折れた志

「ミラの姿を絵に描いたそうだが、あんたはミラに会ったことがあるのか?」


 レヴィンはトビーがミラを見るなり逃げ出したことを思い出した。

 ミラのあられもない姿を絵に描いたことに罪悪感を持っていたのだろうが、そもそもなぜ彼女を絵に描くことができたのだろう。


「いえ、会ったことはないんですが、私が趣味で描いていた絵がそこのミラさんにあまりにもそっくりなんです。まるで絵がそのまま人間の姿をとって現れたみたいで、本当に驚きました」


 トビーは声を震わせつつ、体格に似合わない小さな声でぼそぼそと話す。よほど緊張しているらしい。


「ふむ……そいつは不思議だな。たまたま描いた絵がミラに似ていただけなのか、それとも……」

「ねえ、その絵ってのを見せてもらえばなにかわかるんじゃない?」


 レヴィンが腕組みしながら考え込むと、ミラが脇から口を挟んだ。


「そうだな、その絵を今持っているか?」

「い、いや、あれはうっかり兵舎に忘れてきてしまって……」

「本当なのか?」

「え、ええ、決して上着の内ポケットに隠したりなんてしていません、当然じゃないですか」


 怯えるトビーを前に、レヴィンとミラは顔を見合わせた。


「持ってるんだな」

「ゆ、許してください!私は決して勤務中に不謹慎な絵を描いていたりしたわけでは」

「いいから見せてくれ。絵のことは誰にも話したりはしない」


 トビーはしばらくためらった後、ようやく上着の内ポケットから紙片を取り出した。テーブルの上に広げてみると、そこには木炭で巧みに描かれたあどけない少女のデッサンがある。


「ほう、こいつはなかなか大したものだ」


 トビーの絵の腕前は玄人はだしだった。それにしても、紙片に描かれた少女はミラとよく似ている。


「たしかに僕とよく似てるね。でも、僕はここ、こんなに大きくないよ」


 ミラは絵のなかの少女の胸の部分を指さした。少女の上半身は裸で、両腕で自分を抱きかかえる格好をしているが、その腕の下でも豊かなふくらみが存分に存在を主張している。


「いや、こ、これはですね、ナルヴァではこのような画風が流行しているのでちょっと真似してみただけでですね、決して私がこのような体型の女性が好みだからとか、こんな子と一緒に暮らせればいいなとか、そんなことは夢にも思っていないわけで」

「わかったわかった、そういうことにしとこう」


 早口でまくしたてるトビーを、レヴィンは苦笑しつつなだめた。


(本当にわかりやすいやつだ)


 とはいえ、なぜトビーがミラとそっくりな少女を描くことができたのかは不思議だ。偶然の一致とも思えない。だがレヴィンはその疑問はいったん脇に置いた。


「それにしても、どうしてそんなに気落ちしてるんだ?なにか、絵のことで悩みでもあるのか」

「それが……実は私は一時期、画家で身を立てようとしていたんです。ですが、ナルヴァに出てみて、身の程を思い知りました。あそこにはまるで命が宿っているかのような絵を描いたり、想像だけで即興の神話の世界を作り出したりするような人たちがたくさんいたんです。とても太刀打ちできないと思い、絵は故郷の村で畑仕事の合間に楽しむ程度にしようと思っていたんですが、領主様に落描きを見られてしまいましてね」


 トビーは声の調子を落とすと、話を続けた。


「領主様の奥方はとてもお美しい方だったんですよ。ある日、村の泉のほとりであの方の姿を絵に描いていたら、たまたま領内の巡回に立ち寄った騎士に見とがめられましてね。私の絵は取り上げられ、領主様の怒りを買ってしまったんです」

「その絵というのは、もしかしてさっきのミラの絵みたいな感じだったのか」

「ええ、その通りです。内容にちょっとその、誇張表現がありましたね。露出も多すぎました」


 トビーは申し訳なさそうに頭を掻いた。おそらく、胸を強調していたのだろう。


「で、私は奥方を侮辱したということになり、そのまま首を打たれそうになりました。奥方の懇願でどうにか死刑だけは免れましたが、代わりに生涯このペラで兵役を勤めよということになりまして。故郷にも帰れないし、絵を描く暇もろくにないし、もうこれではお先真っ暗ですよ」

「なるほど、そういうことか」


 トビーの憂いの原因はわかった。しかし、レヴィンにはもうひとつ気になることがある。


「ところで、この絵は想像だけで描いたのか?」

「いえ、そうではありません。実は、夢を見たんです」

「夢、か」

「ええ、夢にこの子が出てきたもので、記憶が薄れないようにと朝起きてすぐに描いておいたんです。──まあ、細部はちょっと変えていますが」


 トビーは頭を掻きながら言った。


「しかし、ここまで特徴が一致するとなると、な」


 紙片のなかの少女は妖精めいた表情といい、半透明の橙色の髪といい、ミラそのものとしか言いようがない。


「夢の中に出てきた……か。そうだ、そういえば」

「なにか思い出したの?」


 ミラがレヴィンの横顔をのぞき込みながら問いかける。


「集合的無意識、って言葉を聖都イティルの夢見術師に聞いたことがある。俺たちの心は皆深いところでつながっていて、夢を見ているときはその心の深層にまで入り込むことができるんだとか」

「ということは、私が寝ている間にその集合的無意識の中でミラさんの姿を見た、ってことなんでしょうか」

「証明できるようなことじゃないがね。だが否定できるようなものでもない。特に芸術的直感に優れたものは集合的無意識に入り込みやすいらしいから、あんたも絵の腕前には自信を持っていいと思うぞ」

「そ、そんな、私なんて全然ですよ!ナルヴァの画学生にはとてもかなわなかったし、私なんてとても……」

「ねえトビーさん、やっぱり絵は基本が大事じゃないかな?」


 急に口を挟んだミラに、トビーが驚いたようにびくりと身を震わせる。


「や、やっぱり基本がなっていないんでしょうか」

「そうじゃなくて、この絵はちょっと胸を強調しすぎてバランスが崩れていると思うんだ。まずは実物を見てそのとおりに描くところからじゃない?」

「ですが、実物を見ろと言われても……」

「実物ならここにあるでしょ?」


 こともなげに言うと、ミラはいそいそと上着を脱ぎ始めた。


「お、おい、何をしてるんだ、ミラ」


 上半身だけ肌着姿になったミラを、レヴィンは慌てて咎めた。


「何って、僕を見てそのまま描けばトビーさんもいい絵が描けるでしょ?」

「いいからまず服を着ろ。人前でむやみに服を脱ぐもんじゃない」


 レヴィンが呆れ顔でいうと、目の前でトビーが固まったまま口を開閉させている。


「ほら、トビーも困ってるだろうが」

「なんで僕が脱ぐと困るの?」

「年頃の娘は、そうやってむやみに肌を見せたりしないものなんだ。覚えておいてくれ」

「つまんないの」


 レヴィンが軽く溜息をつくと、ミラは仕方なさそうに上着を着た。


「……せっかく役に立てると思ったのに」


 小声で言うミラの顔に、憂いの色が浮かんでいた。


「役になら立てるだろ?裸になるよりもずっと芸術的刺激を与えそうなお前の姿を、ここで見せてやればいいじゃないか」

「あ、そうだね!」

 

 ミラはすぐ笑顔に戻り、声を弾ませた。


「さて、トビー、少しそこでじっとしていてくれるか?これからあんたの憂いを払う儀式を行う」

「は、はい」


 戸惑いがちに言うトビーに向かって、ミラはそろそろと橙色の髪を伸ばしていく。トビーの顔が驚愕にゆがむのにも構わず、ミラはそのまま頭髪をトビーの身体に巻き付けた。


「そのままじっとしててね」


 ミラの半透明の髪が輝きを増し、眩しさに思わずトビーが目をつぶった。

 血管が脈打つようにミラの髪が膨らみ、少しづつトビーの表情が和らいでいく。


「これは……」


 恍惚とした表情を浮かべながら、トビーはミラのなすがままにされていた。

 ミラのが終わり、するするとミラの髪が縮んでいくと、トビーは感極まった様子で叫んだ。


「す、素晴らしい!こんなに神々しい女性の姿ははじめて見ましたよ!ああ、なんて私は幸せ者なんだ。ミラさん、貴方は存在そのものが芸術ですよ」


 興奮した様子で立ち上がると、トビーは声に力を込めた。


「すっかり元気になったみたいだな」

「ええ、おかげさまで生きる気力が湧いてきました。ところで、今のは一体なんだったんですか?ああいうお祓いのやり方があるとは知りませんでしたが」

「ミラにはちょっと不思議な力があるんだ。そういうことにしといてくれ」

「でも、ずいぶん人間離れした力だと思いましたが……」

「トビー、その絵のことは知られたくないだろ?ならミラのこの力のことも黙っていてもらいたい」

「わ、わかりました。ミラさんのことは決して口外しません」


 慌てて言うトビーの態度に、レヴィンは安堵した。これなら、ミラの力のことが知れることはないだろう。この町の住民にはミラが人間だと思われている方がいい。

 

「ここ三年ほどずっと気分がふさぎがちだったんですが、ようやく楽になれた気がします。画家になる夢をどうしても諦めきれなくて、芸術を理解するものもいないこの町にいても憂鬱がつのる一方だったんですが、どうやらこれで私も気持ちに整理がつけられそうです。本当にありがとうございました」


 トビーは立ち上がると、深々と頭をさげた。


「礼には及ばんさ。ミラも満足しているしな」

「うん、何日かぶりのごちそうだったよ。ありがとう」

「ごちそう……?」

「人の憂いや悲しみ、それがミラの求めているものだ。あんたの心は憂いに満ちていたから、そいつをいただいたというわけさ」

「へえ、まるでばくみたいですね」

「ばく、とは?」

「ハイナムの伝承に出てくる、悪夢を食べると言われる動物のことです。人間にも、似たようなことができる人がいるんですね」

「まあ、あの国には針山の上に座ったり、霞を食って生きてるようなのまでいるらしいからな」


 ナルヴァの北東に位置する古都アイハヌムより東に広がる砂漠を越え、はるか地の果てにあるという幻の大国ハイナムのことは、レヴィンも断片的にしか知らない。


「それにしても助かりましたよ。この町にもマーセラスの司祭様がおいでになってるんですけど、まさかこの絵のことを相談するわけにもいきませんしね」

「ん、ここにマーセラスの司祭が来ているのか?」


 レヴィンは訝しんだ。マーセラス領内でもないこの町に、司祭がなんの用があって訪れているのか。


「その司祭は、この町で何をしている?」

「町外れの広場で子供たちに祝福を与えていますよ。聖職者の方がお見えになるなんてめったにないことですから、お母さんたちも大歓迎してますね」

「ふむ……そいつはどうも妙だ」


 レヴィンは首を傾げたが、トビーは気にする様子もなくふたたび口を開いた。


「では、私はそろそろ失礼させていただきます。明日からまた衛兵の任務がありますので、今のうちに英気を養っておきたいので」

「ああ、そうか。じゃあまたな」


 トビーはふたたび頭を下げると、足取りも軽やかに部屋を出ていった。


「トビーさん、元気になってよかったね」

「お前のおかげだ。悲しみを食らう力は、ちゃんと人の役に立てる」

「僕、やっぱり魔女じゃない?」

「お前が何者かは知らないが、人を元気にできるなら悪い魔女じゃないさ」


 そう言いつつも、レヴィンはトビーが描いた絵のことが少し引っかかっていた。


「ねえ、どうしてこの町にマーセラスの司祭様が来てるの?」

「わからないが、何か大きな目的があるように思える。ただ子供に祝福を与えに来ただけとは思えん」

「なにか悪いことをたくらんでるってこと?」

「そうとは決めつけられないが、まずは母親の機嫌をとって住民を味方につけようとしているように思える。この町に味方を増やして、どんな利益があるのか……おや」


 レヴィンがベッドの脇の棚の上に目を留めると、この辺境の宿にはもったいないくらい豪華な革の装丁の本が置いてあった。レヴィンはそれを手に取り、ページをめくってみる。


「どれどれ、これは……『雪フェネックに嫁いだ娘』か」


 その奇妙なタイトルに惹かれ、読み進めうるうちに、レヴィンはその物語の巧みな筋立てに引き込まれていった。

 

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