射し込む曙光

 戻った頃には夜も更けていたため宿の女将には文句を言われたが、赤ん坊を無事取り返せたためその日の夜はレヴィンもミラもぐっすりと眠ることができた。

 翌日は朝早くから赤ん坊の母親が部屋を訪ねてきて、昨日の礼にと麻袋にたっぷりと詰まったスノーヤムを押し付けていこうとしたので、断るのには骨が折れた。しかたなく一株だけを受け取ることにし、二人は宿を出立した。


「おや、もう行くんですか、お二人とも」


 道なりに歩いていくと、ペラの東門で門衛を勤めていたのはトビーだった。トビーは眠そうな目をこすりながら、口元を緩める。


「結局、昨日受け取った月光石は町に寄付することにしました。おかげさまで、私はこの町での兵役をあと一年に縮めてもらえましたよ。近年稀にみる篤志だと、町長に褒めてもらえましてね」

「そうか、そいつは良かったな。一人であの宝石を抱えておくより、賢明な判断だっただろう」

「この町にはあの宝石を換金できるところなんてありませんし、わたしはペラから出られないですから。それに、あの宝石は町が持っていたほうがいいんです」

「なにかいい使い道でも思いついたのか?」

「これは、実現するかどうかはわからないんですが……」


 真剣な表情に戻ると、トビーは続ける。


「近々町長に表彰されることになったんですが、そのときにでもこの町にナルヴァの吟遊詩人を呼ぶように進言してみるつもりです。昨日の雪フェネックの実態をお教えして、なにかいい詩でも作ってもらえたらと思いましてね」

「なるほど、あの狐を観光に使うというわけか」

「そういうことです。ナルヴァにはアグニシュカっていう有名な桂冠詩人がいるんですが、彼女が詩を捧げた町はどこも有名な観光地になるし、王侯貴族までもそこを訪れることがあるんですよ。優れた詩は、その土地への想像力をかき立てるんでしょうね」

「へえ、それほどの力を持った詩人がいるのか。まるで魔法だな。しかしせっかくこの町に来てもらうなら、もう少し風紀にも気を配ってもらわないとな。このあたりは魔獣も多いし、ヴェルギナから質のいい兵士をもっと寄越してもらう必要がある」

「そうですね、そのあたりのことも具申しておきましょう」


 レヴィンが納得したようにうなづくと、トビーの小さな瞳の中に喜びの火が灯るのがみえた。


「ここの兵役もあと一年か。もしその吟遊詩人がペラに来ることになっても、トビーはもうここにはいないかもしれないな」

「たとえそうなっても問題ありませんよ。私が昨日見聞きしたことは、絵に描いて残しておきますから」

「そうか、そう言えば絵が描けるんだったな」

「でも、大丈夫なのかな」


 ミラが少しためらいがちに問いかけた。


「どうした、なにか心配なことがあるのか、ミラ」

「雪フェネックは悲しい時に涙を流す、っていうことが知れちゃったら、あの子を悲しませるようなことをしようとする人が出てくるんじゃない?」

「そうだな……あの狐を泣かせて月光石を集めることができるなら、なかなかぼろい商売になりそうだ」


 腕組みをして考え込むレヴィンに、トビーが微笑みかける。


「いや、なにもすべてを正直に話すことなんてないんじゃありませんか?」

「どういうことだ」

「たとえば、雪フェネックはよこしまな心を持つものには噛み付く習性がある、ということにしてしまうんですよ。わざと泣かせようとするものはひどい目にあうということにすれば、子供向けの童話にも仕立てられるかもしれません」

「なるほど、トビーには案外物語作家の才能があるのかもな」

「それ、本当のことかもしれないよ。昨日、雪フェネックはハドリアンに噛みついていたし」


 ミラの言葉に、レヴィンとトビーは深くうなづいた。


「まあ、このあたりの森は魔獣も多いですし、雪フェネックはそうそう出会えるものでもないですから。ところで、お二人はどちらまで行かれるんです?」

「いったんナルヴァまで向かおうと思っている。あの都でいろいろと調べたいことがあるんでな」

「おお、ナルヴァですか、懐かしいですねえ……」


 トビーは遠くを見るような目つきになった。かつて画家を志してあの学芸の都に留学していた頃を思い出しているのだろう。


「もしここを出られたら、もう一度ナルヴァに戻りたいか?」

「いや、さすがに二度も留学するのは無理でしょう。一度は村長が私の才能を見込んで学費を出してくれましたが、一度挫折した身ですからねえ」

「だが、なんだか名残惜しそうにみえるぞ」

「そ、そうですか?でもまあ、絵は趣味でも描くことはできますからね」

「あの都に知り合いはいるか?ナルヴァに着いたら、消息を伝えてやってもいいぞ」

「そうですね、私が師事していたのは貴婦人の肖像画で有名なアリオスト様なんですが、もし会う機会があったらこれを見せてもらえれば」


 そう言って、トビーは上着のポケットから紙片を取り出した。


「……え、これ、もしかして僕なの?」


 ミラは紙片に描かれた自分の姿に目を見張った。木炭で描かれたミラは長い髪で地面を撫でているが、その部分から若草が芽吹き、花々が咲き乱れる様子がみえる。まるで命を宿しているようなミラの絵に、レヴィンも心奪われた。


「こりゃあちょっとしたもんだな。これはあんたの師匠にも見せてやらなきゃいけない」

「ほ、本当ですか!私もまだ捨てたものじゃないかも……」


 トビーは頭を掻きながら言った。


「どういう形であれ、絵は続けたほうがいい。アリオストとかいう画家も、こんなところで弟子が才能を開花させているとは知らんだろうしな」

「これもすべてミラさんのおかげですよ。あなたはまさに生ける芸術です」

「僕が芸術……なのかな」


 ミラは指に橙色の髪を絡ませながら、不思議そうな顔をした。


「お前が大いにトビーの刺激になったことだけは間違いないな」

「ミラさんはナルヴァに行けば、きっとモデルとして引く手あまたですよ。描かせてくれと言ってくる画家がたくさんいるはずです」

「僕はトビーさんの絵みたいに裸にならなきゃいけないの?」

「い、いや、そんなことはないですよ。中には服を脱いでほしいって人もいるかもしれませんが、嫌なら断ればいいことですから」

「そいつは断らざるを得ないな」

「そりゃそうですよね……」

 

 残念そうにうつむくトビーに、レヴィンは苦笑した。仮に裸にならなくても、今はまだミラの肖像画を描いてもらうわけにはいかない。そんなことをしたら、ミラの美貌はたちまち評判になるだろう。ミラが安全な居場所を見つけるまでは、彼女を有名人にするわけにはいかないのだ。


「まあ、そんなに落ち込むな。いずれすべてが落ち着いたら、改めてトビーにミラの絵を描いてもらう日も来るかもしれないからな」

「本当ですか!その時は、全身全霊で描かせてもらいますよ。あ、服は脱がなくていいですからね」

「でも、描くなら本当のサイズを見てからにしてもよくない?」

「お前はまたそういうことを……」


 レヴィンは軽く息を吐いた。天真爛漫なのはいいが、あまり警戒心がないのも困る。


「さて、そろそろ出立だ。無事ナルヴァにつけたら、これはあんたの師匠に見せる」


 レヴィンは後ろを向いたまま、トビーの描いた絵を指の間にはさみ、片手を上げた。ミラはトビーに手を振りつつ、レヴィンの後を追う。


「トビーさんにはまた会えるかな?」

「会える運命になってるなら必ず会える。そういうもんだ」

「運命かあ。僕はナルヴァまで無事に旅を続けられる運命なのかな」

「そのへんは運命の女神の首根っこを掴んででも言うことをきかせる」

「なら、運命なんて関係ないじゃない」


 そうだな、とは答えず、レヴィンはミラの無邪気な笑顔をちらりと見るにとどめた。顔をあげると、はるか遠くにはまだ残雪を載せたレイダス山脈がそびえ立っている。ナルヴァに至る道では一番の難所へ向かおうとしているのに、不思議とレヴィンの足取りは軽かった。

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