高原の孤児と道化師
高原の襲撃者
「あ、何かいるよ、レヴィン」
ミラが道の脇の草むらを指さすと、茂みの中から小さな角がのぞいていた。
レヴィンが吐き出す白い息のむこうで、その角が消えたかと思うと、なにかが素早く杉の幹を駆け上っていくのがみえた。
「一角リスだな。高原にしか生息しない霊獣だ」
ミラは興味津々といった様子で、杉林の奥に目を凝らしていた。この生き物はまだ見たことがないらしい。だとすれば、ミラはこのあたりの出身ではないということだろうか。
「あの角はなんのために付いてるの?」
「仲間の傷を癒やすためだとか、天敵の接近を感じ取る器官だとか言われてる。マーセラスにはいない生き物だから、それほど多くの情報は得られてない」
「ユニコーンの仲間だったりするのかな、あの子って」
「あれは伝説上の生き物だ。誰も見たことのあるやつはいない」
「でも、今朝すれ違った行商の人、この秘薬にはユニコーンの角の粉末が入ってるって言ってなかった?」
「あれはマーセラスの
「ふうん、大人の世界ってむずかしいんだね」
レヴィンは軽く肩をすくめながら笑った。ミラはごく素直なたちだが、この性格のせいで、いずれ悪い大人に手ひどく騙されたりするのではないかと不安になることもある。
(まあ、世間知なら旅をするうちに身につくだろう)
レヴィンはそのぐらいに考えていた。あまり急に世間の裏側を教え込んで、彼女のまっすぐな気性が妙にねじくれてしまっても困る。
「それにしてもいい天気だ。これでラサーナ修道院までの道のりが安全であってくれるなら、なにも文句はないんだが」
レヴィンが頭を上げると、目の前の道はゆるやかに傾斜しつつ、急峻なレイダス山脈の頂へと吸い込まれている。もう少し先からは北国街道の脇の林は白樺へと変わり、残雪を載せた山頂へと旅人を誘うことになる。
「ここって、そんなに危険なところなの?」
「このあたりの林には賊が身を隠すところもいくらでもある。俺が賊だったら、俺たちみたいな仲間の少ない旅人は狙い目だと思うだろうな」
そんな言葉を交わすうち、前方から地味な灰色のローブに身を包んだ人影が近づいてきた。杖を突きつつ歩いてきたその人物は、レヴィンの前まで来ると足を止め、杖で二度地面を叩き、木の椀をさしだした。
「修行中の方か」
修道士らしき人物は無言でうなづいた。フードの下にあるのは、やや吊目がちの若い女の顔だった。異性とは口をきくことを許されていないのかもしれない。レヴィンは財布から銅貨を二枚取り出すと、椀の中に入れた。
すると、修道士は祝福を与えるためか、レヴィンの額へと手を伸ばしてきた。
「天つ神の鋼よ、この者たちを邪なる企てから守りたまえ」
マーセラスのものとは違う聖句が修道士の口から紡ぎ出され、とたんにレヴィンとミラの周囲を半透明の白い膜が覆った。次の瞬間、林の奥から飛来した矢を白い膜が弾いた。
「ふん、小賢しいまねを」
野卑な声が飛ぶと、林の中から粗末な革鎧をつけた三人の賊があらわれた。
賊は弓を放り投げると、抜剣してじりじりと包囲の輪を縮めつつ、修道士へと近寄る。三人はどこか動きが緩慢で、表情にも生気が感じられない。
「くそっ、外へは出られないのか」
レヴィンは力を込めて白い膜を押すが、びくともしない。
レヴィンとミラは碗を伏せたような形の半透明の膜の中で、事の成りゆきを見守るしかなかった。
「尼、か。まずは、あんたの命、いただく」
髭面の男が妙に間延びした調子で言うと、三人の賊がいっせいに斬りかかった。
修道士は木の椀を頭上高く放り投げ、腰をかがめた次の瞬間、賊の一人が後ろに吹き飛び、もうひとりが喉を押さえて倒れ、残る一人は額を割られて膝からくずおれた。
「優れた棒使いは手元から棒が伸びてくるような動きを見せるというが、本当なんだな」
レヴィンが感心したようにつぶやいたとき、修道士は放り上げた椀を両手で受け止めたところだった。武術の心得のないものが見れば、奇術としか思えないほどの早業だった。
「お気遣い感謝する。貴方が法術で守ってくれなければ、俺たちは死んでいるところだった」
「ご謙遜を。私がいなくとも、貴方たちなら独力で賊を撃退していたでしょう」
「それがおわかりなら、なぜ俺達を守ってくれた?」
「私一人で戦わなければ修行にはならないのです。貴方がたには少しの間、そこで私の戦いぶりを見物していただく必要がありました」
レヴィンは内心舌を巻いた。この修道女は法術でレヴィン達を守ったのではなく、自分に助力させないよう壁で囲い込んだのだ。こちらの力量を一瞬で見抜いたうえ、これほど適切な対処ができるとは、普段どれだけの修行を積んでいるというのか。
「ふむ……どうもこの者たちは奇妙ですね。怪我を負ったのに悲鳴ひとつあげない。大して訓練を受けているとも思えないのに」
気を失って伸びている賊の瞳をのぞき込むと、ゲルダは眉を寄せた。
「これは……隷従の呪?瞳に赤い光がみえる。何者かがこの者たちを操っていたようです」
「誰かがこいつらに俺達を襲わせたと?」
「そのようですね。何が目的かまではわかりませんが、いずれ術が解ければ逃げ帰るでしょう」
修道女は立ち上がると、再びレヴィンに顔をむけた。
「それにしても見事な戦いぶりだ。ラサーナの修道士は皆それほど強いのだろうか」
「私はもともとはヴェルギナで武術師範を務めていました。こちらでも修道士には私が稽古をつけておりますが、皆少しづつ腕前を上げつつあります」
「ほう、王都で」
「さすがに白狼隊の隊士には及びませんけれどね。ただの賊相手なら、まず遅れを取ることはないでしょう」
「白狼隊とは、たしか……」
「ノストマルクの特殊部隊です。私にもくわしい実態はわかりませんが、反体制貴族の領地への潜入捜査や要人の警護などを行うため、凄腕の人たちばかりが集められているようですね」
ノストマルクにも、マーセラスにおける黒翼衆のような舞台が存在がするらしい。そんな連中にミラが目をつけられたらどうなるか、という嫌な空想を、レヴィンは軽く頭を振って追い払う。
「貴方ほどの方が来るからには、やはりラサーナの周辺は物騒なのだろうか」
「そうですね、小規模な賊はよく現れますが、どうも最近は様子がおかしいのです。先ほどの者たちのように、誰かに呪術で操られている者がしばしば現れるようになりましたね。彼らは動きは緩慢ですが、恐れを知らないので相手としては危険です。今のところ、こちら側の死者は出さずにすんでいますが」
「よほど貴方の指導がゆき届いているとみえる」
「皆が修行に励んでくれているおかげです。私は、人が本来持っている力を引き出しているだけのこと」
修道女は控えめに笑った。同じ聖職者でも、ハドリアンなどとはまるで異なる清浄な気を、彼女は周囲にただよわせている。
「私はゲルダと申します。ラサーナへお越しなら、私も同行しましょう」
「そうしてもらえると助かる。何しろこのあたりの道には不案内なもので」
「あらかじめ申し上げておきますが、修道院ではベッドと食事は提供いたしますが、滞在中は肉食は禁止とさせていただきます。聖域の中では不殺の誓いを守らなければいけませんので」
「こちらは食べさせていただく身だ。そちらの掟に従おう」
レヴィンが横目でミラを見ると、ミラは目を輝かせながらゲルダを見つめていた。
目覚ましい動きを見せた女傑を前に、好奇心が抑えられないらしい。
「そちらのお嬢様は食べ盛りのようですので、少々つらい滞在になるかもしれませんね」
「いや、それは構わない。彼女の好物は──」
「僕は少食だし、お肉は別に欲しくないんだ。好みがちょっと人とは違うから」
レヴィンが言いよどむと、ミラが補うように口を開いた。
「そうなのですか、それは助かります。貴方と同年代の子供もいますから、退屈せずにすむかもしれませんね」
「修道院に子供が?」
「ええ、ラサーナには孤児院も併設しているんです。最近は次々と引き取り手が現れて、その子一人しか子供がいないのですけれど」
「だとすれば、話し相手に飢えているだろうな。ミラならいい友達になれるかもしれない。そう何日も滞在するわけにはいかないが」
「声をかけていただけるだけでも十分です。何しろイリーナは、なかなか人間には心を開こうとしないもので……」
「人間には?」
わずかに表情を翳らせるゲルダの様子に、ミラはなにかを感じ取ったようだった。
「そのイリーナって子、もしかして人間じゃないってこと?」
「ええ、そうなんです。なのでなかなか引き取り手も現れなくて」
「人間でないなら、どの種族なのか教えてもらえるだろうか」
「マーセラスより西では
「エルフ……」
ミラはなにかを思い出すように、心持ち視線を上げながらしばらく黙り込んでいた。エルフという言葉に聞き覚えがあるらしい。
「どうした、ミラ?」
「なにかが心にひっかかってるんだけど、うまく思い出せないよ」
「無理しなくていい。いずれその記憶が必要な時がくれば、思い出す」
「そうなのかな。ま、いいか」
ミラは視線を正面に戻すと、屈託のない笑顔をつくった。
「これはお願いというわけではないのですが、もしイリーナを見かけたら、貴方がたが旅の途中で見かけた珍しい動物や、美しい景色の話などをしてあげて欲しいのです。あの子はこの修道院の外の世界をほとんど知りませんし、そういうことを知りたい年頃ですから」
「そんなことでいいんだったら、いくらでもお話できるよ。僕はマーセラスのことくらいしか知らないけど」
「もちろん、それで構いませんよ。どんなことでも、彼女の知らないことならよい刺激になるかと。ただ、イリーナは貴方にとっては少しだけ、話しにくい相手かもしれません」
「どういうこと?僕は嫌いな人ってまずいないんだけど」
不思議そうに目をしばたくミラを前に、ゲルダは少し表情を曇らせた。
「あの子は、一度も私たちに笑顔をみせたことがありませんから」
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