道化師の弟子

「ふん、もう目を覚ましたか。亜人には『昏睡の瞳』の効きが悪いようだ」


 ハンノが鼻を鳴らすと、イリーナはさらに声に力を込めた。


「ここの修道士の人たちは、今までずっと私の面倒を見てくれたのよ。両親のいない私がこの年まで飢えることがなかったのも、読み書きができるようになったのも、全部ここの人たちのおかげなの。そんな私の恩人たちを、貴方はなんの躊躇もなく殺したのよ」

「そうだな、お前をその年まで育てることができたのは、俺みたいな剣奴から搾取する金があったからだ」

「だからといって、修道士の人たちを殺してもいいっていうの?」

「ずいぶんとよくさえずるエルフだな。やはりこいつは『黒の森』で殺しておくべきだったんじゃないか、カースロン?」


 昔の名を呼ばれ、かっとエギルの頭に血がのぼった。きつく唇を噛み、ハンノに指を突きつける。


「黙れ!お前はなにかと理由をつけて、自分の殺意を正当化しているだけだ。どういう理由があろうと、これ以上の殺戮は許さん」

「お前に許してもらう必要などない!」


 ハンノは脱兎のごとく駆け、弯刀を横に薙いだ。エギルは素早く後ろに飛び退いて避ける。少し足元がよろめいた。エギルももう若くはない。しかも白狼隊を離れて久しく、いまだ現役の戦士であるハンノとは体力に大きな差があった。しかしハンノは不思議とエギルを追わず、後ろにさがってイリーナの首元に刃を突きつけた。


「人質にする気はなかったんじゃないのか」

「気が変わった。まずはお前が泣き叫ぶところを見たくなった」


 イリーナの前に立ちはだかったハンノは、大きく弯刀を振りかぶる。


「やめろ!」


 エギルの手から四本の飛刀が放たれた。それを予見していたかのように、ハンノは素早く身体を回転させ、飛刀を避ける。十字架に飛刀が突き立つ音が、薄闇の中に響いた。


「ふふ、愚かな。自らの手でエルフを屠った気分はどうだ?」


 舌で唇を湿らせ、獲物を前にした猛禽のようにゆっくりとハンノが歩み寄ってきた。


「そうだな、最高の気分だ」

「ほう、ずいぶんなことを言うな。お前も結局、俺の同類だったというわけか」


 その時、ハンノの背後ではらりと縄がほどける気配がした。


「風のシルフ、疾風の息吹であの人の背を押して」


 歌うような声があたりに響き、イリーナの両手が繊細な動きをした。すると、突然エギルの背に一陣の突風が吹きつけた。その風に押され、エギルの籠手から伸びる二本の刃がハンノの胸を深々と刺し貫いた。


「ばかな……さっきの飛刀で縄を切っただと?」


 口から血を吹き出し、ハンノは喘いだ。


「お前の戦い方など、私はすべて知っている。白狼隊士なら、標的の死くらい確かめておくべきだったな」

「ふん、最後の最後で抜かったか……だが、俺にはわかる。こうして俺を手にかけ、お前の血が喜びで滾っているのがな」


 そう言われ、エギルは思わず顔をそらす。


「どこまで行っても、俺たちはしょせん人殺しなんだ。その血塗られた手で、あの娘を守れるなどと思うな」


 言いたいことをいい終えると、がくりとハンノは首を横たえた。事切れたハンノの胸から刃を引き抜くと、エギルは床にへたりこんだ。


「大丈夫か?」


 力なくうなだれるエギルに、レヴィンが声をかけた。エギルは床に目を落としたままつぶやく。


「確かに、あいつの言うとおりなのかもしれません。ノストマルクのためとはいえ、私は多くの人の命をこの手で奪ってきた。そんな私がイリーナに笑顔を取り戻そうなどと考えること自体、思いあがりだったのでしょう」

「それは違うわ」


 エギルが驚いて顔をあげると、イリーナがそばまで歩み寄ってきていた。


「貴方に戦う力があるからこそ、私を助けることができたんでしょう?」

「それは、そうだが……」

「エギルさんは二度も私の命を救ってくれたんだから、あまり落ち込まないで」

「しかし、今回は君の助けがあったからこそ、ハンノを倒すことができたんだ。私一人の力じゃない」

「そう、それが嬉しかったの」


 イリーナの口元に笑みが浮かんだ。今までの儚げな印象が影をひそめ、顔中に活力がみなぎっていた。


「レヴィン、イリーナを見て」


 ミラがそっとレヴィンの手を握ってきた。ミラの全身には、どこにも悲愴の霊光オーラが見えない。


「嬉しいって、どういうことなんだい?」

「私、いつも修道院の人たちに気を使ってもらってばっかりだったし、私にかかわる人達がいつも悲しそうだったから、気が重かったの。なんだか私がみんなの重荷になってるみたいで。エギルさんも碧色の衣をまとってたしね。でもさっき、はじめて人の役に立てた」

「碧色の衣?」


 イリーナの口から出た思わぬ言葉に、レヴィンは目を見開いた。エギルはなんのことだかわからない様子で、ぽかんと口を開けている。


「ええと、もしかしてキミには悲愴の霊光オーラがみえるの?」


 ミラが問いかけると、イリーナが真顔に戻った。


「そう。私に話しかける人たちの霊光オーラが見えちゃうから、なんだか私のせいでみんなを悲しませてるんじゃないかって、気がふさいでしまって」

「そうなんだ。人の心がみえるのも大変だしね」


 イリーナの過去を知る修道士たちは、自然と悲愴の霊光オーラをまとってしまっていたのだろう。イリーナの憂いを晴らそうとやってきたエギルもそうだったのだから、イリーナが笑えるはずがなかったのだ。


「でも、エルフなら皆、その力があるわけじゃないんだろう?」

「そうね、修道士の人たちに聞いたり書庫で調べた限りでは、エルフに霊光オーラを見る力があるわけではないらしいの。ただ……」


 レヴィンの問いに少しためらう素振りをみせてから、イリーナは言葉を継ぐ。


「太古のエルフの中には精霊王と契ったものもいて、精霊の血を引いているエルフは精霊の力の一部を使えたという伝承があるのね。時代が下るほど精霊の血が薄まって力も弱くなるけど、まれに精霊の力が強く発現するものも生まれる。ただ、私のこの力が精霊由来のものかまではわからないんだけれど」

「精霊の力……か」


 レヴィンは脇に立つミラを見やった。今までどこか妖精めいた顔立ちだと思ってきたが、ミラの半透明の橙色の髪を見ていると、彼女が精霊の血を引いていると言われても信じたくもなる。


「まさか、僕と同じ力を持つ人に会えるとは思わなかったよ」

「え、あなたも魂の三枚目の衣がみえるの?」

「うん、イリーナは最初会ったとき、とても辛そうにみえた。でもそれは自分のことで辛いんじゃなくて、人の悲しみが見えるからだったんだね」

「なんだ、私の心も見られてたのか……なんか恥ずかしいな」


 イリーナは照れくさそうに笑い、わずかに白い頬を染めた。


「でも、貴方は普通の人間にしか見えないわよね」

「ところが、彼女には不思議な力があるんだ。──レヴィンさん、話してもいいですか?」


 エギルがレヴィンに顔を向けると、レヴィンは無言でうなづいた。


「実は昨日、彼女の髪で私の悲しみを吸い取ってもらったんだ。それまでずっと過去のことで思い悩んでいたんだが、急に心が軽くなってね。あれは実にふしぎな体験だったよ」

「悲しみを、吸い取る……悲しみ喰らい?」


 イリーナは額に指を二本押し当て、なにか考え込んでいる様子だ。


「ラサーナの書庫で見かけた詩篇に、そういう言葉が書いてあった。『天の台座』モレシア山の麓にはそう呼ばれる女性の癒し手がいて、多くの人が彼女たちの元を訪れていたそうだけど、本当なのかはわからないわ」

「いや、そのことを知れただけでもかなりの収穫だ。マーセラスにいたのでは決して知ることのできなかったことだからな」


 レヴィンの顔に喜色が浮かんだ。ミラのような力の持ち主は魔女というより、癒し手と呼んだほうがはるかにふさわしい。


「あなたはミラがどうしてその力を使えるのか知りたいのね?」

「ああ、そうだ。そのためにナルヴァに向かおうとしてるんだが、ここで手がかりが得られるとは思わなかった。礼を言うぞ」

「私は自分のことを知りたかっただけよ。でも、お役に立てたなら嬉しいわ」

「ねえレヴィン、僕はその『悲しみ喰らい』なの?」

「まだそうと決まったわけじゃない。調べなくてはいけないことはまだまだ多い。だが、謎の解明に向けて大きく一歩前進したといえるな」


 レヴィンがそう言うと、ミラの顔がぱっと明るく輝いた。


「うらやましいわね。私にもその力があれば、私を見て悲しむ人たちを楽にしてあげられたのに」

「イリーナは、僕みたいに悲しみを吸い取れるわけじゃないの?」

「そう、私にはただ魂の三枚目の衣が見えるだけ。見えていてもどうにもできないのは、けっこう辛いものよ」

「そうか……僕とは違うんだね。でも、辛そうな人を慰めたり、励ましてあげることはできるんじゃないかな」

「誰かを、慰める……」

 

 イリーナは驚いた様子で、ミラの顔を正面から見すえた。


「私、今まで自分のことばっかりで、そういうふうに考えたことがなかった。この力を誰かのために使う、っていう発想が浮かばなかった」


 何度も一人うなづくと、イリーナはエギルの方をふり向いた。


「ねえエギルさん、ちょっとお願いがあるんだけど、いい?」

「あ、ああ、もちろん。私が力になれるようなことだといいんだが」


 困惑気味に答えるエギルに、イリーナは微笑んでみせた。彼女のおもてを覆っていた暗い影は、もうすっかり吹き払われてしまったようだ。




 





「ええと、これでいいのかな、それっ」


 翌朝、孤児院の中庭に出ると、レヴィンの目の前でエギルが空高くイリーナを放り投げたところだった。イリーナは空中でくるりと一回転すると、エギルが突きあげた掌のうえにふわりと着地する。どうやら風のシルフの力を借りているようだ。


「すごい!もうぴったり息があってるね」


 ミラが感嘆の声をあげた。レヴィンは昨日、エギルがイリーナとの見事な連携でハンノを倒したことを思い出した。思えばあの時点ですでに、この二人は相性が良かったのだろう。


「いやあ、参りましたよ。まさか私に弟子入りさせてくれなんていう子がいるとは思いませんでしたからね」


 エギルはイリーナを地面へおろすと、額の汗をぬぐった。


「シルフの風を使った大道芸は初めて見たが、なかなか様になっているようだ」

「そうですか、それならいいんですが。何しろ私もこんな芸は初めてですからねえ」

「楽しそうで何よりだな」

「楽しいものですか。私にはシルフの姿は見えないし、いつあの子が落ちやしないかと心配で心配で」


 そう言いつつも、エギルは顔をほころばせた。


「イリーナは人の役に立ちたかったんだね」


 そう言いつつ、ミラはそっとレヴィンの手を握ってきた。もうふたりの身体には、悲愴の霊光オーラを見て取ることはできない。


「魂に碧色の衣をまとう奴がいるのなら、芸の力で取り払ってやる、ってわけか。頭は使いようだな」

「残念だったね、レヴィン」

「残念って、何がだ」

「レヴィンはエギルさんといいコンビが組めると思ってたけど、イリーナの方が合ってるみたいだし」

「あのな、どうして俺が道化師にならなきゃいけないんだ」

「う~ん、レヴィンには人を笑わせる才能があると思ったんだけど……」


 小さくため息をつくと、レヴィンは憮然とした表情になった。


「いいかミラ、俺の仕事は赤の他人を笑わせることじゃない。お前さえ笑えるようにできれば、それでいいんだ」


 心の底からな、とまでは言わずにおいた。ミラは笑顔を絶やさない子だが、彼女が本当に心から笑えているのかは、まだわからない。


「へえ、レヴィンもそういうこと、言うことがあるんだね」

「どういう意味だ?」

「なんでもないよ」


 ちろりと舌を出すと、ミラは悪戯っぽい笑みをみせた。


「雨降らしのエギル、か」


 はるか東のハイナムでは、雨乞いの祈祷を行って民を旱魃から救う道士がいるという。あの男とイリーナなら、民の乾いた心に恵みの雨を降らすことができるだろうか──などと思いつつ、レヴィンは二人に別れを告げて歩き出した。

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