ふたりの白狼

 翌朝、イリーナは孤児院から姿を消していた。朝早くから修道士が皆で手分けして探していたが、イリーナの姿はどこにも見当たらない。


「こちらにはイリーナは来ませんでしたか?」


 宿坊の寝室にまでゲルダは入ってきた。両の手で頬を叩き、眠気を覚ましてからレヴィンは答える。


「いや、ここには来ていない。昨日この建物のそばの林で見てから、それっきりだ」

「えっ、昨日彼女を見たのですか」


 レヴィンは昨日エギルと交わした会話の内容と、それをイリーナに聞かれていたことをゲルダに伝えた。ゲルダは顔をこわばらせ、再び口を開く。


「そうですか、あの賊の名はハンノ……実は、ラルカスも昨日から姿が見えないのです」

「ラルカスとは、昨日見かけた浅黒い肌の修道士か」

「ええ、修道院の書庫を管理している者の名です。彼は元白狼隊士だと名乗っていましたから、彼がハンノなのでしょう。ただの賊があれほどまでにすさまじい戦いができるとは思えませんから」


 やはりエギルの言ったとおりだった。ハンノは白狼隊を辞めたあと、ラルカスと名を変えてこのラサーナ修道院で働いていたのだ。


「しかし、これはどうにもまずい。イリーナとハンノが同時に姿を消したとなると、二人は同じ場所にいる可能性もある」

「ハンノがイリーナをさらったと言うのですか?」

「大いにあり得ることだ。手下を失ったハンノが形勢を立て直すには、イリーナを人質に取るのが有効だろう」

「だとしても、二人の行方が知れないことには……」

「レヴィン、僕にはイリーナの居場所はだいたい見当がつくよ」


 ミラの頭頂の髪がぴんと立ち、それから北東の方角を指した。


「ミラさんはなにかご存知なんですか?」

「ああ、いや、この子はときどき失せ物や迷子の場所を夢に見ることがあるんだ。ミラ、イリーナは夢の中ではどこにいた?」

「はっきりとはわからないけど、たぶんラサーナ修道院の地下のどこかじゃないかと思うよ」


(そこに、イリーナの悲しみを感じ取ったんだな)


 レヴィンはそう直感した。


「その話、信じていいのですね」

「今は他に手がかりもない。ラサーナの地下には何がある?」

「書庫と食料の貯蔵庫があります。まずは行ってみましょう」


 武人らしく、ゲルダは決断が早い。ラサーナに向かい駆け出したゲルダの後を、レヴィンとミラは追いかけた。エギルもすぐ後を追ってきた。


「たぶん、こっちの方だと思う」


 階段を地下へと降りると、ミラは橙色の髪の毛が指し示す方向を指さした。薄暗い廊下の左手の扉をゲルダが開くと、その向こうには分厚い本がみっしりと詰まった書棚がずらりと並んでいた。

 書棚の間を歩き、ミラが管理人の机を見つけたが、そこには誰も座っていない。ハンノがいないのだから当然のことだ。


「ミラ、なにか感じるか」


 レヴィンはミラの耳元に小声でささやきかける。


「うん、ここの奥に悲愴の霊光オーラを感じるんだけど……」


 ミラは机の右隣の書棚を指さした。その様子に、ゲルダは怪訝な表情になる。


「以前、この修道院は土竜族モーリアの遺跡の上に建てられていると聞いたことがあります。ですが、この書庫の近くにそれがあるかはわかりません」

「最近ラルカス、いやハンノにおかしな様子は見られなかったか」

「いえ、特には。ただ、この修道院は万が一のために、身を隠すための場所があるとは聞いています。上層部の者しか正確なことはわかりませんが」

「しかし、今は院長に真相を訊く時間も惜しい。なにか手がかりはないものか」


 その時、レヴィンの頭をある考えがかすめた。


「その机と椅子を、ちょっと脇にどけてみよう」


 レヴィンはエギルと協力し、管理人用の机と椅子を動かした。すると、エギルが息を呑む気配がした。


「この床にはなにかを引きずったような後がありますね」

「おそらく、隣の書棚だろう。こちらに押してみよう」


 レヴィンの言葉を受け、エギルが書棚を机のあった位置まで押すと、その背後から重々しい石の扉が姿を現した。


「こんなところに隠し通路が……この奥にハンノがいるのか」

「今は先を急ぎましょう。イリーナになにかあってからでは遅いですよ」

「そうですね、私もともに参ります」


 杖を握る手に力を込めるゲルダに、エギルが顔を向ける。


「いえ、ゲルダさんはここに残ってください」

「なぜです?私も修道士として、同僚のしたことを見逃すわけにはいきません」

「いえ、これはハンノと私の間の問題なんです。奴のことで、貴方にまで迷惑はかけられません」

「私は迷惑などとは思っていないのですが」

「いや、俺も貴方はここに残ったほうがいい思う。ハンノの手下がまたここを襲撃してこないとも限らないし、修道士たちも貴方がいてくれたほうが心強いはずだ」


 レヴィンにも言われ、ようやくゲルダは納得したようにうなづいた。


「む……こいつはなかなか重いな」


 レヴィンが取っ手をつかみ、左へと引くと、重々しい音を立てて扉が開いた。その先には、ゆるい傾斜のついた洞窟がくろぐろと口を開けている。


「神の灯火よ、我が行く手を照らし出せ」


 掌の上にまばゆい光球を呼び出すと、その灯りを頼りにレヴィンは洞窟の奥へと踏み出した。エギルとミラもその後に続く。小石につまづかないよう慎重に歩を進めると、やがて地面は石畳の床へと変わり、通路の壁面にはさまざまな得物を持ち行進するずんぐりとした体躯の人々がびっしりと刻印されていた。


(これが土竜族モーリアの残したレリーフなのか)


 そんな雑念を振り払いつつ歩くうち、レヴィンは広々とした部屋へと出た。部屋の隅には細かな木彫を施されたベッドが六床ほど置いてあり、床には幾何学模様の刺繍された豪奢な絨毯が敷いてある。どうやら、ハンノは手下の賊とともにここを隠れ家にしていたらしい。

 中央のテーブルの上の燭台には火が灯り、椅子に腰掛けている男の顔を不気味に照らし出している。組んだ手の上に載せた浅黒い顔の中央で、糸のように細い目がこちらを見据えていた。


「ようこそ、王者の館へ」


 男は立ち上がると、大仰な仕草で両手をひろげた。先日の黒装束とは違い、今は黒と赤の縦縞の入った派手な胴衣を身につけている。背には緋色のマントを垂らし、地味な顔立ちと不釣り合いなほどに派手な出で立ちだ。


「いったいどういうつもりなんだ、ハンノ。イリーナはどこだ」


 エギルが焦りを含んだ声をかけると、ハンノが左へ顎をしゃくった。


「あれを御覧じろ」


 エギルは目を見張った。闇の中へ目を凝らすと、そこには木の十字架に縛りつけられたイリーナの姿があったのだ。意識を失っているのか、イリーナは力なくうなだれ、目を閉じたままだ。


「イリーナ!」


 上ずった声で叫ぶと、エギルはハンノのそばへ歩み寄る。


「あの娘は度胸だけはここの修道士よりよっぽど上だ。あいつらが皆腰を抜かしている間に、一人で俺を追ってきたんだからな」

「なぜ、彼女にお前の居場所がわかった?」

「シルフに風の通り道を訊いたとか言っていたな。精霊の力を借りて俺と戦うつもりだったようだが、ちょっと睨んでやったらあのざまだ」


 ハンノは縛られたまま眠っているイリーナに顔を向けた。


「昏睡の瞳を使ったな?年端もいかない娘に呪法をかけるとは」


 エギルの詰問に、ハンノは薄笑いで答えた。


「おや、お前らしくもない。白狼隊の者なら、相手の力量は正確にはからなければな」

「イリーナに何ができるというんだ」

「エルフの力は侮れない。この俺を入隊試験で倒したのも『黒の森』のエルフだった。そして俺の職を奪ったのもな」


 ハンノは椅子から立ち上がり、手刀で首の前を斬る仕草をした。エルフに負けたので馘首かくしゅされた、と言っているのだ。


「だが、イリーナはまだ子供だ。そのエルフとは違うだろう」

「そうだ。だからこそ、俺の瞳の力でたやすく戦闘不能にできた」

「そして、人質にしたということか」

「勘違いするな。あの娘にはお前が死ぬところを見せたくないだけさ」

「思い上がるな。お前などに私を討てるものか。死ぬのはお前の方だ」


 エギルが満面に怒気をみなぎらせると、ハンノは気圧されたように数歩後ろへさがった。


「いいぞいいぞ、白狼隊士はそうでなくてはいけない。所詮、俺たちは人殺しなのさ。王のいぬとして、逆らうものを牙で噛み裂くけだものなのさ」

「なぜ、ここの修道院を襲った?お前はここで働いていたんだろう」

「お前の姿を遠目に見て、ひさびさにお前と戦ってみたくなってな。修道士共をほふれば、お前は俺を止めに来るだろうと思った」

「ただそれだけのために修道士を殺したのか!」

「お前も知ってるだろう?俺はもともと剣奴の出身だ。誰かをこの手にかけなければ、生きている気がしない。本の山に埋もれる暮らしなど、拷問に等しい。お前だってそうじゃないのか?道化師の化粧の下に、狼の素顔を隠しているだろう」

「今の私はただの道化だ。しかし、お前を葬るため、今一度だけ獣に戻る」


 エギルは振り返ると、背後に控えるレヴィンとミラを見据えた。


「どうか加勢は控えてください。これは奴と私の間の問題です。白狼隊士の成れの果ての始末は、元白狼隊士の私がつけなくてはなりませんから」


 レヴィンが無言でうなづくと、ミラが心配そうな目をむけてきた。


「エギルさん一人に戦わせてだいじょうぶなの?」

「まずはあいつの好きにさせてやろう。危なくなったら俺たちが助けに入ればいい」


 そう言葉を交わすうち、エギルの胴衣の袖口から二本の刃がのぞいていた。ハンノがゆったりとした動作で弯刀を抜き放つ。エギルが素早く右の刃を突きこむと、ハンノはそれをわずかに首を傾けただけでかわした。続いて襲い来る左の刃は刀で弾き返す。

 ハンノが攻勢に転じ、エギルの頭上を弯刀がかすめる。身をかがめたエギルの腹に、今度は蹴りが飛んでくる。しかし素早く飛びすさるエギルには当たらない。互いの手の内を知りつくした二人の戦いは、数十合も切り結んでも決着はつかなかった。

二人は少し距離をおいて対峙し、呼吸を整える。


「なあカースロン、どうしても俺を倒さなければ気がすまないか?」

「当然だ。お前は生きている限り、隷従の呪法でこのあたりの賊を手下にし、罪もない人々を殺し続ける。私にはお前の暴走を止める義務がある」

「そう言うがな、俺は殺す以外に生きるすべを知らないんだ」


 ハンノは悲しげに細い目を伏せた。


「俺はタロイムの呪術師の家に生まれた。部族同士の闘いで十二の時に捕虜になった俺は、奴隷として売られ、この国にやってきた。剣奴として糊口をしのいでいるうちに白狼隊士の目にとまり、この肌を持つものとして初めて隊士に取り立てられた。白狼ばかりの群れの中に、黒狼が一匹放り込まれたんだ。でもあそこの連中は、俺を拒みはしなかった」


 己の浅黒い顔を指さすハンノを前に、エギルは怪訝そうな顔をした。


「それがどうした?今さら同情でもしろというのか」

「俺は嬉しかったのさ。タロイムの黒鬼と蔑まれてきたこの俺が、初めて認めてもらえた。白狼隊なら反体制貴族の喉を掻き切っても、風刺詩を作る犬戎を拷問しても、むしろそれこそが名誉になった。俺は殺しの腕で陛下のお役に立ちたかった。だからこそ『黒の森』も焼き払った。白狼隊なら、強ければ肌の色で蔑まれなくてすむ。もうすれ違いざまに罵られることも、唾を吐きかけられることもなくなった。俺の居場所は、白狼隊にしかなかったんだ。それなのに、なあ、俺を解雇するなんてひどすぎるじゃないか」


 ハンノの語りが哀調を帯びてきた。黙り込むエギルに向けて、ハンノはさらにたたみかける。


「たしかに、俺は人殺しかもしれない。だが、ノストマルクの連中は人殺しではないとでもいうのか?俺は王都で六年間、剣奴として戦い続けた。俺が竜鱗人スクウェイマ犬戎けんじゅうやアズハムの黄色い肌の連中と殺し合いをしているのを、あいつらは観客席で楽しんでいたんだ。自分で手を汚さずに殺し合いをさせる連中のほうが、直接殺す俺よりも上等なのか」

「だが、お前の殺した修道士たちは無実だ」

「無実だと?この修道院に寄付される金の大部分は、もともとノストマルク貴族のものだ。奴らの中には剣闘試合の興行主に出資してる連中もたくさんいる。俺に殺し合いをさせて儲けた金が、ここの辛気くさい連中の飯になり、衣服になり、装身具になる。修道院長さまの部屋には銀の燭台がいくつある?壁に掛けられている聖画の絵師にはいくら払ってるんだ?」

「それは……」

「結局、ここの連中は、あこぎな商売で儲けた金にたかる蟻みたいなものだ。蟻の一匹や二匹踏み潰すくらい、なんの問題がある?むしろノストマルクの害虫を駆除してやっている俺のほうが称賛されてもいいくらいだろう」

「それは違うわ!」


 ほの暗い空間を割くように、鋭い声がハンノの背後から飛んだ。エギルが驚きに目を丸くすると、その視線の先には十字架に吊るされながらハンノを睨みつけているイリーナの姿があった。

 

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