といっても過言ではないコンクリート製のビルの三階。
日は沈み、昔は窓がはまっていたであろう大きな四角い、街を切り取るような額縁からオレンジ色の光が目を刺すように射し込んでくる。
俺はいつの間にかうつ伏せになって血まみれで倒れていた。
首の座っていない赤ん坊の如くクラクラする頭を右手で押さえながら、生まれたての子鹿の様に笑っている脚に自分の持てる全ての力を入れ、起き上がる。全身が内部から鉤針で引き裂かれるかのように痛む。
三人の『新世代』との戦闘での身体へのダメージは計り知れない。真新しいはずの制服はいたるところに刃物で切れた跡があり、所どころに深紅のシミが満開のバラのように咲き誇っている。
満身創痍の身体を奮い立たせ、空いた左手を伸ばし、足下に転がっていたつい最近貰った鋭く光る相棒を拾い、それを杖の様に地面に突き立て何とか立ち上がる。
眼下には自分の斬り伏せた三人が、此方も流血をして地に伏している。
ーーもう起き上がっては来ないよな? ーー
目の端でピクリとも動かない怪物どもを捉えながら後ろの、膝を折り曲げて座りこんでいる、雪の妖精を具現化させた様な麗しい小柄な少女を目の端で確認し、消えかけている自らの命の意味を再確認する。
何とか一人で彼女を守り通すことができた……そんな安堵の気持ちからか俺は頰を緩め、怯えて縮こまった顔の彼女の方を最大限の微笑みを携えながらゆっくりと振り向く。
が……安堵で満ち溢れた表情の俺とは裏腹に、彼女の顔は不安と恐怖で溢れていた。
強張った表情のまま彼女は必死に震える唇を動かし、声にならない言葉で文字を紡いで俺に何かを訴えかけていた。
ーーウ・シ・ロ? ーー
気が付いた時にはもう遅かった。目に見えない何かが俺の左胸を細く貫通していた。
自分の中に流れていた三途の河が一気に決壊し現実世界に池となって溢れ出る。
俺は何が起こったのかも分からないまま元いたコンクリート製の地面に倒れ伏した。いつもは嫌いなこの人工物独特の冷たさも今の俺にとっては何故か心地良かった。
ーー何で倒れてるんだ? まだ動けるだろう? 俺の身体ーー
そんな俺を、いや俺たちを追い詰めるかのごとく、柱の陰から長身の男が現れた……窓跡から差し込む夕陽がその男の表情を映し出す。笑っている。彼女を守り切れず地に這いつくばっている俺の醜態を「滑稽だ」とでも言っているのだろうか……
ここにきて、急に意識が遠のき始めた。血を流しすぎたのだろう。身体中の感覚が少しずつ消えていって……終いには先ほどまで感じていたコンクリートの冷たさもすらも俺の身体は忘れようとしていた。
この島に来てからの三日あまりの短かった日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
ーーまだ、俺は……死ねない。まだ……俺はーー
俺は彼女に手を伸ばす。自分が庇うことで少しでも彼女を延命できるのなら…… だが、そんな願いも空しく俺の左手は空を切った。
自分に起きた現象も、長身の男の正体も解らぬまま、まだ友達とも呼べない間柄の可憐な少女を残し、俺はここで息を引き取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます