賊の襲来

「ねえ、これってどういうことなんだろう」


 ミラが小声で囁いてくる。


「自慢の芸で笑ってもらえなかったから落ち込んでるんじゃないか?」

「それだけで、あんなに悲愴の霊光オーラが濃くなるとは思えないよ。あれはかなり長いあいだ悲しみをため込んできた感じの濃さだよ」

「うむ……たしかに妙だ」


 道化師だけにエギルは表向きは陽気にみえるが、かなり大きな悲しみを抱え込んでいるらしい。人を喜ばせるのが商売のエギルにも、内に秘めた思いがあるのだろう。


「しかし、あの悲しみの正体が何なのかまでは、ここで考えていてもわからない。もう少し突っ込んだ話ができる仲になれればいいんだがな」


 レヴィンはしばらく首をひねっていたが、何か思いついたように目を見開くと、ゲルダを手招きして道なりに歩き出した。


「貴方は、エギルがいつから道化師をしていたのか知っているか」

「彼の過去については訊いたことがありませんが、道化師にしては折り目正しい話し方をすると感じることはありますね。そういう人だからこそ、イリーナの前に連れてきても安心だと思ったのですが」

「折り目正しい話し方──か」


 確かにエギルの話しぶりは滑稽だが、下卑たところは少しもない。道化師という者たちは庶民相手に笑いを取る商売だけにどぎつい冗談や艶笑譚えんしょうたんを得意とするものが多いが、エギルの芸は不思議と洗練されており、嫌な後味をのこさない。


「エギルさんについて、何か気になる点でも?」

「いや、彼はなにか悩みを抱えているのではないか、とミラが言うもので。あの子には勘の鋭いところがあって、ときどき人の心を正確に見抜く」

「そうなのですか。私は特になにも感じませんでしたが……」

「子供というのは意外と敏感なもので、大人の嘘や建前が通じないこともある。エギルの芸は見事なものだが、それでも笑えないとなれば、エギルの抱えているものがイリーナに伝わってしまっている可能性もある」

「笑えない原因はイリーナではなく、エギルさんの側にあるというのですか?」

「あくまでも憶測だ。ただ、イリーナだけを見ていても、彼女が笑えない原因はわからないかもしれないと思う」


 レヴィンは足を止めると、遠目にうなだれているエギルを眺めた。


「エギルさんがなにを抱えているのか、そこまでは私にはわかりません。ただ、我々の方でも、無理に彼女の心を開こうとしすぎているのかもしれません」

「無理に、とは」

「私たちは人間で、イリーナは亜人です。人間とエルフがわかりあえない、とは決して思いませんが、ノストマルクの人間たちが森狩りで大勢のエルフたちの命を奪ってしまったことも事実。私たちとイリーナとの間には、望んでも埋めがたい大きな溝があるという現実とも、向き合わなくてはいけないでしょう」

「だが、ノストマルクの現国王は森狩りは誤りだったと認めたはずではなかったか」


 ノストマルクの現国王・ベルンハルト3世は先王ゲオルグ2世に叛旗をひるがえし、これを打倒して王となった。ゲオルグ2世は東方のアズハム連枝国との戦争を継続するため国民に重税を課し戦費を調達していたが、国民の不満の高まりを受け、かねてから声望の高かったゲオルグ2世の甥のベルンハルトが挙兵したのだ。アズハム軍にも厭戦気分が蔓延していたこともあり、ベルンハルト3世は即位してすぐにアズハム連枝国と和平を結ぶことに成功した。

 以来、ベルンハルト3世は平和外交に努め、税負担も軽減させたため国力は増大しつつあり、賢王との評判が高まっている。「黒の森」のエルフとの融和もまた、先王ゲオルグ2世を弑逆して王となったベルンハルトのなすべきことであった。


「ええ、たしかに陛下は亜人の諸権利を認める方針です。今ではエルフでも、犬戎けんじゅうでも地霊ノームでも竜鱗人スクウェイマでも、市民権を取得することができるようになりました。しかしだからといって、人間と亜人との間の溝が十分に埋まったとはいえないのです」

「それでも溝を埋めようとするだけマシだ。マーセラスでは亜人は神の救いから漏れた種族とされ、いまだに見下されている」

「ここノストマルクでも、長いあいだ亜人は蔑視されてきました。ある意味、恐れられてもいたのでしょう。亜人は、人間にはない力を持っていることが多いですから。もっとも今は、陛下はその力を活かした国作りをなさろうとしているのですが」

「亜人の力を活かすとは、例えばどのように」

「白狼隊の隊士にも亜人を登用しておられます。これには隊士の反発も大きかったようですが、陛下は実際に亜人と人間の隊士を戦わせ、負けた隊士は容赦なく解雇しました」

「なるほど、現国王はなかなか開明的な王のようだ」


 レヴィンは心に安堵がひろがっていくのを感じていた。この国ならば、ミラはマーセラスよりも生きやすいだろう。ミラが何者なのかはいまだにわからないが、それでも亜人との共存をはかっている国に生きるほうが望ましい。


「ですが、この政策のためにかえって人間と亜人の軋轢が増えてしまった、という一面もあるのです。先の白狼隊の例のように、亜人に人間の席を奪われるようなことも起きていますからね。もっとも亜人の側から見れば、私たちが不当に独占していた職にようやく就けるようになった、ということなのですが」

「この修道院でも、亜人は働いているのだろうか」

「亜人にも聖職者への門戸は開かれています。ただ実際のところ、亜人は自然を崇拝するか精霊を信仰しているものがほとんどなので、この修道院へは入りたがらないのです。亜人に職を奪われた人間を受け入れたことならありますが」

「それはもしかして、白狼隊を解雇された者だったりするのだろうか」

「ご明察です。どうやら現世が嫌になったようで、あまり同僚とも交わろうとしないので、今は書庫の管理をまかせております」

「書庫の管理、か。王の特殊部隊を務めるくらいの腕前があれば、もっとふわさしい役目がありそうなものだが」


 ベルンハルト3世の政策は、この高地の修道院にも影響を及ぼしていた。その元白狼隊士は本の山に埋もれて本当に満足なのか、とレヴィンは不思議に思った。そのとき、ミラが小走りにこちらに向かってくるのがみえた。ミラはレヴィンの袖を引き、ゲルダから引き離す。


「レヴィン、なにをふたりで話してたの?」

「エギルの過去になにがあったのか知りたいと思ってな。結局、なにもわからなかったが」

「そうなんだ。実は、さっき話し忘れていたことがあるんだけど」

「何だ?」

「エギルさんだけじゃなくて、イリーナにも悲愴の霊光オーラが見えたんだ。エギルさんのほど濃くはなかったけど」


 言いよどむと、ミラは少し悲しげに顔を伏せた。


「イリーナもなにかを抱えていることは間違いないのか」

「うん、そうだと思う。どうしても辛いようなら、僕が……」


 そこまで言いかけたとき、レヴィンが唇のまえに人差し指を立てると、ミラは慌てて口をつぐんだ。


「イリーナがなにを悩んでいるのか聞き出せればいいんだが、それは難しいんだろうな」

「ええ、我々修道士にもなにも語ってくれないもので。せめてもう少し心をひらいてくれればいいのですが……」

「そういえば、ミラなら彼女の友達になれるのではないかと以前話していたと思うが」

「そうですね、やはり同年代のミラさんのほうがイリーナも話しやすいのではないかと思います。大人だと、どうしても警戒されてしまいますので」

「そうだな、ミラ、少し声をかけてきてもらえるか」

「うん、わかったよ」


 屈託のない調子でミラは答えた。そのとき、レヴィンは背筋にぞわりとした感覚を覚えた。振り向くと、背に荷物を背負った浅黒い肌の男がこちらに歩いてくるところだった。修道服に身を包んだ男はゲルダとすれ違いざまに目礼すると、そのまま去っていった。


「ゲルダ修道士、さっきの人は……」

「ああ、あれはラルカス修道士です。彼が先ほどお話した元白狼隊士です。返却の遅れていた本を回収してきたのでしょう」

「なるほど、ただ者ではないという気がしていたが、やはりそうか」


 レヴィンは先ほど感じた違和感を理解した。熟練した戦士特有の気を、ラルカスは放っていたのだ。

 レヴィンがミラを連れて孤児院へと戻ると、イリーナはあいかわらず椅子に腰かけたまま、壁に掛けられた聖画イコンをみつめている。


「ねえ、ちょっとお話しない?なんだか退屈そうだから」

「別に退屈なんてしてないわよ」

「でも、すごくつまらなそうにみえるよ」

「別に私の機嫌なんてとらなくていいから」

「そういうつもりじゃないんだけど……」

「じゃあどういうつもり?私は別に話相手なんて欲しくないし、貴方も私みたいなのと話してたってつまらないでしょう。そろそろ聖堂の掃除をしないといけないから、そこをどいて」


 親しげに声をかけたミラの好意をはねつけると、イリーナは仏頂面のまま席を立って出ていってしまった。


(こりゃあ、取り付く島もないな)


 どうしてこんなに頑ななんだろう、とでも言いたげに首を傾げているミラの横顔を眺めながら、レヴィンは思った。固く門扉を閉ざしたミラの心に入り込むのは容易ではないらしい。


「うーん……なんでお話してくれないのかな、あの子」

「お前が嫌われているとも思えないから、そもそもあの子は人間が嫌いなのかもしれないな」

「でも僕は……」

「ミラ」


 少し強い調子で言うと、ミラは首をすくめた。少なくとも表向きは、ミラは人間にしか見えないのだ。


森人アルフェン……神の救済に漏れた六種族のひとつ。上ゲール語ではエルフと呼称する。森の深部や高山などを住処とし、言葉とジェスチャーを用いて精霊と交信する力を持つものもいる。高慢で人間を見下しており、同族以外のものとは通婚しない。頑迷で自然崇拝に執着しており教化は困難と考えられる)


 イリーナを見たとき視界に呼び出された情報に、レヴィンは心の中で唾を吐いていた。まるでエルフのほうが人間を拒絶しているかのように言っているが、神の救済から漏れたなどと見下しているのはマーセラスの方だ。ここノストマルクでも、前王ゲオルグ2世は「森狩り」を行っている。ベルンハルト3世の時代になっても人間とエルフの断絶が解消されたわけではないことは、いまだイリーナの引き取り手が現れないという事実から明らかだった。


「人間とエルフの間の溝は簡単には埋められない。今はまだ、イリーナも心を開ける時期ではないんだろう」

「じゃあ、僕たちにできることはなにもないの?」

「ミラがずっとここに住めるなら話は別だが、そういうわけにもいかないからな」


 ミラは寂しそうにうつむいたが、やがてなにか思いついた様子でぱっと顔を輝かせた。


「そうだ、じゃあ神様にお願いしてみない?」

「お願い、か。せっかく聖域まで来てることだし、神頼みも悪くないだろう」

「うん、じゃあお山のてっぺんを目指そう!」


 レヴィンはミラに促され、ラサーナの礼拝堂目指して急峻な坂道をのぼっていった。幼子を抱きかかえる聖母の前で一心に祈りを捧げると、ふたりはまた宿坊へと戻った。

 宿坊の食堂で昼食のひよこ豆のスープを食べたあとは、宿泊室の書棚から民話の本を持ち出してミラに読み聞かせたが、あまりミラの心に響く話はないようだった。やがて日も暮れ、空に一番星が瞬き始めるころ、階下から慌ただしい足音がのぼってきた。


「皆さん、どうか今後は外出を控えるようにしてください。ラサーナの本堂を賊が襲ってきました」


 修道士は大きく肩で息をつきながら、声に焦りを滲ませた。

 

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