人類測定器
風来 万
人類測定器
そろそろ種芋の植え付け時期も終わりだ。俺は畑に出て畝を作る。
僅か数年だったけど、サラリーマン生活は嫌いだった。上司とセールスに回り、取引先に愛想を振りまく毎日。脂ぎったオヤジの機嫌を取っている自分が情けなかった。
俺は、脱サラして百姓になった。今は人間らしい、幸せで健康的な生活を送っている。長生きできそうだ。おっと、長生きはタブーだった。
ブラウン管の中の女性がローカルニュースを読み上げている。
「昨夜、本州太平洋岸の広い地域で火球が目撃されました」
それに続いて、天文台の先生が、地球の周りを漂っていた大きめのゴミが落ちてきたのではないか、と見解を述べている。昔は流れ星に願いを唱えたもんだが、今時の流れ星は粗大ゴミだそうだ。
俺は食べ終わった皿を流しに置き、上着に袖を通す。ベッキーが足元でくるくる回り出す。いつものことだが、ベッキーは俺が上着を着るとお散歩の合図だと思って喜ぶ。玄関の横に掛けてあるリードをはずす。もうベッキーはそこら中を走り回っている。俺は興奮状態のポメラニアンにリードを付け、サンダルを履く。
外に出ると、四月の早朝はまだ少し肌寒いけれど、空気が気持ちいい。向かいの家の屋根で雀がうるさい位に囀っている。そろそろ巣作りの季節だ。ベッキーはいきなりアパートの門柱にマーキングをしようとする。そこは止めてくれ、ベッキー。俺はリードを引き、ゆっくりと走り出した。最初の電柱の根元に生ゴミの袋が置いてある。今日はゴミの日じゃないだろう、俺はいきなり暗い気分になる。ルール無用のオバサンたちが多すぎる。ベッキーは生ゴミが気に入らないらしく、マーキングを諦めて次の電柱まで走っていく。次の電柱ではいつものようにチョロッとマーキングする。それからクンクンして確認を終えると、すぐの角を曲がって次の電柱へ行こうと俺を引っ張る。角を曲がったところには、違法駐車。いつもの外車だ。車庫もないのに外車なんか買うなよな。
「ベッキー」
俺はベッキーに外車のタイヤにマーキングするよう促す。チョロッ。ざまぁみろ。ちょっとだけ溜飲を下げる。
次の電柱の下で、ベッキーはまたマーキングする。もうあんまり出ないみたいだ。さあベッキー、次、行くぞ。リードを引いた瞬間、俺は異様なものを見てしまった。次の電柱に、女の人が登っていた。恐る恐る近付いて見上げると、電柱のてっぺんで、張られた線の一本を握りしめている。全く動かない。感電して死んでるのかと思ったけど、よく見ると掴んでいるのは電話線の様だ。行動も異常だったけど、服装も普通じゃない。多分どこかの制服だろう、身体の線がはっきり出るしなやかな素材のスラックス。短めの上着も見たこともない様な不思議な素材だ。案外カラフルで見栄えのする制服だ。電話会社の作業服じゃないのは確かだ。ベッキーが次へ行こうと俺を引っ張る。待て待て、ベッキー。放ってはおけないぞ。女のすぐ目の前に渡っている電線は、トランスのあちら側、つまり、高圧電流が流れてるんだ。触れば即死だ。
「もしもーし」
ちょっと間抜けな気もしたけど、びっくりさせないように声を掛けてみた。女は姿勢を変えないまま、下を見た。
「そこ、危ないですよー。高圧電線、通ってまーす」
女は俺を無視している。
「動かないでくださーい」
俺が消防に電話しようとケータイを取りだしている間に、女は突然姿勢を変え、手慣れた様子で降りてきた。日本人ではなかった。東洋的な、というよりも、オリエンタルな雰囲気と、西洋的な雰囲気とを兼ね備えたすごい美人だ。だけど、無表情で、俺にとても冷たい視線を投げてきた。
「あんなとこで何してたんですか?」
俺の質問を無視して、女が言った。
「お前の、家はどこだ?」
高圧的な口利きだったけど、日本語がまだうまくないらしい。
「すぐ近くです」
「案内、しろ」
ちょっとムッとしたけど、外人さんが遠い異国で困っているんなら助けてやるのが日本男児。ましてや絶世の美女ならば、だ。ベッキーには悪いが今日のお散歩は中止だ。そのベッキー、さっきから俺の後ろで震えている。女が怖いらしい。
俺は女を連れてアパートに戻った。
「開けろ」
命令口調だ。俺がドアを開け、ベッキーを連れて家に上がると、それをじっと見ていた女が続いて入ってきた。独身男性の一人住まいに、向こうから入ってくるなんて、なんて気前の良い、じゃなくて、無防備な女なんだ。女は、継ぎ目の見えないかっこいいブーツを脱ぎ、づかづかと上がってきた。そして、俺に向き直ると、
「テレビを付けろ」と命令した。
やれやれ。俺は言われるままにリモコンのスイッチを入れる。すると、女は俺の手からリモコンを取り上げ、自分でチャンネルを変えだした。
「なんか飲む?」
「かまうな」
まったく、取り付く島もありゃしない。俺は自分の分のコーヒーを入れてダイニングの椅子に座る。コーヒーを飲みながら女の様子を観察する。女はテレビの前のリクライニング・チェアに寝そべっている。年は、俺よりちょい上かな。二十六、七位か。背は結構高い。一六五以上はありそうだ。太からず細からず。巨乳好きにはウケないだろうがスタイルは、良い。
「ねえ君。名前は? どこから来たの?」
俺の質問は無視された。ベッキーもあきらめ顔で俺の足元に寝てしまった。
テレビからニュースが流れる。
「昨夜多数の目撃が報告された火球が、XX市郊外の丘陵地帯に落下していたことが今朝、確認されました」
おっ、近くじゃないか。俺も見たかったなぁ、火球。テレビカメラが落下現場を映し出す。周囲の木々がなぎ倒され、落下点は土が盛り上がっている。あそこに隕石だか宇宙ゴミだかが埋まっているんだろう。
「レース・デターミナー モデル30タイプB。あそこだ」
突然、女が口を開いた。
「え?」
何のことか、わからなかった。
「名前は『レース・デターミナー モデル30タイプB』。あそこから来た」
女はテレビを指さした。テレビは火球の落下地点の中継映像を流し続けていた。どう答えていいのかわからず、俺は黙っていた。女も何も言わない。
しばらく、無言の時間が続いた。女はテレビを見続けている。そろそろ出勤の時間だ。勿体ないけど、女を追い出さなくては。
「悪いんだけど。俺、会社行かなくちゃならないんだ」
女は無言で、時々チャンネルを変えている。
「君がいちゃ、俺、出勤できないだろ?」
女がこちらを向いた。相変わらずの無表情だ。
「お前はもう要らない。行って構わない」
こいつ、何言ってるんだ?
「ここは俺の家だよ。君に留守番頼んで出かけるって訳にはいかないだろ?」
「構わない」
「君が構わなくても、俺が構うんだよ」
「会社に、行きたくないのか?」
そりゃ、積極的には。って、そうじゃないって。有給も少ないのに、こんなヘンな女のために休めないよ。別にイイコトさせてくれるでも無さそうだし。
女は俺を無視して、勝手にラジオを点けた。テレビとラジオの音声が混じる。俺は背広に着替えながら、どうしたもんかと考えあぐねていた。警察を呼ぶ、っていうのが真っ当な方法だろう。でも、俺がそうしなかったのは、女がとびっきりの美人だったからに他ならない。
「君、不法就労者? 警察呼んだら困るよね?」
俺は勝手な理由をでっち上げて自分を正当化しようとし始めている。
「この部屋には金目のものはないし、テレビやパソコンはあるけど、君、勝手に持ってったりしないよね?」
女は無言だ。俺は意を決して言った。
「俺、会社に行くから。帰るときは鍵を閉めて、その鍵を外の植木鉢の下に入れといて」
俺は予備の鍵をテーブルに置き、ドアに施錠して出勤した。
会社からの帰り道、俺は戦々恐々としていた。女が外国人窃盗団の一員だったりしたら、今頃俺の部屋は空っぽだろう。ベッキーは無事だろうか。ベッキーさえ無事ならば、後のものは鼻の下を伸ばした俺の自業自得ってことであきらめもつく。
アパートに帰り着くと真っ先に植木鉢の下を見た。鍵はなかった。玄関のドアは施錠されていた。中から、ベッキーの声がした。いつもの、俺の帰りを喜んでいる声だ。ほっとした。ドアを開けると、ベッキーが俺の足元にからみついてきた。俺はベッキーを抱え上げ、部屋に入った。電気の点いていない暗い部屋に、テレビとパソコンのモニターがわずかな明かりを供給していた。
女はリクライニング・チェアにいた。俺が部屋の明かりを点けると、振り向きもせず、「おかえり」と、声を掛けてきた。
「ただいま」つい、つられて答えた。「ちゃんと挨拶するとは、たいした進歩だね」
「わたしは、レース・デターミナー モデル30タイプB。最新型だ。すでにお前たちの習慣の大半を把握した」
「よくわかんないけど、君のこと、『レース』って呼べばいいのかな?」
「それで、いい」
レースもだいぶん愛想が良くなり、会話が成り立つ様になってきた。
「それで、君は電柱の上で何してたの?」
「情報の収集だ」
「電話線を掴んで?」
「そうだ。その程度は初期型でも出来る」
そうそう、君は『最新型』だったね。
「で、うちに来てからは?」
「情報の収集だ」
「君は何者? 外国のスパイ?」
それから彼女が話してくれた内容は、にわかには信じられない様な話だった。
レースは今朝本人が言った通り、あの火球に乗ってやってきた。宇宙人か、と訊いたら、宇宙人に作られた機械だと言われた。レースを作ったのは、単一の種族ではなく、いわば宇宙連合の様な組織だそうだ。その組織は、宇宙の自然と秩序を守るために『レース・デターミナー=生物種測定装置』を問題のありそうな星に送り込んでいる。デターミナーはその星で分析を行い、必要な措置を取る。最新型のレースは、全権を任されているらしい。
地球は問題のありそうな星のリストに載ってるって訳だ。それには俺も同意する。生ゴミの出し方や違法駐車どころじゃない、人間は地球を破壊し、自滅寸前だ。
その夜、レースは俺の家に泊まった。機械に『泊まった』はヘンかも知れない。それにレースは眠らないし。
翌朝、レースは相変わらずリクライニング・チェアにいたし、テレビは点けっぱなしになっていた。朝のニュースは特番になっていた。
「XX市で発見されたカプセルは明らかに地球上のものではなく、直前まで乗員がいたものと推測されます」
ニュースを聞いてもレースの表情は変わらない。いや、昨日よりは変わっている。無表情だったレースの顔に、今は少し優しさと、そして寂しさが見て取れる。最新型は、すごい。
「君の宇宙船、見つかっちゃったね。帰りは大変そうだよ」
俺が言うと、レースは俺の方を振り返り、いっそう寂しそうな表情を浮かべていった。
「わたしは帰還する様にはプログラムされていない。あのカプセルも使い捨てだ」
テレビの中継は、ニューヨークの国連本部に切り替わっていた。『ファースト・コンタクト』について討議しているらしい。アメリカとヨーロッパが主導権争いをしている。当事者の日本は蚊帳の外。結局は利権争いだ。
「誰が最初に君に挨拶するかで、モメてるんだ」
「残念だ。他にすべき事が有ったろうに」
レースは俺から目をそらした。
「君の使命は、具体的には何なの?」
「わたしは、人類を調査し、必要な処置を取るようにプログラムされている」
「調査は進んでる?」
「ああ」
俺はそれ以上訊かなかった。
「国連本部に行ってくる」突然彼女が立ち上がった。ベッキーがびっくりして後ずさった。
俺は、突然のことにどうしていいかわからなかった。彼女と別れたくなかった。彼女が機械だとしても、ただの『レース・デターミナー モデル30タイプB』だとしても、俺は彼女を好きになり始めていた。けれど、引き留めることはしなかった。したところで無意味だということもわかっていた。
彼女は躊躇しなかった。感傷的な挨拶などない。ただドアを開け、朝の町に出て行った。
俺はのろのろと背広に着替え、出勤した。いつもの日常に戻った。
帰宅途中の駅で、号外が配られている。『人類滅亡の危機』の文字がちらっと目に入ったけど、俺は受け取らずにその場を離た。
帰宅して玄関を開けると、明かりも点けずにレースがいた。すでに国連での仕事を終えて、ここに、俺の家に帰ってきていた。
「おかえり」レースが振り向いていった。
「ただいま」
レースはいつものリクライニング・チェアだ。俺は服を着替えて、彼女の脇の床に座った。レースは手を伸ばしてベッキーを撫でている。ベッキーのヤツ、この機械人形と折り合いを付けたらしい。
テレビは点いていなかった。スイッチを入れると、どのチャンネルもレースのニュースを流していた。特派員が国連本部前でわめき立てている。
「宇宙人のこの突然の通告に、各国とも臨戦態勢に入っています!」
俺はレースの顔をのぞき込んだ。レースは何も言わない。ただ、悲しそうだ。
レースは国連本部で「人類を殲滅する」と宣言していた。各国はレースと宇宙軍を相手に、戦う準備を進めていた。もちろん、宇宙軍なんて来やしない。『最新型』のレース一人で事足りるらしい。
テレビでは、国連本部内での録画映像が流れ始めた。レースと各国代表との質疑の様子だ。レースは、初めて出会ったときのような全くの無表情で、英語で受け答えをしている。字幕が流れる。
『人類を殲滅する理由は何ですか?』
『人類は自らの未来を放棄した』
『私たちは国連を中心に人道的な活動を行っています。飢餓対策、貧困地域への医薬品の供与、戦争の回避……』
『知っている』
『確かに人類は自然を破壊してきました。けれど、近年は各地で自然保護活動も盛んに行われています』
『知っている。人類が地球ごと確実に自滅するならば、宇宙連合は人類を放置しただろう』
『それは、よけいな事をせずに、私たちに自滅しろ、という意味ですか?』
『ちがう。人類の様な低レベルの種がそのまま宇宙に進出することが問題なのだ。自滅するならば、何も問題はなかった』
テレビではかみ合わない質疑が続いている。俺はテレビから目を離し、レースに言った。
「限られた土地、限られた食料、限られた資源では限られた数の人間しか生存し得ない、っていう簡単なことも、人間にはわかってないんだよ」
レースはとても驚いた様子だ。たぶん、俺が真面目な話を始めたことが意外だったんだろう。俺は続けた。
「飽和状態になれば、誰かが死ななければ次の命が生まれ出る場所はない。限られた地域ならわかりやすい事さ。中国の『一人っ子政策』なんかは問題を認識した上での対策だった。もっとも、問題を間違って把握してたし、対策も間違ってた。その上、失敗した。地球規模になると問題意識そのものが無くなっちまう」
レースは黙って俺の顔を見つめている。
「俺は人口爆発のことを言ってるんじゃないんだ。それだけなら、君の言う通り、食糧難で自滅すりゃいいだけだ。
君も見たろ? テレビじゃご長寿番組が大流行。長寿村の紹介、長寿のための料理特集。役に立たない連中が長生きして食料やら何やらを大量に消費してるお陰で次の命が生まれて来られないんだぜ。
その結果、どうなってるかって? 少子化、世代交代の遅れ。さっさと子供作って死ね、とまでは言わないけどさ。
種の進化が突然変異と自然淘汰に依存してるなら、世代交代を遅らせてる老人医療も、あるいは淘汰そのものを否定する福祉も、『人類はもう進化しません』って言ってる様なモンだ。
『弱者救済』ってさ。弱者を切り捨てなきゃ進化なんて無いのに。弱者の理論がまかり通っちまってる。それも結局は弱者が増えちまったせいだろ? 『少数意見も聞きましょう』って言ってるうちに、そっちが多数になっちゃってる。国家予算のかなりの部分を福祉に使ってるなんて、イカレてるぜ。
知ってるか、レース? 世の中、福祉関係の仕事って、結構人気なんだぜ。医者や看護士もだ。奴ら、いったい何やってんだ? 一生懸命人類の進化を食い止めてるんじゃないか? ……人間はエゴの塊だよ。次の世代なんか知ったこっちゃないんだ。次の世代が進化しようがしまいが、関係ない、自分たちの世代が大事なんだ。『飢餓で苦しむ子供たちを救おう』って、やってる奴らのマスターベーションだよ。死ななければならない命を助けて、生まれてくるべき命のその可能性の芽すら摘み取っちまう。それで『ああ私は良いことをした』って。殺人よりひでぇよなぁ」
こんなこと、人間相手には言えやしない。レースだから愚痴れるってもんだ。
「お前は、変わっているな。今までの調査結果からはお前の様な考え方は汲み取れなかった」
レースが意外そうに言う。確かに俺は変わり者かも知れない。
「いいんだレース、君が正しい。人類は滅亡すべきだよ」
俺は努めて明るく言った。
「お前は、それで良いのか?」
レースが訊いてきた。
「個人的には全然良くないさ。せっかく君にも会えたんだし、な」
レースが微笑んだ。始めてみせる表情だ。
俺は続けた。
「出来れば、全人口の十パーセント位、生き残らせてくれたらなあ、って思わないでもないけどね。でも、それで君がいなくなったら生き残った連中はまた元通り、自然破壊、長生き、マスターベーション、だろうね。なら、いっそ絶滅の方がいさぎいいや」
テレビが軍港の状況を生中継しだした。敵がどこにいるかもわからないのに、空母上に並んだ戦闘爆撃機は臨戦態勢だ。兵士の姿も映し出された。
レースがテレビに向かって手をかざした。
突然、すべてが動かなくなった。空母も艦載機も、兵士も。そして、まるで砂で出来ていたかのようにさらさらと海に崩れ落ちた。岸壁のリポーターの悲鳴がテレビを通して聞こえてきた。
「君がやったの?」
「そう……だ」
レースは少し苦しそうだ。
「レース? 具合、悪いのか?」
「大丈夫だ」
レースは泣いていた。
「殺したく、なかったの?」
「違う。私は彼らを殺すための機械だ。ましてや、生きる価値のない種を絶やすのに躊躇など、ない」
「じゃ、なぜ泣く?」
「……気に、するな」
突然彼女は俺の胸に顔をうずめた。彼女の嗚咽する声が洩れた。
「俺だけ、残したりするなよ」
俺は彼女に囁いた。別にいいさ。レースに殺されるんなら怖くはない。
ひとしきり泣いて落ち着いたのか、レースは顔を上げた。
俺は彼女に微笑みかけた。
「明日、会社休みなんだ。一緒に遊びに行かないか?」
「……かまわない」
多分、俺の人生最後のデートになるだろう。
翌日、俺はレースに俺のGパンと、なんとか合いそうなシャツを着せて車に乗せ、郊外のショッピングセンターに出かけた。助手席のレースの膝にはベッキーが乗っている。
個人商店では閉まっている店も多いが、大型のショッピングセンターは開いていた。俺はレースと腕を組み、レースはベッキーを連れている。さすがに美人のレースは人目に付くが、ポメラニアンを連れてにこやかに歩くレースがあの宇宙からの破壊神だと気付く者はいない。俺はレースを連れてブランドものの洋服を扱っている専門店をはしごした。帽子から洋服、靴、アクセサリーに至るまで、彼女に似合っていて、その上俺好みなものを選んでいった。口座に金を残したって仕方がない。クレジットカード使いまくりだ。レースは楽しそうだった。最後に、買った服に着替えさせる。買い物を終えると、俺たちは車に戻り、ドライブとしゃれ込んだ。湖で遊覧船に乗り、ロープウェイで展望台に上がった。それから人形の博物館に行った。レースは大喜びだった。わたしの仲間だ、といっていちいち人形たちに挨拶をして回った。最後に、動くロボットを見たときには笑い転げていた。『ご先祖様』の滑稽な姿がいたく気に入った様だった。
充実した一日だった。レースはよく笑った。俺も笑った。人生で最高のデートだ。
夜遅くなって、家に帰り着くと、レースは着ていた服を脱いできれいに畳んだ。裸のレースは女神の様だった。そして、素肌にあの制服を身につけると、俺に言った。
「国連本部に行ってくる」
「戻ってくる?」
「戻る」
「気を付けろよ、軍隊がいるぞ」
「大丈夫だ」
レースは出て行った。
俺はテレビを点けっぱなしにしておいた。レースがニューヨークの国連本部に着けばたとえ夜中でもニュースが流れるだろう。
レースがどうやって移動しているのかは知らないが、それから間もなく、国連本部前からの中継が始まった。国連本部を守っていた軍隊はすでに砂と化していた。カメラは堂々とした態度で建物に入っていくレースの後ろ姿を映していた。会議場内のカメラに切り替わり、しばらくして、壇上にレースが現れた。ちょうど何かの会議が行われていたのだろう、席にはすでに各国の代表が座っている。レースが口を開いた。
「わたしはお前たちの中に、わずかな光を見いだした」
レースは日本語で話し始めた。
「ほんの僅かではあるが、本質を理解している者もいる、ということだ」
会議場は静まりかえっている。
「わたしは、全人類の十パーセントを残すことにする」
会議場がざわめきだした。
「生き残った者が道を誤らなければ、再び繁栄できるだろう。やがては宇宙連合の一員になれる日も来るかも知れない。だが、道を誤れば、その時はわたしが人類を絶滅させる」
レースの話が終わると、会議場は大騒ぎになった。みな十パーセントの選び方を知りたがっていた。政府高官に優先度があるかどうか、とか、優遇される国はないのか、とか、そんな下らない事だ。
その光景を見ながら俺はつぶやいた。
「だから言ったろう。人間なんてそんなもの。自分が生き残れるかどうかが目下の関心事、ってね」
寝ていたベッキーが不思議そうにこちらを見た。
その時、テレビの中のレースがまた口を開いた。
「すでに十パーセントの人選は終わっている。常識ではなく、本質を知る者たちだ。不要な九十パーセントの駆除は近日中に行われる」
会議場はまた大騒ぎになった。しばらく間をおいて、またレースが話し始めた。
「生き残った者たちはそこで安堵してはならない。本質は何かを常に考え、自然を、地球を、宇宙を、そして自分たちを繁栄させよ。常にわたしが見ていることを忘れるな」
レースは誰の質問にも答えず、会議場から出て行った。
人類の総人口が七億人ほどになった今も、生活のインフラは生き残った。都市部では、電気、水道、ガス、電話などはほぼ使えたし、インターネットも生きていた。テレビ放送もチャンネル数は減ったものの放送自体は行われていた。その代わり、交通網のかなりの部分は廃棄された。高速道路、鉄道、飛行場などだ。もちろん、原子炉はすべて停止している。
俺は百姓になった。耕すべき土地は有り余っていた。室内犬だったベッキーも今では外を自由に走り回っている。
俺は日の出とともに野良仕事に出かけ、夕暮れに戻る。井戸水で手足を洗って、家に入る。
「おかえり」
レースが針仕事の手を止めて迎えてくれる。
「ただいま」
幸せそうなレースの顔を見る限り、今日も人類は安泰だ。
人類測定器 風来 万 @ki45toryu
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