笑わない少女

 すっかり旅の疲れの取れたレヴィンはミラを連れ、朝早く宿坊を出た。修道士に孤児院の場所を訊いてあるので、その場所へと足を向ける。

 孤児院は、宿坊から少し坂道を登ったさきにあった。寺院というより小さな城塞にみえる建物の中へ足を踏み入れると、ちょうど中から出てきたゲルダと目があった。


「おや、さっそくこちらにおいでくださいましたか」


 ゲルダは快活に話しかけてきた。胸にさげた雷光の刻印のあるメダルが、朝の陽光を受けてきらめいている。


「貴方はここで働いているのか」

「そういうわけではありませんが、朝の鍛錬を終えたあとは子供たちの顔を見に来るのを日課にしているのです。もっとも、もうしばらくはここに来なくて良さそうですが」

「イリーナになにか様子の変化が?」

「いえ、実は道化師の方がこちらに来ていただけることになったのです。子供を喜ばせるなら、私よりも彼のほうが向いているでしょう」

「ほう、こういう場所にも道化師が訪れるとは」

「意外と思われますか?今の院長は意外と子供には寛容な方なのですよ。我々修道士はつい厳格さを追い求めてしまいがちですが、育ちざかりの子供には笑いも欠かせないもの。それにラサーナには病人も多いですから、気をまぎらすためにも道化師の方がいてくれたほうがいいのです」

「なるほど、それは道理だ」


 レヴィンは感心したようにうなづいた。ラサーナの院長はなかなか柔軟性に富む人物らしい。人々が何を求めているのかをよく理解している、有能な人物のようだ。

 

「私は棒を振りまわすのは得意でも、人を笑わせるのは得手ではありませんからね。イリーナの心をときほぐすには、笑いの専門家を雇ったほうが良いのでしょう」

「それは同感だ。修道士よりも道化師のほうが、子供に近い目線で話ができるだろう」

「レヴィン、道化師ってなにをする人なの?」

「お嬢さん、それをこれから教えてさしあげましょう」


 ミラが急に後ろから聞こえた声に驚いて振り向くと、そこには派手な縞模様の入った服を着た小柄な男が立っていた。頭には長い円錐状の帽子をかぶり、派手な紅を塗った口元には悪戯っぽい笑みをたたえている。


「そちらの修道士の方、これを突けますかな」


 道化師がズボンのポケットから小さな玉を取り出すと、ゲルダに向けて抛った。

 ゲルダが棒で正確に玉を突くと、派手な音を立てて玉が割れ、中から色とりどりのリボンが飛び出した。


「わあ、すごい!」


 ミラが道化師に拍手を送った。ゲルダも満足げに笑っている。


「では今度はそちらのお方、これを斬れますか?」


 今度はレヴィンに向け、道化師が球を抛ってきた。レヴィンは抜く手も見せず、一刀のもとにその玉を断ち割る。すると黄色い煙があたりに立ち込め、急にレヴィンは咳き込んだ。


「ぐっ、何だこれは?か、辛いぞ」


 レヴィンは玉に仕込まれていた香辛料をもろに浴びてしまい、しばらく涙を流していた。これにはミラだけでなくゲルダまでも身をふたつに折って笑い転げ、そばを通りがかった修道士にたしなめられる有様だった。


「貴方の腕前のほどはよくわかりました。これなら、イリーナもきっと笑顔をみせてくれるでしょう」


 ようやく笑い終えると、ゲルダは表情を引き締め、自信に満ちた口調で言った。

 自分自身もたっぷり笑わせてもらっただけに、この人選は正解だと思ったのだろう。


「ありがとうございます。私の名はエギル。どうぞお見知りおきを」

「さっきのを孤児院の中で使うなよ。気位の高い森人アルフェンには逆効果だ」

「もちろんですとも。私はお嬢様方には上品な笑いを提供します。人を見て法を説けないようでは道化師失格ですからね」


 俺には下品な対応でいいのか、という言葉をレヴィンは飲み込んだ。こんなところで怒ってみせるのは大人気がなさすぎる。


「さて、それではさっそく気高いエルフのお嬢様を笑いの殿堂へとご招待しましょう。イリーナさんはどちらにおられますかな」


 道化師がおどけた様子で言うと、ゲルダは彼を孤児院の中へと手招きした。レヴィンとミラも道化師の後に続く。


(こいつが本当にイリーナを笑わせることができるのか、見届けてやる)


 レヴィンは憮然とした表情のまま、孤児院へと足を踏み入れた。道化師がイリーナの前で芸をしくじったらどうなるか、という気持ちが湧いたが、それは心の片隅に押し込めた。





 ◇





「グランヴィル、いったいどうしたっていうんだ!君はこの国一の剣士だったんじゃないのか?どうしてそんなに腑抜けになっちまったんだい?」


 エギルが右手にはめた人形の頭を動かしつつ熱心に話しているのに、イリーナは床に目を落としたままだった。エギルの腹話術も、イリーナの心を動かすには至らなかったらしい。

 この得意の芸を始めるまえに、エギルは五つのお手玉を自在にあやつり、口から火を吹き、帽子の中から鳩を出してみせるなど、大道芸をひと通りイリーナの前で披露してみせた。しかし、イリーナは背もたれのない椅子に腰掛けながら、退屈そうにそれを眺めているだけだった。

 最後にエギル十八番の腹話術を持ってきたが、やはり結果は変わらなかった。


「う~ん、なかなか忍耐強いお嬢様だ。ここには素でおもしろい人達が多いから、もう笑いに耐性ができてるのかもしれないね。あっちのお兄さんなんて、香辛料を頭からかぶって目から鼻からいろんなものを出せるくらいだし」

「それはあんたの仕掛けたことだろうが。それに俺はここの住民じゃない」

「あんな見事なリアクション芸なんて、プロでもそうそうできるものじゃありませんよ。いっそ貴方も道化師に転職したらどうです?」

「そいつはごめんだ。俺はナルヴァに行かなくちゃいけないんでな」

「なるほど、まず学芸の都で大道芸を学ぼうというのですね」

「そんなわけがあるか。俺はミラをあそこに連れていきたいだけだ」

「なんと、二人で大道芸を学んでコンビを組もうと?」

「いや、いろいろと調べたいことがあってな」

「おお、学問を大道芸に活かそうというのですか」

「いい加減にしろ!」


 急に話を振られ、仕方なくレヴィンが応じているうちに、ゲルダやミラ、そして孤児院のなかの修道士たちが吹き出していた。しかし、レヴィンはなぜ笑われているのかがわからない。

 

「どうも、ありがとうございましたー」


 エギルは帽子を脱いで、大仰なしぐさで礼をした。いつのまにか道化師の芸は幕を閉じていた。エギルはそのまま孤児院の外へと退出した。


「レヴィン、意外とエギルさんと息があってるんじゃない?」


 ミラは涙を拭いながら言う。よほどエギルとレヴィンのかけ合いが面白かったらしい。


「そんなわけがないだろ。あのやり取りのなにが面白いんだ」

「でも、私もさっきの掛け合いは良かったと思いますよ。貴方にここに来ていただけてよかった」

「ゲルダさんまでそんな……」

「うん、なんかレヴィンの隠れた才能を発見した気がするよ」

「あのな、お前が面白がってても仕方がないだろ」

「そうですね、あの子は笑えなかったようですから」


 ゲルダがイリーナに目を向けると、イリーナはあいかわらず無表情のまま、壁に掛けられたイコンをじっと見つめていた。擦りガラスの入った窓から漏れ入る朝の光が、背に流れる金髪にやわらかに降り注いでいる。


「ゲルダさん、外で話を聞かせてもらっていいだろうか」


 ゲルダは黙ってうなづくと、レヴィンとミラを連れて孤児院の外に出た。


「いやあ、あの子はなかなか手強いですな。もしかすると、エルフと人間では笑いのツボが微妙に違ってたりするんでしょうかね」


 エギルは孤児院の外壁に背をもたせかけつつ、少しうなだれていた。化粧を落とすと、エギルの顔半分は醜くただれていた。見たところ、どうやら火傷の痕らしい。道化師の厚化粧が、この傷をも隠していたのだ。


「あの子、ほんとに全然笑わなかったね。僕はおじさんとレヴィンのかけ合い、とっても面白かったけど」

「ありがとう、お嬢さん。私もまだまだ修行が足りないのかねえ」

「急に芸に巻き込まれたのは不本意だったが、素人の俺を使って笑いが取れるんだから、あんたの芸がつまらないということはあり得ない。笑えない理由はあんたの芸じゃなく、イリーナの方にあるんだろう」

「ねえゲルダさん、イリーナは昔なにか辛いことがあったの?」

「そうね、そろそろそのことも語っておかないといけないかしらね」


 ゲルダは少し首を持ち上げると、近くの欅の枝に止まっている山雀に目をやった。


「あの子は、ノストマルクの森狩りの犠牲者なんです。クロンダイトの『黒の森』の

エルフたちが異界への門を開き、地霊獣ベヒーモスを呼び出して王都を襲わせようとしているという噂が流れたもので、あの果てなき森にはじめて白狼隊が踏み込んだのですが、心ある隊士がまだ赤ん坊だった彼女を密かに助け、ここまで連れてきたのだそうです」

「王の特殊部隊が出動したのか……で、彼女にはその過去のことは話しているのだろうか」

「時期が来れば話そうと思っているのですが、皆なかなか切り出せずにいるのです。なにしろ、彼女はあの状態ですから」


 レヴィンは次々と繰り出されるエギルの芸でも決して笑わなかったイリーナの仏頂面を思い出した。いまだに笑顔一つみせることのない彼女にそんな重い過去を教えてしまったら、さらに深い憂いの淵に沈んでしまうのではないのか。


「確かに、それはちょっと話しにくいな。だがそれはそれとして、イリーナが笑えない原因がなんなのかは気になる。イリーナは自分の過去を知らないんだから、森狩りの心的外傷トラウマで笑えないということはありえない」

「レヴィン、そのことなんだけど、ちょっといいかな」

「どうした?」


 ミラは少し硬い表情でレヴィンを見上げると、そっと右手を握ってきた。


「エギルさんを見て」


 ミラに促されてエギルに目をやると、エギルの全身を碧色の悲愴の霊光オーラが取り巻いていた。


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