エギルの過去

「状況をもっと詳しく聞かせてくれないか」


 血相を変える修道士を落ち着かせるよう、レヴィンは努めてゆっくりと話した。


「賊の数は十人ほどですが、おかしな呪法を使う者もいてかなり手強いのです。ゲルダ様を先頭に腕に覚えのある修道士たちが応戦していますが、いつまで対抗できるか……」

「わかった、今から俺も加勢しよう。ミラはここで待て」

「そんな、僕も戦うよ」

「ミラ、ここは聖域だぞ。いくら現国王が亜人に寛容だとはいえ、お前の戦いぶりを聖職者にみせてはまずい」


 レヴィンが小声で言うと、ミラは不満そうに唇を噛んだ。彼女がいれば戦力としては心強いが、髪を振り乱して戦う姿を見られて魔女扱いされてはどうにもならない。


「無理しちゃだめだよ、レヴィン」

「ああ、わかってる。武装書記官はもともと魔獣の観察と報告が仕事だ。勝てない戦いはしない」


 微笑むと、レヴィンは急いで山道を駆けのぼった。脇に立ち並ぶ商店からも釜だの火かき棒だの、それぞれの得物をたずさえた町人たちが飛び出してくる。かれらがこうして修道院の窮地を救おうとするあたり、よほどラサーナの修道士は町人に支持されているらしい。


「不届き者め!」


 ラサーナ修道院の正門の前では、ゲルダが鋭い気合とともに賊の腹部に棒を突き込んでいた。賊は焦点の定まらない視線を虚空に向けると、剣を取り落とし地面に転がる。

 剣をつかもうとする賊の手が届くまえに、レヴィンは剣を遠くへ蹴り飛ばした。


「ご助力感謝いたします」

「困った時はお互いさまだ。一宿一飯の恩を忘れるほど、マーセラス人は薄情じゃない」


 軽く微笑むと、ゲルダは雄叫びをあげて次の賊に打ってかかった。辺りはすでに騒然としていて、あちこちから剣戟の響きが聞こえる。賊の動作は妙に緩慢で、中には町人に取り囲まれて鍋やら天秤棒やらで叩きのめされるものもいる。しかし妙なのは、手傷を負っても賊が苦痛の声をあげないことだ。恐れは感じていないようだが、しだいに賊は劣勢に追い込まれているようにみえた。


(俺が来るまでもなかったか)


 見回すと、修道士たちはさすがにゲルダの指導が行き届いているとみえて、棒を振るって賊を相手に善戦していた。ゲルダ自身もさらに二人の賊を打ち倒すが、やはり賊はうめき声一つあげない。そうこうするうち、賊はすでに残りわずか一人となっていた。さすがに俊敏な動きを見せ、剣舞でも舞うように同時に三人と渡り合ってい。るその賊がどうやら首領らしい。


「ふん、使えない奴らだ。あれだけ麻黄を嗅がせてやったのに」


 賊の首領は、大口を開けた獅子の仮面の奥から威圧的な声を発した。黒装束を着込み、弯曲した剣を構える男の立ち姿は、中原諸国の剣法とは異なるもののように感じられる。


「いい加減観念なさい。おとなしく剣を捨てて降参するなら、命までは取りません」

「ふん、この俺が命乞いなどすると思うのか」


 声に凄味を利かせると、首領は意味の取れない言葉をつぶやきながら、宙に指でくろぐろとした線を描いていく。指の軌跡が数匹の蛇がのたうつような紋様をを形作ると、急に首領の全身から黒煙が噴き上げ、その身体を包み込んだ。


「あれはタロイムの呪術、黒死斬です!皆さん、後ろに気をつけて!」


 どこからともなく、緊迫感にみちた声が飛んだ。次の瞬間、黒煙が弾け飛び、修道士たちの背後にいくつもの黒い影が迫った。

 五人の首領が修道士の首元に刃を当て、横に引いた。四人の修道士の首から鮮血がほとばしり、見ていた者たちの間からかすれた悲鳴があがった。かろうじて首領の刃を逃れたのはゲルダだけだった。


「こんなところにいたのか、あいつは……」


 レヴィンの脇で驚愕に目を見開いているのは、エギルだった。今は道化師の衣装から質素な胴衣に着替えている。


「あの男を知っているのか」

「その話はあとにしましょう。今は奴を止めなければ」


 エギルが表情を固くすると、五人の首領がゆらりと動いた。腰を抜かして動けずにいる修道士たちを尻目に、じりじりとこちらへ迫ってくる。


「ゲルダさんとレヴィンさんは動かないでください。ここは私が」


 エギルは一度腰を沈めると、空高く跳躍し、宙で身体を回転させた。次の瞬間、四人の首領の首に飛刀が突き立ち、彼らは黒い霧となって消え去った。残る一人だけがエギルの放った飛刀を弯刀で叩き落としていた。


「やはりお前か、雨降らしのカースロン」


 首領が仮面の下で愉しげに笑った。その名を聞いたとき、ゲルダの顔が凍りついた。


「カースロン……エギルさん、まさか貴方が?」


 その問いには答えず、エギルは拳を握り、拳闘の構えをとった。素早く踏み込み、右の拳を突き出すと、首領の顔に向けて袖口から短い刃が伸びた。


「飛び道具に暗器と、あいかわらず大道芸みたいな戦い方が好きらしいな」


 すんでのところでエギルの攻撃を避けつつ、首領はなぶるように言う。


「今の私は本物の道化師なのでね」

「ふん、いくら上辺を取りつくろったところで、本心までは誤魔化せんぞ」

「私が何をごまかすと言うんだ」

「お前、今、戦いを楽しんでるだろ?本当はその刃で、もう一度戦場に血の雨を振らせてみたいんじゃないのか」


 刃の打ち合う金属音を響かせながら、二人は言葉でも応酬を続けていた。


「違う!そんなことは決して」


 動揺したのか、エギルの刃は空を切った。首領は数歩後ずさりすると、また宙に指で怪しげな紋様を描き出す。


「腑抜けたか。この程度で動揺するお前じゃなかったはずだがな」


 仮面の奥から哄笑を響かせ、首領は続ける。


「お前に会えたのは僥倖ぎょうこうだったが、全力で戦えないのはつまらん。今度は本気で俺を殺すつもりで来い、カースロン」


 そう言うなり、首領の姿はしだいに輪郭が曖昧になり、周囲の薄闇の中へと溶けて消えた。がっくりと肩を落とすエギルの背中に、ゲルダが声をかける。


「お見事な戦いぶりでした。貴方の助力がなければ、犠牲者はもっと増えていたでしょう」

「ですが、私は彼を取り逃がしてしまったんですよ」

「貴方でなければ、あの男にあそこまで対抗できなかったでしょう、エギルさん。いえ、カースロンさんとお呼びするべきでしょうか」

「……聞かれてしまいましたか」


 エギルは曖昧に笑った。どこか自分を突き放しているような笑みだった。


「雨降らしのカースロン。確かに、白狼隊に所属していたころはそんなふうに呼ばれていました。飛刀の雨を振らせ、血の雨を降らす、そんな自分の力に酔っていたこともありましたね。今思えば愚かしい限りですが」

「白狼隊を辞めた理由を聞かせてもらえるか」


 今度はレヴィンが口を挟んだ。


「自分の仕事に誇りを持てなくなったからです。一四年前の森狩りの時、私も白狼隊の隊士として『黒の森』を焼き払うことを命じられましたが、大木の幹のなかの住居から火がついたように泣き叫ぶ赤子の声が聞こえたとき、私は初めて自分のしていることを恥じました。気がついたときには、私はその赤ん坊を燃え盛る炎の中から助け出していたのです」


 エギルの顔半分には、火傷の痕が残っていた。そのときに負ったものなのだろう。ゲルダの語っていたエルフの赤ん坊を助けた隊士とは、エギルのことだったのだ。


「もしかして、その赤ん坊がイリーナなのか」

「よくおわかりになりましたね。ええ、その通りです。白狼隊を辞めた私は、今度は人を殺めるのではなく、楽しませる仕事をしたいと思い立ちました。それなのに、この有様ですよ。結局、彼女には笑ってもらえなかった」


 エギルは肩をすくめ、ゆっくりとかぶりを振った。


(エギルの抱えていた悲しみとは、このことか)


 エギルは、イリーナの悲しい生い立ちを知っていた。エギルはイリーナを見るたびに、自責の念にさいなまれていたのだろう。一四年の時を経ても、ノストマルクの森狩りはエギルの心に濃い影を落としていたのだ。


「エギルさん、そのままだと悪い霊に取りつかれちゃうよ」


 レヴィンが急に背中越しにかけられた声に驚いて振りむくと、薄闇の中に半透明の橙色の髪がくっきりと浮かび上がっていた。ミラだ。


「ミラ、ここには来るなって言っただろう」

「でも、あまり三枚目の衣がぶ厚くなっちゃったのを感じたから……」

「三枚目の衣とはなんなのです、お嬢さん?」


 エギルはミラの前にかがみ込むと、力なく言った。


「それはここで話すにはちょっと差し障りがある。宿坊の近くまで降りてくれないか」


 レヴィンが周囲を見回すと、あちこちで修道士たちが仲間の傷の手当をしたり、怪我人を担架に乗せて運び込んでいくところだった。ゲルダは聖句を唱えながら掌から薄青色の光を発し、仲間の傷を塞いでいる。治癒の法術だ。


「それでは、参りましょうか」


 エギルは誰へともなく言うと、麓へ向かう坂道を真っ先に下っていった。




 ◇




「……なるほど、ではその子には私の背負っている悲しみが見えると」


 宿坊の周りに生えている林のそばに集まると、レヴィンはエギルにミラの能力のことを語って聞かせた。


「エギルさんはまだ大丈夫だけど、あまり悲愴の霊光オーラが大きくなると、下級精霊や邪霊が寄ってくるかもしれないの。あいつらは人の悲しみにつけ込んで自殺にい追い込んだり、正気を失わせたりすることもあるから、大きくなりすぎた悲しみは取り除いたほうがいいよ」

「それは困ったな。私はこの罪を償うまで死ぬわけにはいかない。でも、取り除くといってもどうやって?」

「ミラにはちょっと不思議な力がある。これからあんたが見ることを口外しないと約束してくれるなら、その悲しみを軽くしてやってもいい」

「もちろん約束しますとも。貴方には私の芸に協力していただいた御恩もある。それに、こんな気持を抱えたままでは芸にも身が入らないですからね」

「じゃあ決まりだな。少しじっとしていてくれ」


 ミラの髪がするすると伸び、エギルの全身に絡みついていく。ミラの橙色の髪が光を発し、血管のように脈打つと、エギルの表情がしだいに和らいでいった。


「これは不思議だ……まるで羽が変えたように、心が軽くなっていく」


 エギルがそうつぶやいた頃には、ミラはすっかり上機嫌そうな顔になっていた。たっぷりとエギルの悲しみを吸い、満足したらしい。


「ありがとう。ごちそうさまでした」


 ぺこりと頭をさげると、ミラは満面の笑みを浮かべた。


「ごちそうさまでした、とは?」

「この子があんたの悲しみを頂いたってことだ。これで、しばらくは楽になるだろう」

「でも、あんまり思いつめるとまた悲愴の霊光オーラが大きくなっちゃうからね。あまり深刻になっちゃだめだよ」


 ぽかんと口を開けるエギルの前で、ミラは念を押した。


「え、ええ、わかりました。確かに考えすぎてもいいことはありませんね。私は『黒の森』でイリーナを助けることができたのだから、それだけでも良かったと思うべきなのかもしれません」

「その通りだ。あんたは白狼隊の隊士として、できる限りのことをやったんだ」

「ありがとうございます。ただ、今気になるのはあの男のことです」


 エギルは表情を引き締め、声に緊張を滲ませた。


「あの仮面をかぶった賊の首領のことか」

「ええ、恐らくやつは白狼隊の私の同僚だった男です。二つ名は呪殺陣のハンノ」

「呪殺陣?」

「もともとはタロイムの剣奴でしたが、剣と呪法の腕前を買われて白狼隊に引き抜かれた男です。人の命など紙屑同然にしか思っていません」

「元白狼隊士がなぜここにいるんだ」

「エルフとの腕比べに負けたために解雇されたのです。ここで働いていることは、ゲルダさんから聞いて初めて知りましたが」

「そういえば、元白狼隊士が修道院の書庫で働いていると俺も聞いた。ということは、修道院内部からわざわざ騒ぎを起こしたのか……」


 亜人も人間同様に登用するベルンハルト3世の方針により、ハンノは白狼隊を出ていかなくてはならなくなったのだろう。しかし、今までおとなしく働いていたのに、なぜ今になって急に修道院を襲う気になったのか。


「何やらおかしな術を使って消えてしまったが、あいつは今どこにいると思う」

「それはわかりませんが、おそらくそんなに遠くへは行っていないでしょう。遁甲の呪法の持続時間はそれほど長くありませんから」


 だとすれば、一体どこに隠れ潜んでいるのか。まさかこの林の近くに身を隠していて、この会話も全て聞いているのではないか──とレヴィンが考えたその時、背後で草むらに誰かが踏み込む気配がした。

 振り向くと、そこには降りそそぐ月光を長い金髪に浴び、憂いに満ちた目をこちらに向けている少女の姿があった。


(──イリーナ!)


 レヴィンが声をかけようとした時には、彼女は背を向けて走り去ってしまっていた。

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